2024.07.13
🔛結果、塾で失敗した大多数の人たち
小4で塾を選ぶ❗️ さて、受験・受検が終わってどうでしたか。
あなたたちの選んだ、おそらく大手の塾がほとんどでしょうが、あなたたちの思ったとおりに、終わりましたか。
あなたたちの思ったとおりに、なりましたか。
わたしは、よくわかっています。第一志望に合格した人以外は、第二、第三志望へ、あるいは区立中学で再起を誓った、そういう人ばかりだということを。
それでは、区立中学に入った人たちは、それまで大手で学んできたことが、どれだけ役に立っているか、考えたことがあるでしょうか。
大手塾は、あなたたちの子どもに基礎をつけることに熱心ではなかったはずです。受験とはそういうものです。
わたしの出会った大手生たちは、一様に計算力がなくて、基本が欠落し、思考というものを知らない子たちでした。いったい何を学んできたのでしょうか。
カネと時間をかけて、大切なことを何一つ財産として遺して来れなかった、そういう結果を踏まえて、わたしは、あなたたち親の判断というものをその程度のものであるということを初めから知っていました。
あなたたちは、まずどこそこを受けたい、入りたいと決めて、それからそのために大手に行き、天才しか相手にしない大手のかもになるのです。
違いますよね。まず、力をつけていき、どこなら受かるかと考えるのではないでしょうか。
まず、やるべきことは、基本を徹底してつけることではないですか。大手のカリキュラムに合わせて、基本もできていないのに、先へ先へと進めることの愚をやってきたのが、あなたたちですよね。
小学期は、基本を積み、算数を通して、思考力をつけることが、何よりも大切だとは思いませんか。大手で失敗した、あなたたちは、中学生になった、あなたたちの子どもが、基本訓練もしないままに、思考力もつくことはなく、勉強のスタイルもないままに、さらには勉強のスタンスもない、そういう結果にそろそろ気がついていいのではと思います。
それでも懲りずに、また大手塾の先生の前向きの、仮定の明るい未来に騙されて、もはや手遅れなのも悟らずにその口車に乗り、無駄な中学の時間を消化することでしょう。
部活なんかに取り込まれ、受験の準備もできないままに、毎日のように練習し、合宿に参加し、大会前の数週間から数ヶ月はほとんど部活。まともに机についたこともない。定期試験1週間前は部活は休みになります。勉強に専念しなさい、というわけです。
ばっかじゃないの。これまでまともに机について勉強したこともない人間が、突然勉強なんかできるわけがない。そもそも定期テストのための準備が1週間で終わるという想定は学校の配慮ですか。1週間で終わるわけがないでしょ。特に、頭の悪い部活だけの生徒に1週間なんて意味のないものでしょ。
まず、理科や社会なんか、普段から時間を見つけて、こまめに勉強しなくてはだめな科目でしょ。
また、合格したからといって、それで終わりじゃないですよね。上位25%内に入らなければ、落ちた人と変わらない。落ちた人の中の一部には勝てないというのが正確です。
漫然と、大手ならと、大手を選択し、2年、3年経って、その時が来て、自分の愚かな判断の結果だとは思いもしない。結局受験に失敗した親たち。だから、子どもに実は最低の基本もないということにも気がつかない。だから中学になっても、また懲りずに大手に通わせる。
いやいやそれはあまりにも無謀なことではないですか。と言ってもそもそも今更、どこでも同じですか。基本の欠落した子がどう足掻こうと結果は見えていますから。
基本とは、何か。
みなさんはそもそもこれがわかっていない。
まず計算力です。これは休まず訓練を積んで身につくものです。
それから思考力です。思考スタイルです。さらに当然のように勉強する姿勢、勉強へのスタンスです。勉強が生活の軸になっているか、です。
思考は、算数という知恵と工夫の科目で養うのが、最適です。算数と言っても大手のように項目化されたテキストを予習と復習でやるのではない。算数の中の特に割合です。割合思考に2年かける、小2から来ればそれが可能である。ただし、小学低学年は、勉強への関心度、好奇心がない子は指導不可です。だれもが指導可能なわけではない。
割合から算数へ、これが知恵と工夫の學である、算数を極める、わたしの中では、理想の形です。
こういう過程を経てない、大手などの塾に通った子たちは使いものになりません。そうさせたのはあなたたち大手信仰の親です。
あなたたちの子どもが天才でもない限り、基本欠落人間として完成(?)した、あなたたちの子どもは、すでに落ち着く先も決まっています。
思考力をつけるというのは、一つの問題をとにかく考える。それだけです。あと継続ですね。よく休む子はだめです。勉強に好奇心のない子もだめです。一問一問にじっくりと時間をかけて一年経って、また一年経って、ようやく思考というものがわかってくるのです。テキストを予習して項目別に分類された問題を先入観念をもって練習し、授業を聞いて、復習し、というのが大手の生徒のやっていることです。いったいいつ考えているのでしょうか。この人たちの「わからない」とは「解き方がわからない」です。どうやら予めどんな問題にも「解き方」というものがあると信じているようです。この人たちには問題の解き方を習って覚えることが勉強なんですね。
いやいやそうではないてしょ。算数というのは、知恵と工夫の学問です。算数をやると頭が良くなる。しかし、大手のみなさんの算数はそういうものではないですね。
わたしは指導を職業とする者です。どう指導すれば一番伸びるのか、そういうことを長い間研究してきた者です。指導というのはわたしには総合的な判断(診断)と適切な具体的指示、算数の技術的な指導術、子どもの心理、性格、理解の状況などを刻々とリアルに観察・判断する過程、の総称です。
常に本を読み、指導に少しでも役に立つものを求めています。