2024.11.16
🟧受験を舐めるな❗️
必死にやらなければ神は動かない。それだけに必死に取り組まなければとてもじゃないが、太刀打ちできない。試験とはそういうものだ。わたしには、ほかに何かしながら試験を受ける人の心情がわからない。だってこれまでだって、必死に取り組んでも結果はそれほどでもなかったことが何度もあった。自分に能力なないのか、努力が足りなかったのか、いつも絶望の淵に立たされて苦吟してきた。だから勉強以外のことに感(かま)けながら試験を受けるという人は敵ではなかった。わたしには、勉強に専念、没頭し、他のことには一切構わない、そういう人間が一番怖かった。部活やってる人間なんかちっとも怖くなかった。なんだかんだと習い事や稽古事やっていたり、野球やサッカーに打ち込んでいる人間なんか、わたしにはどうでもいい人間だった。
それより夏のあの暑い時間に、エアコンもないのに、一日中、十時間以上も勉強に没頭していた人間は、わたしには脅威であり、これはとても敵わないと思ったものだ。人間というのは弱いものだ。強敵に立ち向かわなければならないとき、どうかすると逃げ出したくなる。口実をつけて他のことに逃げ出したくなる。いや多くの弱い人たちはそういう行動に出てしまうことをわたしはよく知っている。勉強する。何が何でも勉強する。暑さに負けない。寒さに負けない。甘い誘惑に惑わされない。勉強する一念は少しも揺るがない。わたしは惑わず、赤鉛筆を握りしめ、単語集を開く。2時間集中したら、今度は数学を開く。赤鉛筆、時には青鉛筆。確認するように線を引いていく。20ページほど読んだら、今度は、山川用語集日本史を開く。続きを読む。数十ページ読んだら、次は山川用語集世界史を開く。次は原仙作「英文標準問題精講」を開く。次に数研・生物問題集を開く。次に、「新釈現代文」を開く。次に「古文研究法」を開く。次に、漢文の本を開く。一周回ったらまた単語集を開き続きから始める。わたしは黙々とこのリズムを壊すことなく延々と繰り返した。わたしが田舎の三畳間にこもって朝から晩まで繰り返した日常です。受験期間は実質5か月だった。わたしは、勉強をすることではなくて、わたしが課した各科目の参考書を完全に頭に入れてしまうこと、そのことばかりを一途に思った。そうなのだ。本当に勉強に没頭するというのは、勉強するかどうかではなく、そんなことは悩むこともない、要は、自分の課した目的のために自分がやらなければならないと決めたことを実行するか否かである。
九州大学法学部の試験科目は、現代国語・古文・漢文・文学史、数学I・IIB、英語、社会選択2(日本史・世界史)、理科選択1(生物)である。わたしは、各科目に原則1冊の参考書を決めて、それを繰り返しやる、と決めていた。
何がなんでも勉強をのみやる。わたしはそう誓っていた。だから朝から晩まで勉強だけをした。一日も休むことなく、わたしの思った方法を実行した。秋の行楽も、さまざまなレジャーも、大晦日も、お正月もなかった。いつも朝目が覚めると机について黙々と読んだ。陽が沈む頃、薄暗くなった秋の夕暮れ、近くの温泉に温まりに行った。帰る頃には、深々と深まる秋の空気が冷たく湯上がりの体を冷ました。東の空には、星が輝き、時には月が明明と夜空を照らした。わたしは星を見ながら、必ず受かる、あの星の下には、これからわたしと会うだろう人がいるのだろうか、など想像した。温泉は仕事を終えた弟と二人で行った。帰ると祖母が晩ご飯の用意をしてくれていた。弟と三人でいつも食事をした。母は駅長として働く父と官舎暮らしだった。姉は既に嫁ぎ、実家には、わたしと弟と祖母の三人が暮らした。
わたしはこの時なんの保証も確証もない中で、勉強というものの何たるかを本能的に察知し、徹底して用意周到に戦略を、たて勉強を、したのだ。こちらの油断、手抜きは、決して許されないことをわたしは本能的に知っていた。だから一切手抜きはしなかった。勉強から離れることはすべて手抜きと考えた。勉強、つまり将来の自分に勝る、優先事項はないと考えた。
東京に出て、塾を始めてみて、東京の子たちの親の勉強観に唖然とした。勉強は最優先事項ではなく、習い事、稽古事、その他スポーツなんでもあり、これには本当に呆れた。それで勉強もその一つという位置付けなのだ。その空気感は、見事に公立小に受け継がれている。その8割は、勉強あさっての層である。公立小は、裕福な、つまり勉強にカネをかけられる、優秀な子たちは、私立に抜ける。優秀だが、カネをかけられない、あるいは関心のない家庭は、公立中から都立へと考えているのだろう。ここから考えても、高校受験は、中学受験よりずっと楽である。天才はほとんど抜けているからだ。トップ都立に行っても、中高一貫校がゆるやかに5年かけてやることを、都立は2年で終わらせなければならない。だから量と進度の速さで落ちこぼれが続出することになる。この3年型の苦難を乗り越えた生徒は、中高一貫校の中間層よりはるか上にいることになる。中高一貫校は、ゆるやかにやる分、公立中のトップ層には敵わない層が当然出る。中高一貫校の大半は、日東駒専に落ち着く。わたしが、都立中学受検よりも高校受験を薦めるのは、高校入試の方が絶対に易しいからだ。小学から鍛えれば、中学では上位5番以内に持っていける。学年2番以内なら、日比谷、西も射程に入る。もちろん日比谷に入るには、慶應レベルに受かるだけの実力を備えていなければ、日比谷で上位はキープできない。つまり、入れれば成功というわけではない。よく推薦で合格した生徒が歓喜し我が世の春などと浮かれているのを見かけるが、なに待っているのは地獄ですよ。内申で入れても学力のない生徒には、春など来ない。勘違いはすぐにわかる。
わたしは東京の高校入試を40年見てきた人間である。
わたしと、竹の会と出会えたことは、幸運かもしれない。東京には、本物の塾に出会えるか、わたしが探すとしたら、わたしは全く自信がない。よく親を通して語られる、「それまでに経験した」塾の体験談は、わたしには、その塾の嘘が透けて見えて、当の親が信じ込み騙されていることが、わかり話しを聞きながら苦笑して頷くしかない。わたしは決してそういう塾の悪口は言わないが、そういう塾にいた結果が今なのではないか、とツッコミたくなる衝動に駆られる。
あなたたちは、とにかく塾に行く、しかし、一年経ち、二年経ち、どうでしたか。何か変わりましたか。
大手を選んだときは、何か勝利者のような態度と余裕を見せて、竹の会に批判的でしたが、一年経って、さて大手は正解でしたか。あなたたちの子どもの能力はどうでしたか。その能力で現状はどうですか。二年経ち、受検を迎えて、現実はどうですか。わたしは、答えを聞かなくても最初からわかっていました。あなたたちの選択が愚かなことはわかっていました。自分の子を大手という、カネの好きな怪物に食われて、カスとして吐き出される、それがオチだということを吐き出されて知る、おそまつさです。