2024.11.09
🟧囚われた精神
ピアノだけは! 部活だけは! 小6になったら習い事は止める! しかし、小6になったらなったで、回数を減らして続ける、発表会まで続けるなどと、悉く前言は覆される。止めた試しはないのだ。後からわかるのは続けていたという事実だ。それで落ちたなら文句も言えまい。
これで受かると信じているのが、私立受験の親とは違うところだ。しかも受検直前になると、異常に合格に執着する。親も一緒になって「なんとか受からせたい」とこれまでの勉強を先送りしてきたことなどすっかり忘れて泣きついてくる。
季節講習もこういう人たちは、実家帰省、法事などさまざまな「これを逃したらもう二度とない機会」を理由に、スキップしてきた。講習などまともに出る気はない、出るときも節約型の、できるだけ安い、少ないコースを申し込んできた。昔はさまざまな出れない日をあげて日割を申し込んで来る親もいたが、すべて退塾してもらった。大手だとありえないことを個人塾だと言いやすいのか、平気で自分の都合を「ご相談」と言って直談判してくる。竹の会は季節講習不参加者については、今後の指導継続が困難として、すべて退塾としてきた。正直、出ない理由などどうでもいいことなのだ。塾の職責を果たせるかどうか、近い将来を見越して上位の成績を維持できるべく、指導に責任を持てるかどうか、それだけで十分である。塾とは、そういうものだからである。出ない人の事情に合わせて、塾の職責を果たせないのに,つまりは成績が確実に落ちることを予期しながら、「わかりました」とニコニコその言い分を飲み込むことなどできるわけがない。こういう人ほど成績が落ちれば今度は塾にいてもしかたないとして「退塾します}と言ってきたものだ。
わたしは、こういう囚われた人たちを相手にすることはしないと心に決めて頑なに退塾として処してきた。私の経験ではなにかと注文の多い親ほど成績が下がれば突如豹変して退塾していったものだ。自分がろくに季節講習に参加しなかったことなど,はたまた部活部活でろくにまともに塾に出席してこなかったことなどすっかり忘れたかのように「悪い塾だ」と言わんばかりの剣幕で消えていったものだ。今はそういう人の相手をすることに疲れたというか、そういう人を相手に余計なことで神経を使いたくない、のだ。
わたしは、今ほど日々の指導を大切に生きている時はない。塾はいつ閉鎖してもおかくない。だから貴重な指導日を大切に思う。ましてや季節講習のような機会を無駄にしたくない。大切にしたい。勉強というのは前倒し,先取りしていくのが絶対条件なのだ。このタイミングを逸したらもはや取り返しがつかない,そういうことがわかっているから季節講習にこだわっているのだ。勉強ファーストに勉強最優先に取り組む子どもだけを、熱心に休まず通ってくる子だけを、季節講習もかけがえのない機会として当然のように通ってくる子だけに、わたしの残された貴重な時間を使いたい,と今は思っている。