2024.11.23
🟪オレはプロだ❗️
これまでにもわたしは時々指導のプロ、受験のプロと自覚したことはあった。特に、母親が竹の会の指導を否定してきたときは、いつも「好きなようにやってほしい」と好きなようにやらせた。そういう母親が受験に成功したことは一度もない。否定とは、「こうしてほしい」という母親のクレームを含む。例えば、「サッカーを軸に据えたいので、回数を減らしたい」、「季節講習は(最低のコース)に出ます」など。母親は、先取り・前倒しをしなければ中3で地獄に落ちることなど毛頭にもない。ちなみに遠くに住む祖父母に会わせたいという理由で季節講習に参加しない事例は実は定番の理由です。それならなにも竹の会にいることなどない。だから私はプロとして退塾としてきた。そういうことは竹の会以外の塾で好きなだけやってほしい。
わたしは、指導の、受験のプロとして、合格するストーリーというものを描く。長年受験を潜り抜けてきたお陰で年々合格のストーリーは正確になる。しかし、いつも母親がこのストーリーを壊す。部活、時にはクラブチームが勉強のすべてに優先するという母親、中3の夏まで部活(都大会・合宿・日曜終日練習など)で潰す母親、実家帰省のためには季節講習も出ない、出ても最低のコースしか出ない母親、都立の過去問を家でやらせてしまう母親、わたしの知らないところで勝手に知らない模試を受けさせる母親、すべてプロを舐めている、ということだ。わたしに伺うこともしない。都立の過去問をすべて家庭でやっても報告もない。過去問をやってできないところを質問させる母親、わたしの指導のプログラムを無視する母親ばかりだ。そんな母親は竹の会に来なくてよかった。わたしはいつも傍観していただけだ。母親が勝手に暴走した時点でわたしにやることはもうない。案の定、みな落ちた。母親が差配してみな落ちた。それで塾がよくなかったと思ったのか、あいさつ一言ない。自分の思うように子どもにやらせたのだから、落ちたのが自分のせいだと思うのかと思ったら塾が良くなかったということにする。
わたしを、信じきれなかったのだろう。というか最初から塾を信頼しない人がやってきた。だからわたしの邪魔ばかりする。塾の使えるところは利用して後は母親の思い通りにやる。そしてお決まりのように失敗する。そもそも母親が「こうして欲しい」といろいろ注文言ってくる時点でわたしのやり方を否定していたわけだからその結果責任は少しは感じてほしいものだが悪い結果はすべて塾のせいとする都合のいい頭だ。
わたしには合格のストーリーがある。ところがストーリーをえがけない子が必ずいる。母親の妨害か、子の能力が足りないからだ。後者ならストーリーがそもそも成り立たない。それでも母親にはだからと塾に不満を言うのではなくもっとやるべきことがある。規定の時間、規定の費用だけでは足りないというのが本質的なことならばやるべきことはあるでしょ。それをやらないままに規定の中だけでうまくいかなかったなど断じるのがこういう母親である。「先生の言う通りにやった」と非難するが、塾には最低の投資しかしていない。限られた範囲の中の「言う通り」だ。そもそも経済的な事情なら最初から塾など行かないほうがいい。塾を節約して最低費用で済ませようとするならそれは最初から失敗することはわかりきったことだからだ。塾、いや教育とは投資なのだから。株式投資と同じだが株式よりは確実な投資だろう。ただ投資にはそれなりのカネがかかる。
プロがはたらけるのはもちろんそういう制限内の仕事では限りがある。制限がかかれば制限の範囲内での最大の効果しかだせない。少ない時間、少ない費用での効果は限られている。成功するとしたらたまたま優れた子どもの能力と家庭学習が成功した場合しかない。しかし、子どもの能力が特に優れていることは希である。もっと言えばそんなに優れた子ならこれは投資してやらないと可哀想である。多くの子どもがひとりでやる家庭学習は無駄である。なにもしないのに等しい。親が見てやればいいのか。サピックスの中学受験コースは家庭で親がつきっきりで教えることを前提としていると聞く。そのため親は、多くの場合母親は仕事も辞めて専念すると聞く。つまり母親が子どもに専念しても経済的にゆとりのある層がサピックスに行きカネのかかる私立をめざす構造なのである。サピックスは教材を提供してその教材に親子で取り組む形である。親はサピックスの教材を予習してさらに勉強することも求められる。だからそれなりな高学歴の親がほとんどである。
しかし、普通の家庭は親がつきっきりで子どもの勉強を見る体制にはない。東京は共稼ぎがほとんどである。そうなると子どもの家庭学習もひとりの家庭学習である。だから能力の普通の子どもにはやらないのと同じである。つまり家庭学習を奨励し、塾に投資するおカネも節約するのなら最初から成功の芽はないのだ。
プロとは制限された中での結果を求められる仕事である。しかし、もし制限がなければ、いやこれで受かるというプロのストーリーに沿って仕事をやらせてもらえば結果は出せる、それが真のプロである。