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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

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2024.09.21

◎高校入試 中学は全力で駆け抜ける❗️
 
 高校受験に失敗する人❗️
 ・小学の基本ができていない
 ・中学の勉強のスタートが中学に入ってから。というかスタートの意味がわかっていない。
 ・小学の基本ができてないということは、小学の期間を勉強先送りで来たということ、だから旅行、娯楽、習い事、稽古事に力を入れて来たということ
 ・中学は勉強に常に「いる」こと 少なくとも高校入試に成功するには勉強最優先で、勉強に専念すること もし高校に合格すれば、今度は大学受験のためそれまで以上に勉強に専念することになる。親に覚悟がないと、というか親の認識が浅い、甘いと期待を裏切ることなく失敗する。
 中1の12月を超えるともう中2である。そして、受験対策の根幹部分は、遅くとも中2の終わるまで、理想は1学期に終わらせて、夏から過去問に入れるくらいが正しい。
 中3の6月にはV模擬、駿台模試が始まる。すなわち遅くとも中3の5月には、模試で上位にあるためにはそれなりに仕上がっていなければならない。中3になって4,5の2か月でもう模試である。
 わかりますか。中3になってそろそろ受験勉強を始めるかなどという、アホがいるのです。
 いやいや中2の秋まででしょ。終わらせるのがです。
 とにかく人生というのは「いる」ことがすべてなんです。いつも家庭の机に「いる」こと、塾ならいつも「いる」なという存在、この「いる」が「ない」とやはり成績は悪い。
 夏も「いない」と感じた生徒は、やはり模試も悪い。それは如実に現れる。 
家庭で一生懸命に頑張っているのになぜ良くならないのか。それは「いない」からです。家庭でやる勉強というのは、主観的な、偏見のままの、弱い、点が悪いからと、思いつきでやる、独りよがりの勉強です。
 「英語の入試問題が解けない」という生徒がいましたが、去年の子たちが、夏休みに100回ほど過去問を練習したことを知らないと思います。つまり家庭学習ではなかった。竹の会が請け負ったのです。一人で頑張ってなんとかしようということは思うように成果は出せない。夏はそれができる最後の唯一の機会でした。わたしは夏の選択が合否を決めるとずっと申し上げてきました。これほど指導できる時間はないですね。自分で裁量してやること、これは失敗のリスクを背負うということです。
 常に指導の目を光らせている中で、自分の状況を客観視している指導者のもとで勉強するのがベストです。家庭学習は悉く失敗しております。令和4年都立中全落ちは、新型コロナにより、破滅的な中で、塾を休んで家庭学習でやるなどという、指導を価値なしとする態度を露わにする家庭も出てきました。もともと大手から小6前後にやってきたとか、経済的にカネをかけられないという家庭がおおかったので、節約タイプのコース設定のみしかありませんでした。
 要するに、合格すること可能性があった子も、指導時間不足で落ちたということです。わたしは家庭でやる勉強なんか効果ゼロだろうと知っていました。過去の合格者は、少なくとも指導時間は譲歩しながらもそれなりに確保できていました、少なくとも夏8〜10回の指導で受かることはありません。合格するには、合格に必要な指導時間数というものがあります。もちろんそのほかに内申点、それはその子の知能をある程度証明する蓋然性が高い。つまり、知能というか、能力というか、それが原因で合格できないという子も多数いると思われます。
 勝負は小学期にある。しかも低学年が勝負だ。小1では徹底して正しい字形を訓練しなさい。筆圧、書き順、丁寧にゆっくりと漢字を覚えるのです。
 小2になったら、計算をマスターしましょう。マスターするとは、難関中の入試に出される計算問題が解けることを言います。これまでの竹の会の実際では、小2の夏からの入会で、小3になる頃にはその域に達しています。計算をマスターしたら、割合の訓練、というか思考訓練に入ります。
 算数というのは、頭をよくする最高の科目である。まずx,yと言った文字を使ってはいけない、というのがいいですね。問題を解くには、圧倒的に情報が少ない。これはそういう情報はなくても解けるということですから、ますます面白くなってくるわけです。問題の意味を様々な角度から考えて、何かないかと考える。工夫が求められるわけです。定型的工夫というか、面積図はいいですね。面積図も、シンプルなものでは、ダメなことも多い。さらに面積図の精神を何段にも適用するという工夫もあります。ダイヤグラムも一つの工夫です。これには相似と比が絡めるのが定番の出し方です。このように工夫には図を書くことが必須です。事実を図にして、そこから隠された何かを見つける、これはよくあります。算数というのは、少ない情報、限られた、いや、あまりにも少ない情報から解けというようになっている。通常の数学のように、足りない情報はどんどん文字に置き換えて式にしていくという方法はない。要は、そんなことしなくても工夫したら解けますよというのが算数なのである。親には、方程式を使って子どもに教えているのをよく見ます。「方程式を使えば簡単なのにわざわざ難しい解き方をする」などと言う親もいます。これは解けさえすればいいという考え方です。算数を誤解しているのです。算数というのは、工夫する学問です。頭を使う学問です。算数をやることで、様々な工夫を学び、頭は柔らかくなります。難しく解いているというのは、算数を理解しない親の偏見です。わたしから見ればなんとシンプルで芸術的に見えることでしょう。
 算数をやっていると、数学というのが、数式の論理だけで、ほかに全く工夫が、欠落していることがわかります。算数をやっていると、事実の読み取り、図をかく、意味を読み取る、工夫をする、そういう思考の輪郭ができてくるのがわかります。つまり、算数は思考を作るのに最適最高の科目なのです。特に、多くの小学生が挫折する「割合」は、最初の思考枠組みの設定としては、最も優れた思考様式だと考えております。
 これまで学校の、あるいは塾のテキストにそのままの説明で、多くの小学生が割合というものを立体的に理解できなかった、してこなかった。竹の会は、このような小学生の不分明に風穴を開け、風通しをよくし、脳内に思考脳を形としてきた。それは、細口の瓶の中に、帆船を組み立てるようなものです。一日一日コツコツと丁寧に丹念に積み上げていく作業です。そうです。これはなかなか時間のかかる仕事です。だからわたしは小2あたりから始めるのがいい、と考えたわけです。ネックは、すべての小2が指導可能なわけではないこと。ありがちというか、小2の通有性なのか、すぐ飽きて何事も長続きしないことです。席を立ってウロウロする。机の上で手遊びをする、隣、前後にちょっかいをだす、挙句コクコクと居眠りを始める、大方の小2の有様です。言われたことを黙々とやれるのは、持って生まれた才能のように思います。小2でも小3でも同じです。こういう子がいるのです。それも少なくない数です。
 もし集中という、才能を持つならば、竹の会は、そういう子たちには、かけがえのない出会いとなり、無事子どもたちの思考を丁寧にそれは丁寧に慈しみ、やがてはタフな抵抗力を培い、どんな難問にも屈しない、考える人間に仕上げて、その結果を受験で証明することでしょう。
 わたしは、今の仕事をやがて止めることとしています。ですからわたしの指導を受けられるのはあなたたちが最後になるのかと思います。
 わたしの追い求めたきた何か、それは、いつも「これは違う」「何かが違う」そういう思いから、いつも新たな試みがなされた。竹の会はOBからよく「進化する塾」とだと言われた。毎年やることが違うから、変わるから、そう言われるのも仕方ない。わたしは、常に、何がよかったのか、悪かったのか、反省し、いつも新たな試みを試してきた。英文解釈のテキストが、今の研究社版高校用英語副読本に落ち着くまでにどれだけの変遷を重ねたか、結局開成高校合格でこれに落ち着いた。
 長い年月、都立の理科と社会は、悩みの種だった。今の「ポイント集」が完成して、もう悩むこともなくなった。
 これからのわたしは、参考書執筆家として、生きることになろうか。
 竹の会のこれまでのような塾は終わりとし、少数の子たちを指導する形としては残したいと考えております。

◎参考書執筆家❗️

 塾を引退後のわたしは、2つのことを考えています。
 一つは、参考書執筆家として残りの人生を送ること
 わたしには、わたにしか書けないであろう参考書のアイデアがつきないのです。
 それから指導はわたしの天性の才能と心得ております。今後は、数名を英才指導する、これまでと全く違う、竹の会を考えております。半分趣味としての塾となるかと思います。したがって季節講習というものはありません。

 まだペンを取っていない、数学、国語について、参考書を書きたいとずっと思っていました。一番得意な、竹の会の看板ともいえる数学の参考書が書けないのは、入試問題を使えないからです。著作権の問題が解決できれば、本当は数学の参考書を書きたくてうずうずしています。
 全体を俯瞰して、ズバリと核心を突く解説書を書きたいな、とずっと思ってきました。
 わたしならこう書くのにな、と既存の参考書を冷たく見てきました。わたしの参考書は竹の会の講義そのものです。核心をついた講義がわたしの持ち味でした。わたしは、わたしの講義をレジュメにしたのでした。
 著作権の問題がクリアすれば、算数、国語の参考書も執筆できるとおもいます。 
 もう一つ。竹の会を廃業すると言いましたが、正確には、厳選した、したがって高難度の入会試験に合格をしたこと、内申評価の高いことを条件に、数人の子たちを、英才指導する、そういう形でならやれそうだと思っています。竹の会から開成高校をなどの難問校に合格させたい、そういう思いはあります。
 参考書執筆の傍ら、わたしの天性の完成された指導を今度は、天才たちに限定して、生かしていきたい、と思っています。

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