2024.10.08
◎知識の「預金」
わたしは、中1が終わるまでに、できれば中1の冬までには、中3の入試標準レベルまでは終わらせることが、受験成功の鍵になると考えています。少なくとも学校の進度と合わせた勉強は中3で破綻することはわかっています。ところが
そのことを理解しない親があまりにも多い。さらには驚くことに学校の授業だけで、トップ都立に合格できる、と考える、甘い認識の母親をこれまで数多く見てきました。中2までの内申がトップクラスなので、塾にも行かないままに、「日比谷に行きたい」などと言うわけです。日比谷の内申はオール5が普通ですから、推薦も何倍かになる。
そしてもし仮に推薦で合格しても待っているのは、落ちこぼれの確定です。推薦の中身は99%の落ちこぼれと1%の天才です。
推薦を落ちたら一般ということにはならない。推薦受験者のほとんどはまともに受けられるのは、内申の力を借りて、都立目黒以下になると思います。塾に行かないで内申がいいという生徒は、実力はゼロと考えていいと思います。
学校の進度に合わせて勉強してきた人は、実力はゼロです。一般受験などできない実力です。ですからそのいいとされる内申を武器に私立の推薦を狙うしかないのです。しかし、こういう人たちが、難関私立、トップ都立を取れることはまずありえないのです。
すべては、成績がいいから塾には行かないで済ますという、女子特有の家庭の家計を思っての選択です。
わたしは、難関私立とトップ都立を想定して、成功するにはどうしたらいいかを語っています。
まず経済的に塾は無理、あるいはそこそこの費用しか出せない、そういう家庭の子はこの受験の対象からは外れるしかありません。
高学歴は、カネ、投資です。熾烈を極める中学受験は、カネ次第です。カネをかけないで、本人の能力に依存する受験のスタイルは、昭和の話しです。もちろん能力が高ければそれに越したことはない。しかし、能力が高くても塾に行かなければ受からない。だから能力が高いことは、成功率の高さしか意味しない。
わたしは、この夏の勉強量がこれからの未来を決めるだろうことはわかっていました。本当に高校入試で成功したいのなら、盆正月の実家帰省などしている場合ではないのです。部活は確実に受験を不成功に終わらせるでしょう。能力が低ければ低いほど部活は落ちこぼれを決定づけるでしょう。
わたしの理想は、夏休み全てを使ってでも指導時間を注ぎ込むことでした。そこまでやって初めて難関私立に合格することが可能なのです。
家にいて勉強するか、たいていはしない、また指示、指導なしの、恣意的な家庭学習など非効率かつ低生産的です。
わたしが四六時中指導できてこそ、初めて伸びるのです。極端に言えば、付きっきりでなくてはダメということです。わたしが毎日指導すればたちまち変わること、そんなことはわかっています。
わたしは、いや今の私は、指導の到達点にある、と思っています。これまでの長い苦渋と苦節の指導体験が、わたしをある域に到達させたのだと思っています。今の私なら、立ち所に、子どもの知能段階、理解段階、何が足りないか、すべて見ぬいてしまいます。できない原因、これは大きく2つあります。1つは、能力ですね。これは生まれついてのものですから、どうにもなりません。能力にもよりますが、努力によって上積みされる部分はもちろんあります。しかし、能力というのは、自ら伸びる特質であり、天才は成長するということです。
2つ目は、能力の点が問題なければ、指導時間量ですね。これはどんな天才でも指導なしには成り立たないという認識を前提しております。
わたしには、できない症状について、その原因、処方というか、治療がわかるということです。
端的に言えば、塾にかけたカネと時間があまりにも少ない、足りないということです。それは家庭でほとんどまともに勉強していない、あるいは勉強したとしても塾の指導なしの勉強にはほとんど効果が持てないということを前提としております。
それほどわたしの指導には付加価値があるということでもあります。家庭学習ではとても届かないほどの効果があるということです。ここでも親の認識の浅さがありました。ただ規定の回数を通って入れば成功すると信じている親が実際にはいたわけです。最低の時間、季節講習も最低の時間、それでも受からなければ、「先生の言うとおりにやった!」のに落ちた、と非難するわけです。
何度でも申しますが、指導時間最低では、絶対に受かりません。
約40年の指導体験が、わたしに多くのことを教えてくれました。受験塾というのは、毎年入試という結果で、その価値が試されます。わたしの夥しい数の経験は、どういう諸条件が、合格に結びついたのか、それは毎年なように検証かつ実証されてきたわけです。そうした経験を踏まえて、わたしは、受からない、受かる、ということを判断というより、直感しています。
季節講習は、長時間の指導ができる、重要な機会です。塾にカネをかけないというのは、受験失敗を選択したに等しいのです。ある親は中3とか、小6とか、受験の年になったら、と考えているかもしれません。いや受験の年になってもカネをかけない親はやはり最低で済ませて受験をすることことの方が多いようです。
軒並み落ちた年がありました。小6は10人ほどいましたか。ネットで落ちた親に嘘の数を書かれて参りました。誠意をもって指導してきましたが、なんと言っても指導時間数の不足は否めません、子どもが家で真面目にやらないタイプというか、課題、作文などを嫌がる、漢検などは一切忌避する姿勢で、「これで先生の言うとおりにやったのに」と言う親は何も把握していないこともさることながら、そもそも受験というのは、塾に行く=合格ではないと言うことが、当たり前の常識が欠落しているのには呆れるしかなかった。
指導時間量を増やせば当然のように力はついていく。特に、季節講習は決定的で、特に長い学校休暇となる夏は唯一の機会と言っていい。この時、これまでできなかった長時間の指導をすることによって、飛躍的に先へと進めることができる。
繰り返すが、高校入試は、前倒し、とにかく早く進めた者が勝つ仕組みである。学校の授業に合わせて勉強していれば、受験には間に合わないのだ。遅くとも中2が終わるまでには、偏差値65程度の高校の入試問題は解けるようになっていなければならない。断っておくが、そのような私立高校の問題は、都立高校の数倍難しく、都立高校の問題は、共通問題でも、学校では教科書を教えるだけだから、全く対応できないということは知っておかなければならない。
わたしは、理想としては、中1まで、できれば冬休みまでに、終わらせることだと思います。
しかし、これは通常の指導時間では無理です。また夏も最大に、例えば、αのようなコースがあれば、参加は必須です。
高校受験というのは、やることに終わりがない。中3の時間全部を対策に使えれば、というか使えなければ対策は取れない。多くの中3が、結局中2までに終わらせることができなくて、中3になっても、対策以前の準備をしているのが実態です。だから苦労するのです。
わたしが責任を持てるだけの指導時間がない前提で、指導は尽くすとしても、最近の都立失敗の理由ははっきりしています。内申が微妙か、時に足りている場合でも、当日点が取りきれないケースがほとんどです。つまり、当日点が模試のとき取れたものが、壊滅的に取れないのです。理科、社会がこのパターンが一番多い。英語や国語などの語学は、積み重ねの科目ですから、本番でそこまで落とすことはない。取れないとしたら実力不足です。
数学も竹の会では概ね本番では成功しています。つまり、当日大失敗する可能性は少ない。もちろんこれももともと実力のない生徒が志望校を高めにすれば取れないのは当たり前です。
竹の会では、英語も数学も、指導体系が確立しております。だから早目にやれる道筋はできており、早くやらないで、先送りするのは、実は、後々破綻する選択をしていることです。
国語は、漢検2級まで取っていれば、国語の共通問題は、学校レベルです。独自校や難関私立の国語は、大学入試の共通試験出題の文章とほぼ同じです。つまり、評論なら、かなり難解な読解が求められる。問題集をやる、つまりアウトプットが中心の勉強で、解答法を掴んでいくのがやり方になるかと思いますが、できれば本格的な、評論文集を読んでみることです。明治書院や筑摩書房からいいのが出ています。竹の会では中2の春には教材として用意すると思います。竹の会の教材は、すべて季節講習に附属する形で配布しております。節約型コースでは教材は附属しない。教材も値上がりして、一冊単価は3000円前後します。これは仕入れ原価です。塾では、教材に独自の定価をつけて売っていいことになっています。だからかなり高い教材費をとる塾も多い。竹の会では、指導時間を目安に、無償にしています。またさまざまな予備校や大手塾の教材を手に入れて無償配布もしています。これは最高の指導効果を達成するために、必要な教材は手を尽くして手に入れてでもやらせる主旨です。特に、αコースでは全ての教材を無償にして、必要なときは、配布できる、ように備えています。
私立難関は、古文が一問出ます。だからその対策が必要です。ただ中学では古文の文法はやらないから、物語のあらすじが分かれば解けるものばかりです。現代語と似ていても意味の全く違う言葉がありますから、その辺を押さえておくことです。できれば宇治拾遺物語やできれば徒然草なんかの訳付きを買って暇なときに読むといい。いいのが日栄社などから出ています。竹の会では夏に古文読解のテキストを渡していますので、それを終えたら、過去問で練習を積んだ方がいいでしょう。
わたしが、懸念するときは、たいていその懸念は当たります。何か足りないな、と思ったとき、手を打つ、それに応えてやってくれれば問題ない。過去には、模試を2回外部で受けただけ、内申の詳細は一切報告しない、過去問も家庭でやり、わたしにはできたのかどうかがわからない。手を打つにも打ちようがない。そういう生徒というか、親がいました。とにかく自分限りでやると失敗は確実です。
先送りする家庭、生徒は、結果が見えています。
また節約型コースしか取らない家庭も、志望の都立や私立に行ける可能性は低い。たいていは、平均的なら私立の単願推薦になります。つまり、都立には行けない。今は、日大系列も比較的簡単に推薦が取れる時代です。都立駒場だと専修大あたりが、併願の相場でしょう。今年青山に合格した女子は、桐蔭プログレスに推薦を取れています。ただ季節講習には目一杯出ています。繰り返しますが、家庭学習では、中学生までは、無理です。高校になれば、家庭で勉強できない生徒は脱落していきます。高校というのは、主体性が前提です。予備校は「利用する」のであり、これまでのように、何から何まで面倒見てくれるところではありません。言うならば、頭脳戦です。例えば、物理のような科目は、単科で利用する、化学も同じですが、化学は物理と違い独学可能です。英語とか、数学は教科書レベルをまず完全マスターすることを優先です。それまでは予備校のことは考えなくていい。国語は、古文は学校の授業で十分です。現代文はこのときこそ教科書です。高校は基本、大学入試は教科書だけて対応できます。ただ数学、英語など、アウトプット用教材は必須です。そして大学入試ほど参考書が充実しているのをわたしは知りません。英語ならこれ、数学ならこれとなんでもあるのです。
わたしも受験のときは、参考書のみでした。例えば、英語なら、原仙作「英文標準問題精講」、赤尾の豆単でした。今、教える立場になって、英文法を直接にはやらなかったのによく受かったと思います。数学はもう絶版になっているであろう「数学技法」シリーズです。これで数学の基礎を固めたら、Z会の200題ほど問題&解説が載っている、薄い問題集だけでした。これはもう50回は回しました。わたしは、豆単で、単語1万語ほどを約3か月で覚えました。語呂合わせです。国語、特に現代文は得意科目でしたが、国語の教科書を毎日音読しただけです。古文は徒然草をやったり、枕草子をやったり、小西の「古文研究法」を何回か読んだ程度です。社会は日本史、世界史とも「山川用語集」だけです。生物は、数研出版のB6版の問題集です。わたしは一科目一冊主義で、その一冊を何回読むかが勝負と考えて、最低20回から50回は読みました。赤鉛筆と青鉛筆を使って線を引いたものです。用語集は最後は黒のボールペンで、覚えたものから塗り潰していきました。年表は語呂合わせです。古語も語呂合わせで覚えました。漢文はもう名前も忘れた薄い冊子でした。
大学受験は、参考書だけで受かります。また予備校ものを上手に使えばさらに効率よくやれるはずです。教材だけ手に入れるために、予備校の講座を申し込む人もいます。
予備校は、惜しくも、もしくは実力はあったのに運悪く落ちた人がいくところです。教科書も理解していない人がいきなり行くところではありません。