2024.10.15
○V模擬A判定でも落ちるのはなぜか❓
数学・英語が、90点超を越した経験のない生徒は、落ちる可能性が高い❗️
理科・社会50〜60点は、落ちる予感しかない❗️
数学、英語が共通問題で90点を超えないというのは、要するに、実力がないということである。
また、社会、理科は、悪くても80点は取らなければならない。
理科が60点前後というのは、問題を読み解く力が欠落している、という証拠である。
さて、これからの勉強は、どうすればいいのか。
数学、英語は、一朝一夕にはどうにもならない。もし現在点が8割いかないのなら、これまでの勉強が消化不良ということである。数学でも英語でも「遅い」「遅れている」のは、致命的なのである。「遅れた」のは、理解度の問題もあるが、多くは、指導時間が足りなかったということである。特に、季節講習の時間が少ないほど、「遅れ」は顕著で、「遅い」印象が、暗雲を立ち込める。
このままの推移で成績はそうは変わらないのが、V模擬の現実である。つまり、10月理社60点は、12月も1月も変わらないのだ。勉強すれば上がるということにはならないのだ。中2までに仕上げる、これしかないのだ。これも「遅い」ということの結果である。
数学・英語が、90点超取れないままに、それなりの都立を受けるのは、危険⚠️である。
「遅い」から「遅れる」、ならどうするのか、こういう生徒は指導時間をたくさん取るしか成功の芽はない。「もしかしたら」とか、甘い期待は、脆くも打ち砕かれる。A判定でも、B判定でも、落ちているのは、そのためである。実力がそのままに反映されてA判定ということにはならないのだ。なぜか。内申が、実力をうやむやにするからだ。換算内申が58あり、V模擬でA判定取ったとしても、内容をよく見ると、数学、英語が80点にも達していないことがわかる。これは本番では落ちの目なのだ。こういう子ほど、合格に不安をもちながら、期待も募るが、しかし、当日奈落の底に落とされることになる。これまでの経緯は例外なくこのパターンである。
ではどうすれば良かったのか❓
季節講習は目一杯取れ❗️
特に、中1は、指導時間不足による、「遅れ」がもたらす「遅い」が、決定的な結果となることに留意してほしい。中3ではもう何もできないのだ。中3になってなどと考える親も子も受験というものを知らない、つまり無知であり、都立失敗の可能性はかなり高い。
勉強の成否の判断は、「遅い」かどうか、でわかる。「遅い」なら、指導時間は目一杯取らなければならなかったのだ。「遅い」という現実をそのままに先送りしても良くなることはないのだ。
この事情は、小学でも変わらない。「遅い」のは、指導時間の不足が原因である。能力で「遅れ」る場合は、指導時間がどこまでカバーできるか、という問題である。能力はある、しかし、遅れると、というゾーンがある。これはもちろん指導時間がものをいう。
要するに、能力があるから指導がものをいうのである。能力がなければ指導は困難なのである。能力があっての指導である。だから、能力があるから塾はいらないというのは、少なくとも高校入試までは間違っている。高校入試こそ塾の果たす役割が重要といえる。ただ塾にもいろいろある。というか世の中の塾は、基本やり方は同じで
つまり、テキスト、講師、授業の形式を取るのが、一般であり、種類と言っても、集団か、少人数か、個別か、個人かみたいな形式が違うだけで、やってることはみな「教える」ということである。個別と個人の違いは、前者は、設備を細かく個人単位に仕切り、同じ講師が一人一人を「教える」という形式である。教えてもらうという本質は変わらない。要は商売塾のまやかしに過ぎない。
竹の会は、個人単位に指導する塾である。教えるを忌む。どちらかというと「わからせる」、自分の思考力で「わかる」ことを指導する、と言っていい。だから、指導の重点は個々的な問題の解き方にあるのではなく、思考力をつけることにある。今問題となっている問題が解けない、わからないなら、その問題を教えるのではく、より前の段階の問題で、思考段階を検証する、ということである。問題を解説するのは、思考のどこが浅いのか、足りないのかを示すのが目的であり、いきなりわからない、即問題を解説することはしない。たいていのわからないは、読み取り不足であり、読みの浅さがもたらす、つまりは、能力に行き着く。思考を育てるということは、深い思考、論理的、いや常識学を極めることである。何が常識で、何が非常識か、常識的に見えて、あるいは常識を語っているように見えて、実は、常識じゃないというのが、一般の嘘社会である。だから思考というのは、常識を疑うところから始める。国語でも同じで、我々は、当たり前とすることで思考を停止している、いや追いやっている、つまり前提としての常識を省略しているからわからないのだ。
だから指導というのは、何が読み取れるか、常識学を鍛えることにつきる。問題文の読み取りを通じて常識を学ぶことを指導しているのだ。
竹の会は、そのための教材として、レジュメを開発した。竹の会のレジュメは、常識を学ぶには、つまり、思考のやり方を学ぶには、目的合理的な作品かと思う。問題のセレクト、解説の一覧性、思考の陥穽を救い上げ提示、よって理解の深さを示した。
竹の会の指導技術は指導歴40年によって技術を積み重ねて、子どもの理解段階、脳の水準、未文化脳を如何に識別可能に概念分化させるかなど指導の機微を凝らして、リアルタイムで、いわば子どもとの駆け引きをする。子どもというのは、「できない」、「わからない」というのが、つらい。その辺を突かない、いや微妙に誘導して突く、私は子どもの答案を見て一瞬にその理解段階を見抜くことができる。そういうときは、黙って、処方を施す。
中学の成績不振の原因、予想外に不合格となる、のは実は私の想定の範囲内ではある、その原因の答えはわかっている。指導時間が足りないのだ。特に、直前に落ちた中3は、指導時間と指導が絶対的に足りなかった。いろいろいたが、母親が過去問を家でやらせて、終わらせた、というのがあった。過去問は欠点を見つけるために使うのだ。今、どれくらいの実力があるか、だけではもったいない。なにかにつけて母親が仕切り、結局失敗する。指導時間だって、まともに講習も出れないほど部活にのめり込んで、受験の足を引っ張ることばかりをやる。
竹の会の規定の回数だけで合格はない。塾を最低限利用して、情報を得る、安上がりに済ますというのは、無理である。よく大手の夏だけ、体験するというのがあるが、無意味である。講習というのは、普段のコースを前提として、さらなる実力の積み重ねを図る趣旨であるから、塾に行っていない子が突然受ける体裁になっていない。
竹の会の場合は、普段の時間不足による遅れを取り戻す、さらなる前倒しをする、などの意味があるから、これを飛ばすことは、普段の指導にさらなる遅れを来たし、成績低下は時間の問題であり、「塾に行っているのに成績が振るわない」というクレームとともに退塾するのがほとんどであるから、講習スキップは、早晩の退塾を選択していることに他ならない。
普段のコースに通い、成績が上がらない、むしろ不振、そういう家庭に限って、季節講習にはろくにでない。普段のコースも能力の関係で機能していないのに、季節講習で、挽回の機会もないわけだから、落ちるに決まっているのだが、親の選択とは経済的ない理由がほとんどで勉強を捨てることになる。
もともと経済的に困難なら塾は行かないことである。塾とは、季節講習で伸びるところだからである。中途半端に、不徹底に塾を利用するのは、不毛な選択となる。