2021.06.21
「中学になっても、先生のレジュメで勉強したいです!」
あるときの、ある小6の女子が、こう言いました。この言葉が心を打った。竹の会の、私の産み出したレジュメは、今は、私の手元を、離れて一人歩きしている。精魂かけて創ってきたレジュメの数は今では膨大な数量に上る。
一人歩きしているというのは、レジュメに私の精神が乗り移って、まるで心があるかのように子どもたちを指導している、という意味合いである。
わたしは、子どもたちの理解の段階を細かに想定して、それぞれに見合った、繊細に注意を凝らしながら、丁寧なレジュメ創りを心がけてきた。
もう中学はいいかな、そう思っていた。嘘偽りのない私の本音であった。今年の結果を見て、もう高校受験は終わりにしたい、そう心に決めていた。一つには、最近の子が、ちょっと違うのかな、というのがあった。正直に見えて、実は、誤魔化しがある。私が見誤っていた、と言えばそれまでであるが、平成10年前後までの子どもたちというのは、ごまかしてもすぐばれた。それだけ単純であった。近頃はわたしにはわからないところでごまかしが見えない。こうして、一つは、ある種の不信感が醸成してきた、のだと思う。自分のことを「語る」「話す」子なら、その子の考えていることは概ね推測できる。しかし、寡黙、沈黙、無言、そういう性格だと、都合の悪いことは「隠蔽」しがちで。わたしには見えない。これはこういう子の定番の性向である。こういう子には、裏切られることが多い。裏切られるというのは、さまざまな現れ方をする。私の想定しきれない何かが、あるに違いない。それが何かはわからない。少なくとも私には順調に見えて、実はそうではない。私の直感が何かはわからないが、とにかく不安を感じとる。そしてその不安は見事に顕在化するのである。手応えのない何か、不安とはそんなものだ。本番に送り出しても確かな確証がない。不安は確実に現実となる。間違いなく本番で露呈する。本番でできない、というのは、通常の理解を明らかに超えている。わたしの知らない何かがあったことは間違いない。わたしは、確証のないまま、とにかく私の本能的な嗅覚がただならぬ不安を嗅ぎ取って、不安を募らせるのだ。期待は見事に裏切られる。
私の予測の範囲にない、何か、それは、落ちても仕方ない何かがあるに違いない。
私の期待通りの結果が出なかった、その一事で、真実は既に自明だった。特別の原因なんてなかったのだ。当然私の期待したら通りにやらなかった、当然の結果だったのだ。
何をやったのかは、どうでもいい。とにかく本番の日に、できないというのは、普段において私の期待通りに動いていなかった、それだけのことだったのだから。
今の竹の会は、特に、中学の指導では、レジュメが、果たす役割は大きい。私は
レジュメの操作を通して生徒を誘導していく。竹の会のレジュメには、魂が吹き込まれている。
だから、「中学になっても、先生のレジュメで勉強したいです!」という言葉には、どうしても動かされてしまう。
私の心の琴線を見事に突いてきたと思う。
私は私の苦心の作であるレジュメをとても大切に思っております。そのレジュメに従いたいという申し出が私にはストライクなわけです。
これが最後と引き受けることにしたけれど、やはり一旦引き受けたら大変だった。レジュメの微調整、書き直し、編集のし直し、新レジュメの制作の必要性と追われるハメになった。さらに、数学の解答、解説は、私が、20年以上前に解いた、書いたものだから、中には、難しい解き方をしたものがある。今ならそんな解き方はしない、というものがある。そういうものは解き直して、新たに解説を書き直したから、つまり改訂新版みたいなことになり、これもノルマを増やすことになった。まあ、中学生を引き受けるということは、また一人の子の将来を見据えて全責任を負うことだから、半端なことはできない。どうしても帯や襷をそのままに転用することはできないから、改めて寸法から測って作り直すことになる。軽い気持ちで引き受けるととんでもない負担を背負うことになる。
また中学生というのは、8割が落ちこぼれていくから、私の仕事も突然終了ということもある。竹の会では、中学生は、小学校からの継続で、2人前後取ることがあるが、その子たちが高校受験まで頑張れるかは別で、大半は、部活やただの怠惰で、1年ももたない。
これまで落伍した生徒によく見られる傾向としては、市販の参考書などをやりレジュメをやらない、部活がほぼ毎日続きレジュメはほとんどやらないで居眠りで終わる、スマホばかりいじっていて手から離さない、ゲームや漫画にはまる、勉強から気持ちはすでに離れているのだ。
だから竹の会の高校受験生は、毎年1人か0である。最後まで残る子は少ない。
竹の会の中学生指導について
小学生からの基礎訓練がなければ中学の指導は無理と思います。
理想は、小学低学年から竹の会の基本訓練を受けて来たことです。
そのような前提があれば、中学指導の開始は、小6の2月から始めて、中学入学前に、英単語500語、数学は、一次方程式、できれば関数まで終わらせることです。
竹の会の目論見
一気呵成に数学、英語の中3履修事項を終わらせることです。
理想は、中1までに。遅くとも中2の夏までに。
竹の会の理科、社会
中学3年間の知識をまとめた、これ一冊で都立満点が取れる、テキストを中1の春から投入。
豊富なレジュメでバックアップ、中2が終わるまでに数回回す、高校受験までに50回は回すのが目標
竹の会の国語
漢検2級推奨。都立共通問題は、特に、対策必要なし。
中1の夏から、主として、過去問を潰していく。目標100年度分。
竹の会は、独自問題出題校を想定した指導をしております。共通問題出題校では、小山台、駒場、少し下げて、三田、文京までです。
竹の会では、受験生の弱点を見つけると、ベストの参考書、問題集、まとめなどを提供するとともに、レジュメによる補強を逐次致しております。
例えば、
○国語読解訓練補強
論説文集による読解の指導
○理科補強
○社会補強
○英作文補強
など
高校受験全盛時代の竹の会の教材
現在の「高校入試過去問撰」の元はこのテキストです。平成10年に上原中の鈴木君がこのテキストを使って早稲田実業高校に合格しております。この100問にはわたしの手書き解説がありました。その手書き解説をレジュメ化したものが現在の解説レジュメです。
当時の解説レジュメです。
竹の会の定番テキストだった「英語指導案ⅠⅡⅢ」は今は1冊にまとめられて「新英語指導案」となっております。
英語指導案の初版テキストは、平成5年頃なのかなと思います。
その後、「入試英語指導案」が出ました。
竹の会の英語は、新宿高校の生徒を相手に授業した1年間の板書を新宿高校のTさんが実に見事なノートを取りまして、わたしは、これをコピーさせてもらって1冊にまとめました。
これがね「高校英語概論」でした。
高校入試全盛時代の竹の会は、テキストを開発することに燃えておりました。