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なぜ伸びないのか

2015.11.25

  おはようございます。本日は、渋谷Aの11月最後の指導日となっております。冬期集中指導のため11月、12月は変則的な日程となっております。11月29日は12月第1回の指導日になります。

 また冬期集中指導は、11月申込です。今冬は外部生の受け入れもしています。

 さらには、2月指導開始の都立中をめざす小4の申込も受付開始しております。 また、将来進学指導重点校をめざす小5、小6の募集もしております。ご関心のある方はお問い合わせください。

 ○なぜ伸びないのか

  竹の会には、「小5標準」という入会試験があります。対象は、小4後半から小5前半までです。小4の2月にA合格した子もいれば小5の後半で準合格という子もいます。つまり、能力というものは、必ずしも年齢に比例するわけではない。ほかに「小4標準」という入会試験もありますが、こちらは小3から小4前半を対象にしています。能力判定ということから言えば、「小5標準」のほうが正確です。「小5標準」の完成型は、平成25年2月に実施されたものが、範型となっております。このとき合格した、当時の小4女子が、本年2月に桜修館に高得点合格しております。「小5標準」で準合格とした子については、入会後の「伸び」は芳しくないことが実証済みです。ただし、唯一例外が1名いまして、この子は都立中受検には失敗はしましたが、今は中学生ですが、わたしの見込んだとおり、順調に成績を伸ばしています。つまり、わたしはこの男子については、「中学になってから伸びる」と判断したわけです。その判断の根拠は、小学時代に示した能力の片鱗に気づいていたからです。このような能力の片鱗を示す子というのは実はそんなにはいない、たいていは伸びない。「準合格」者で将来伸びるかどうか、の分岐点は、おそらく類い稀なる勉強実行力であろうか、と思っております。たいていの準合格者というのは、この勉強の実行力で劣ることが多いことがわかっております。ですから、勉強の実行力がかりにあっても「伸びない」子の存在というものを確認できておりませんから、ここは未知の領域ではあります。

 なぜ伸びないのか。もとをたどれば能力がない、ということであろか、と思います。能力と一般的に言ってみても漠然としておりますが、要するに、抽象化できない、具体的なものの枠から出られない、ということなのだと思います。幼児が目に見えるものしか考えられない、具体的にしか思考をつなぐことができないように、程度の差はあれ、概念的な操作で思考をつなぐということができない、ということだと思います。思考というのは、極めて抽象的な作用です。ですから、思考を育てるというのは、この抽象化作用というものを訓練していく過程であるわけです。分数を学ばせるときも実はかなり抽象的な思考をはたらかせなければならない。分数の繰り上がり、繰り下がり、ということも、具体的に、つまり単に操作のしかた、形式、形で覚えようとする子と、繰り上がり、繰り下がりの意味を抽象化して理解しようとする子では中身がちがうということです。具体的なものから離れられない子、こういう子は結局「伸びない」、伸びることが不可能なわけです。抽象化できる子が伸びる。そういうことなのです。抽象化できない子というのは、具体的なもの、それも個性ある具体的な事実からしか考えられない。問題ごとにすべて特殊な場合であり、その度に一から考えるしかない。抽象化してすべての場合に柔軟に対応していくことができないわけです。だから、問題のたびに、振り出しです。形で覚える、やりかたを覚える、操作を覚える、それで「できた」という外観をだけは繕う、ということです。これが伸びない子、できない子の真実です。

 指導するというとき、そういうことを考慮に入れて、まず指導にとりかからなければならない。ところが大手というのは、子どもの能力について、そういうことをまず区別しないで、「教える」わけです。わからないならわかるまで教えるというけれど、もともとの能力のところで、操作的理解しかできない子も区別しないでやる、つまり大雑把なわけです。

 わたしはこの操作的理解しかできない子というのをそういうことを前提にどう指導すれば抽象的な域に持ち込めるのか、ということを考えながら指導はしています。ただそれが有効に成功するどうかは分かりません。だから苦しむのです。指導で苦しむというのはこういう意味です。どうしたら子どもに抽象的理解を可能にしてあげられるか、ここで悩むのです。子どもの「わかった」というレベルはみなちがうのです。だからいつも不安なわけです。

 子どもが「わからない」と苦しんでいるのは、具体的なもの、目に見えるもので理解するしかできないからです。ここを乗り越える、抽象化する、しかこの子を救う道はないのです。だから「伸びない」という現実、足踏み状態を臨床的に認識しながらも、なんとか抽象化の世界へ目覚めることを期待して苦心しているわけです。

 竹の会の指導、わたしの指導というものをただに表面的にとらえてほしくはないです。

 

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