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もともとある才能を伸ばすのがわたしの仕事‼️  

2021.12.09

 

もともとある才能を伸ばすのがわたしの仕事‼️  

 塾は神様ではない。できないことは山ほどある。塾が才能を補完することはできない。残念ですが、才能がないということは、勉強とは縁がなかったということです。
 断っておきますが、ここでいう才能とは、出題者の意図に答える能力のことです。勉強ができるとは、教科書に書かれてあることを理解して覚える、覚えたことを答案に表すことができる、ということです。そういう能力は普通の能力であるはずです。
 ところが、現実は、この普通の能力さえ不完全な子どもがたくさんいるということです。
 才能とは、理解の才能、暗記の才能のことです。才能がないとは、理解が及ばない、つまり理解が不正確、不完全、もしかしたら無理解、そして記憶力が劣るということです。
 親たちが、才能のない子を塾に入れるとしても、その対応は一様ではあり得ない。対応できるとして、どの程度まで対応できるか。塾というのは、そういう子たちさえも商売として取り込んでいる。成績が伸びるかは不透明のままに、さらにそういう子たち特有の勉強への関心の低さ、薄さ、それ故に、勉強に集中することがない、何かと問題行動を起こす、そういう子たちを大量に面倒見るというのが、一般の塾業なのです。だから成績不振、不調、停滞は実は想定済みのことであったはずです。しかし、大枚を出している親たちには看過できないのは当然です。しかし、こういう子たちは塾を彷徨うことを余儀なくされ、結果落ち着くところに落ち着く、つまり、底辺に着地していくしかないのです。
 竹の会はそういう子たちを過去随分と見てきました。オール1、学年ビリ、自閉症、発達障害、そういう子たちを気長に指導してきた時代があります。労多くして功少なし! が、わたしはなんとか高校と名のつくところには入れてきました。わたしが、高校入試の専門家というときは、そうしたあらゆる事例を解決してきたという含みがあります。表層しか見ない人間は、たいした実績もない、などと批判しますが、世の中は、できる子たちばかりが自動的に集まってあとは教えるだけなんてことはないのです。小塾の仕事は与えられた悪環境でも最大限の結果を出すことなのです。それで小塾ゆえにうまくいかなければ非難しかないのです。大手は失敗してもそれはすべて個人の問題としてなんら非難されることもないのです。つまり、小塾は親たちに常に完璧を求められている。しかし、それはありえない話しではないですか。
 竹の会は、私の年齢と相談しながら、やれるだけ頑張ってみようという段階にあります。ですから最後はわたしのやりたいようにやりたい、こう思いました。できない子の指導は巷の塾にお任せします。それで入会試験を導入した。しかし、入会試験に合格したはずの子が、失速する例が少なからず出るようになり、また熱心な親御さんの心情を汲んで、入会試験不合格(中には0点も何人かいました)でも仮入会ということで、六か月の約束で入会を許可した事例などもあり、指導が頓挫する子が一定数出るようになりました。
 六か月の約束も子の熱心な様子を見ていると事実上反故になってしまい、こうして本来の竹の会の理想的な指導とはほど遠い状況となっておりました。
 よく子どもたちから、「竹の会はあと何年やるの」みたいなことを聞かれますが、それに対して私は「体力が続くまでかな」としか言えません。実際そうなのてすから。
 正直自分でもわからない。明日倒れれば、その時終わる、そう言うのが一番真意に近いのかな。
 今の私の指導が36年間の最高かな。昭和60年(1984)10月開設〜令和2年(2020)10月に37年目に突入。いつもより良い指導を求めて苦悩し試行錯誤を重ね、失敗と成功を繰り返し、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、それこそさまざまな性格、能力の子たちと心を通わせて、捨て身になり、子どもたちの心を掴み、私の心を捧げてきました。子どもたちに愛情をかけたことに悔いはないですね。しかし、親や子の裏切りに心は奈落の底に突き落とされる、塾の先生というのは、誰にも勧められない仕事でした。特に、親の死に目にも会えない仕事でした。悔いはないと言ったら嘘になりますが、そういう辛酸を舐めた、苦渋に満ちた人生でしたが、少しだけ幸せだったのは、わたしが、指導の道を極めたことだと思います。
 中学までの私は井の中の蛙でしたね。何も見えてなかった。何も理解してなかった。高校になってわたしは親に反抗しました。特に、父には憎しみしかなかった。高校も退学しようと考えた。この父親と暮らすのはもうできないと思った。高校2年でした。あの頃、勉強に専念できない自分がいました。人生に悩み、苦しみ、周りのなにもかもに反抗し、葛藤していた。高下駄履いて、空手に打ち込み、喧嘩もした。落ちこぼれです。ただ内心はいつか必ず旧帝大に入るのだ、という強い意志に燃え、火がメラメラと燃えるように心が熱くなりました。

 わたしに才能があったのか。そうは思えない。わたしはただひたすらな熱い、燃える意志を抑えきれずに、勉強したのだと思います。最初は我武者羅で工夫もなにもなかった。失敗を重ねて、試行錯誤百回千回に及んで、わたしは猪突猛進バカから工夫することが才能なのだということを悟っていったのだと思います。

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