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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

トップ都立ーの道/両国、桜修館への道/鉄は熱いうちに打て。小4という唯一の機会を逸するな!

2017.01.20

 おはようございます。空全体をどんよりとした雲が覆いつくし今にも雨かという天気ですが、この低温だと雪に転じるかもしれません。1月も20日に突入し、残すところ十日余り。竹の会には毎年のことながら一つの区切りが打たれようとしております。今年の小6は一昨年ほとんど入会がなかった世代の受検となります。小4の3月にきた子が1人だけだったという年です。あの年はそれでも十人前後が入会試験を受けましたが、一人として合格しなかった年でもありました。生徒が全く来ないという状況は1年間ずっと続きまして昨年前半も変わらない状況でした。さすがにわたしも廃業を決意する寸前でした。もともと元代々木教室を廃止した2012年の前年には、竹の会を廃業するということはずっと考え続けてきたことでした。少子化で地元塾としてやっていくには限界にあり、あの当時も通ってくる生徒の大半は他区からの子で占められていました。このまま竹の会の灯を消すには忍びないという心情もはたらき最後に渋谷駅近くで開業できないか奔走したことを思い出します。2011年の初夏のことでした。偶然見かけた基礎打ちしていたマンションを見つけたのは2011年の4月頃でしたでしょうか。それから毎週のように不動産会社の担当の方と会い、話しを煮詰めてゆきました。ほとんど実現可能性のない話しでしたが、親切な担当の方に励まされながら可能性を探ってきたことを思い出します。2012年3月正式に契約が成立し、それから2か月内装や机などの準備に追われました。2012年5月6日「渋谷A」の第1回指導が実施されました。その年の9月には、これまでの元代々木教室のメインコースが「渋谷B」として渋谷教室に引き継がれました。「渋谷B」は翌年には廃止され、「渋谷A」に一本化されましたが、2月開始の「渋谷B」は正確にはもともとの竹の会のメインコースであったものが、復活したということになります。渋谷竹の会、渋竹誕生の秘話です。

 わたしには小4期から指導を任せてもらえれば確実に合格できる、思考する小学生に育てあげるノウハウがありました。一度竹の会の指導を経験したとき、優秀な子ほど「もっと早く来たかった」ということを実感するようです。平成28年小石川合格の女子がそうでした。彼女は小5の2学期の入会でしたが、自分よりずっと先へ進んでいた子たちを見てずっとなんとか追いつきたいとがんばってきたのです。彼女はよく「早く来たかった」ということを言いました。竹の会を知っていたのは小4の終わり頃だったけれど躊躇していたら遅れたというようなことを言っていました。彼女はもちろんA合格でした。彼女より早く、小4の2月に指導開始した子たちは、入会試験は小4の2学期に受けた子たちでしたが、ほとんどがA合格の子たちでしたが、やはり小6になって「もっと早く来た方がよかった」ということを親も子も実感したようです。そうなんです。竹の会の最適の指導スタート時期は、小4の8月前後までというのがわたしのもともとの持論でした。しかし、世間の親はそうは考えなかった。小4の2月でも「早い」という感覚ではなかったか、と思います。しかし、実際に指導を始めてみればすぐにわかることです。初期の指導は小4でも小5でも変わらない。「余りの出る小数の割り算」をマスターすることから始めて、分数の様々な演算処理をマスターし、逆算をマスターしていく、この手順は変わらない。また割合の初期指導もそれからの手順も全く変わらないわけです。これを小4の2月から始めれば少なくとも4月、遅い子で6月まではかかるでしょう。もしこの過程に1年もかかるのであれば、指導そのものが実は無理であったということです。極端に時間がかかるというのはやはり指導不適応ということです。もし初期過程を小4の早期に始めていて、順調に指導が「できる」ということが前提とされれば、小4早期に始めた子の成功確率は、小4の2月期指導開始の子の比ではない。実は、平成23年に小石川に高得点で合格した男子は小4の8月から指導開始していたのです。わたしは内心では小4の8月までに来てくれる小4の逸材をどれだけ待ち望んでいたことか。しかし、世間の親たちの行動は鈍く、小4の2月でもまだ「早い」という感覚でした。ですから、小5になってからという子がたくさんいました。大手塾には小4から通わせる親御さんもたくさんいるようですが、竹の会に小4期にやってくるという子はほとんどいないですね。ですからたまにそういう子が竹の会にやってくる、それでわたしはここぞとばかりに熱心に育てていき合格を勝ち取ってきた、そういうことだと思います。平成22年両国合格の男子は、港区の赤坂小の子でしたが、小3の2月から通塾開始でした。最初は1回2時間週2回ペースで1年かけて市販のドリルをようやく終わらせたほどでした。今なら考えられないのんびりとした話しです。小5になってもやはりのんびりしたものでした。真剣に取り組み始めたのは小5の冬からではなかったかと思います。小6の6月には桜修館に合格することになる杉山太一君が参加しました。杉山君はかなり遅れていたのですがたちまち頭角を表していきました。この当時23年に小石川ら合格することになる例の小5の子が杉山君などの小6と肩を並べて、過去問に取り組んでいたのです。逸材ならば小4期に始めたほうがいいということはすでにこの時期に実証されていたことだったのです。平成19年に九段に合格した子の父君は、「小6からでいい」というのが固い信念の方でしたが、世間にはそういう親御さんも多いのかと思います。

 わたしは竹の会で成功するには是非小4期からの入会を願っております。ただし、入会試験に合格する、という関門はあります。これは竹の会の提示する入会試験にも合格できないのではその後の指導が成功裏に進められることは「ない」という、経験に裏打ちされた根拠からです。

 それから竹の会では、通知表の8割基準を重視しております。内申で「よくできる」が占める割合が8割以上あることが望ましいと判断しております。ただこの基準も絶対ではなく、現に現在小4の子は、A合格でしたが、「よくできる」は8割どころか、ほとんど「ない」印象でした。それが入会後の指導であれよあれよというように力をつけていき、今では、小5のトップの子たちにも伍する勢いです。早晩追い抜くのは必至です。ですから内申は絶対ではないけれど、入会試験はA合格は必須要件です。 

 実は、昨日「読み取る力」ということをテーマに、小3対象の入会試験問題を制作したばかりです。「入会試験0(ゼロ)」と名付けました。全5問。「読み取る力」を検査するということに焦点をしぼって製作しました。なかなかの出来映えです。小3期の能力判断はますます難しく微妙なことを体験しまして、一度その能力判断を誤れば悲劇につながるという危機感もあり緊張しての製作でした。

 2月からはいよいよ現小5の厳しい、指導が開始します。指導レジュメで「合格はんこ」がほとんど取れない、課題の提出がままならない、作文の提出が遅れる、解き直し、書き直しが満足にできていない、早退、欠席が多い、例年こういう症状の子が必ず出ます。そのときは正直に申しまして少なくとも竹の会は退塾相当のタイミングであると思います。受検はともかく竹の会は退塾する時であると思います。以上の意味あいで脱落したと判断するとき、されるときは、躊躇なく退塾する勇気、決断を望みますし、そうした勧告も当然辞さない所存です。

 というか、どの学年にかかわらず、合理的な理由のない早退、遅刻、欠席の頻度が多いのであれば、自主的に退塾するべきであり、指導不調、特に、課題の怠慢は、退塾相当です。

 現小5年については、8月に全員が、早稲田進学会の模試に参加するようにしてください。28年卒の小6の中には、わたしの意図に背反して模試を回避する子がいましたが、模試から逃げるという心性は受検には不適応な子です。もしわたしの課する課題が過酷として実行できないのなら、退塾する道を選んでください。竹の会はわたしの指導で早稲田進学会模試で上位に名を連ねてきたのです。わたしの指示を実行できないのなら模試で上位などないのであり、それでも竹の会に居続けるということは認められないことです。

 

 

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