画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

受験勉強というものを勘違いした親たち

2016.03.05

 いったん受検すると決めたのなら、合格に向けて全力を尽くすべきである。それが普通のこと、あたりまえのことだと思いますけど、世の中には、受検という目的を設定しておきながらずいぶんと無駄をする親子が多いものです。それで失敗したのならあきらめもつくはずと思うのに当の本人たちはまた想像以上に嘆くのも異なことです。

 まず、受検における無駄といっても、そもそも質の異なる2つの場合があります。

 ひとつは、受検の目的とは全く関係のないことに時間を費やすことです。これには、そもそも受検すると称していながら、ゲームをしたり、趣味に走ったり、テレビを見たりといった時間の過ごし方もふくまれますが、とにかくありとあらゆることがふくまれます。習い事、稽古事、スポーツなどにかなりの時間を注ぎ込んでおきながら、合格するなどと思っている、その神経がわたしにはわからない。なかには、家族旅行、夏などには、スポーツなどの合宿、キャンプなどというのもありましたが、オーストラリアへホームスティというのもありました。一方では、すべての時間を勉強にのみ注ぎ込んでいる、特に、私立難関中受験の子などは、もう小4の頃から、盆も正月もなしに勉強だけに打ち込んできたという子たちがたくさんいる、そういう中にあっての自分の状況というものを客観的に判断できないのであろうか。

 小6になって今まで勉強らしい勉強もまともにしてこなかった子が突然「小石川を受けたい」などという戯言を言うのもよくある話しである。人それぞれに前提とされる状況が違うから断定などとてもできないけれど、とにかく人というのは、情報というものを自分に都合のいいところだけを切り取り拡大解釈するものである。だから「自分も受かる」と信じて疑わない。こういう独りよがりな子が世の中にはけっこういるものである。

 受検における無駄のもう一つは、実際に勉強している、その際に生じる無駄である。

 よく「4時間弱」勉強したというのは、いい加減聞き飽きたけど、この4時間の中身である。たとえば、算数を解こうとして、わからない、それで結局何もしないままに何時間がたったということはないのか。あるいは知識問題なのに何時間も考えたなどということはないのか。あるいはよくあるのが文法的な考察をしない英文解釈である。ただ知っている単語の意味をつなげて訳にしただけ、そういうことに時間をかけているということはなかったか、国語の文章がまったく理解できないのに、その解説を何度も何度も読んで、考えていたということはなかったか。

 こういうのは、「考えていた」に値しない。ただ「考えるつもり」になっていたにすぎない。よく小学生で「考えなさい」と言うと、このつもりになっているだけの子がいますけど、時間だけたって何も進歩がないというのが特徴です。

 塾の講師や家庭教師が、「もっと考えろ」と言うときは、たいていこの無駄を強いているのがほとんどである。こういうときの「考える」というのは、無駄な時間です。考えるだけの能力が伴わないのだから、もっとレベルを下げて取り組ませるなどの対応が必要な場面です。やみくもに「考えろ」はないわけです。

 こうして、受験勉強とは何か、その目的は志望校の合格ですが、その目的に向けて、どれだけ時間を費やすことができたか、物理的な、合格可能な時間の確保ができたか否か、これが唯一すべての答えです。費やした時間に見合うだけ実力がついていく、簡単明確な原理です。

 高校受験の場合、その生徒が合格点を取るためには何が必要かを常に考えています。その上で戦略なり戦術を立てていくわけです。中学生で指導に素直に順わないのはそのまま受験の失敗を意味します。

 このことは結局小学生でも変わらない。それなのに親はよくよく自分の都合のいいように勘違いするものです。

 

ページトップへ