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受験生度胸

2015.12.24

 おはようございます。昨日は無事12月の通常指導最終回を終えまして、いよいよ26日から竹の会の冬期定番の長時間指導全10回に突入です。これは私にとってはかなりに過酷でこれまでに30日に38度以上の発熱2回に及んでいます。いずれもインフルエンザではなく1月3日の朝には平熱で後半の指導に臨むことができました。紛れもなく疲れの為す業かと思います。またある年は正体不明の下痢が続き体重を10キロ近く落としながら指導を続けたこともありました。そのせいか、この時期はこれまでになく体調管理に慎重です。指導中のマスクは必須でいつ子どもたちから感染するかわかりませんのでどんなに子どもたちが元気そうに見えても信用しないことにしています。突然発熱というのが子どもの常ですから。

 渾身の作品「適性問題Ⅲの研究」も昨日で「第30回」になりました。冬期指導期間は中止します。冬期が明けて「第31回」を制作するかは未定です。この「適性問題Ⅲの研究」で「合格」をとる子はかなり合格有望と見ていますが、準合格をふくめても3人前後です。かなり厳しい見通しであることは認めざるをえません。合格を期待される子でも現在絶不調にある子もいますが、こちらはこれからのもっていきかたの問題と思います。

 竹の会の子どもたちは、主として、早稲田進学会の模試を利用するように指導していますが、早稲田進学会に通う子たちが成績がとれるのはあたりまえです。おそらく類似の問題を普段から解いているでしょうから。そういう不利な条件で竹の会の子たちがどこまでその力を示せるか、まさに無垢の力を試す、いい機会で、これほど格好の環境はないでしょ。

 さてそういう中で、早稲田進学会で結果を残せなかった子たちについては、正直合格を期待しないほうがいいと思います。名前が載せられなかったのなら本番は期待できない。しかたありません。早稲田進学会の模試を最初に利用したのは、平成23年2月に小石川に合格したO.K君でした。このとき桜修館に合格したT君は、日能研の模試を2度ほど受けています。日能研の判定は「70%」でした。

 24年は3名が都立中を受けていますが、この中で唯一1度だけ名前をのせた男子は落ちました。そして一度も前を載せるどころか、埋没していた女子が、富士中に合格しています。名前をのせたことのないもう一人は男子です。お世辞にもいい成績とはいえませんでした。この男子が、3年後、つまり今年竹の会から都立戸山高校に合格した、その人です。

 25年、小石川に合格した女子は、早稲田進学会に通っていたと聞いております。早稲田進学会の授業は、週1回土曜日3時間であったと聞いております。この女子は10月まで成績が低迷しておりましたが、11月の模試で上位に初めて名前をのせました。12月、1月と名前はのりませんでしたが、圏内にいたと認識しております。もう一人白鷗に受かった女子は、12月、1月と連続上位に載せました。10月で退塾した、小石川志望の男子はそれまで一度もいい成績をとっていませんでしたが、桜修館に合格しています。

 26年は3人受検しましたが、全滅でした。一人は白鷗の補欠に入りましたけど・・。2人はほぼ全回早稲田の模試では上位に名前をのせています。

 27年桜修館合格の女子は、全5回全ての模試で上位者として名前をのせています。

 さて、ここからひとつの推測が出てきます。早稲田の模試で名前が一度も載らなかった子は、まず受からないであろうこと。例外は24年の富士中です。それと25年の桜修館合格の子もそうです。

 逆に、名前が載ったからといって必ず受かるという保証もないこと。

 そして、結局、名前が載らないままにきた子が合格する可能性は限りなくゼロに近いけれど、少なくとも名前を載せている、特に、複数回のせている子の中から合格者が出ることはかなり高い蓋然性がある。もちろん「中から出る」のであって、すべてではない。

 「合格はんこ」をよくとる子の中から合格が出る。これが唯一の真理です。受検の現実は厳しいものです。特に、都立中は8倍前後の倍率で競われます。つまり、落ちるのがあたりまえの試験です。掲示板に番号をのせるというのは簡単ではありません。竹の会のレジュメで「合格はんこ」がとれないなら、合格は正直期待できない。

 26年のように名前をのせていた子が落ちる、ということの内実はどうなのでしょうか。 

 まず、名前をのせるのが常連であった2人のうち、一人、男子ですが、こちらは、算数の能力は高かったけれど、国語力にはかなり難があった。もう一人、白鷗を受けた女子ですが、漢検2級をとるほどに国語力にすぐれ。また類い稀なる努力家であったけれど、算数が弱かった。25年に一度も名前をのせるどころか、箸にも棒にもかからない成績であった、途中退塾の男子が桜修館に合格していますが、こちらは算数の能力がずばぬけていたことがあります。

 一度でも名前をのせたことのある子、いや一度しかなくても合格している子について、なぜ合格できたのか。

 ずばり、解き直し7回を実行し、やりきった人たちです。解き直し7回をやりきれなかった子たちは軒並み落ちています。合格するには解き直し7回は必須です。

 さて、そこでです、受検というものをいかにとらえるか、です。多くの巷の親子が誤解する、曲解する愚だけは竹の会のみなさんは陥ってはならない。わたしは、口が悪いといわれるけれど、腹立たしいから言っています。大手というのは、地頭のいい子でもバカにするところです。あそこは地頭がいいとかのレベルではない、天才が受かっているだけのことです。ついでに言えば、早稲アカとか、サピックス、Z会もそうですが、あそこに行ったから、難関校に受かるわけではない、天才が集まっているから受かっているだけです。そこを何をとち狂ったか、世間のバカ親たちは、自分の子もそういうところに行けば、受からせてくれると妄想を抱くわけです。ここがまあ大手の商機なのですけど、こういうバカ親がたくさんいなければ大手の経営は成り立たないわけですから。

 ただ、地頭がいいというのは大切なことです。考える力を育てると言っても、地頭の悪い子なら限界があります。竹の会というのは、そういう意味の線引きを入会試験でやっているわけです。竹の会でもっともいい伸び方をして成功するのは、地頭のいい子に決まっています。学校の成績で言えば、「よくできる」がたくさんある子です。最低でもです。それが目安です。このレベルの子が大手に行けば確実に押しも押されもせぬバカにしてくれるでしょう。よく学校ではよくできると言われた優等生が大手に行って伸び悩むのはそういうことです。竹の会なら開花したことは間違いない。竹の会の真価はこういうレベルの子がいちばん効果的どころか、驚異的に表れる。

 大手に通わせる親というのは、勉強というものを誤解している。だからバカというのです。「知識を教わる」ところが塾だと素朴に信じている。だから、東大の講師とかをすぐ信用してしまう。頭がいいからいいことを教えてくれると素朴に信じている。東大の講師、つまりほとんどは学生ですが、確かに頭はいいでしょうし、勉強も常人の及ばない努力をしてきたはずですから、立派なことですけど、かれらにとって当然の、あたのまえでしかない問題を「わからない」と悩むバカ小学生に教えられるのか、ということです。あたりまえは説明のしようがない、なにしろあたりまえなのですから。つまり、東大のおっさんたちはみなあたりまえにわかるけれど、世の中の凡才はあたりまえがわからないのです。かれらはあたりまえのことを教えた経験もなければ方法もわからない。

 こういう講師ばかりの大手が、行き着くところは、結局、知識偏重です。知識を際限もなく広げていく。できるだけ多くの問題を解こうとする。大手の親たちに共通なのは、やたら「急ぐ」ことである。このような講師、親の頭の中にあるのは、おそらく「やったことのある問題」が受験本番で出るかも知れない、そうしたら受かるかもしれないと思ったかどうかはしらないが、大手や親たちが、予想問題が出たとか、当たったとか、大騒ぎしているのを見ると、その心理が透けて見える。バカでしょ。

 受験本番は「やったことのない問題が出るものだ」、それでいいでしょ。だったら、何も急いでやることもない、どうせやったことのない問題がでるのだから。この開き直りが、受験度胸なのである。

 度胸というのは、居直り度のことである。これが本番での精神を左右する。居直る力の強い受験生は落ち着いてことに臨める、そういうことです。

 だったら、普段の勉強だって、変わってくる。知識を追い求めるの愚をやらないてでしょ。予備校の「小石川そっくり対策」などに飛びついて大金を払うバカ親子のようなことはやらない。

 勉強の方法だって変わってくる。少数精鋭である。少ない問題をじっくりと考える、それでいいではないか。問題は、ただ考えるのではない。ここが技術だ。正解に達する前の段階でどうもがくか、よく自分を観察することである。よく算数でも数学でも難問に出会うと、ヒントがつけられていることがある。するとそのヒントを手がかりにいろいろと思考をめぐらす。そうすると正解が見つかる頻度も高くなる。つまり、このヒントというのが、考えるときに、何をどうすればいいのかを示唆してくれている。ヒントがなければ、ヒントに変わる手がかりを探すしかない。だから普段の勉強では、この手がかりを探す、そこのところを大切にしなければ意味がない。よく「わかりません」と放棄して聞いてくる子がいるけれど、正解を教えてもらって先へ進めるのではなくて、ああでもないこうでもないと手がかりを探す過程の経験を重ねることが目的なのだということをわかっていなければ、知識を追う弊に陥る可能性を秘めている。つまり、安易に正解を聞いて先へ進めているとせっかく大切な思考の過程を省略して、ただこなした量が多いと満足しているだけにすぎないことになる。今もし伸び悩んでいるとしたら、安易に正解を聞いてきたせいかもしれないと反省したほうがいい。

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