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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

小石川をめざす、日比谷をめざすにしても、汗をかかなければだめでしょ

2016.01.26

 おはようございます。40年ぶりの大寒波襲来で、東京もかなりの低温となっています。小6の子が「インフルエンザで5人休みました」という話をしてくれました。小6のみなさんは、学校でインフルエンザが流行っているのであればここはお休みするのもひとつの見識かもしれません。竹の会の指導日はあと2回のこっていますが、こちらも体調との相談で無理に出席する必要はないでしょ。とにかくも本番当日にはベストの体調で臨んでほしいと願っています。

 小6受検生のみなさん、竹の会とのお別れが近づいてきました。早い子で小3の2月から、そして小4の2月から、もっと遅い、小5の後半という子もいました。今年受検の小6には小5の頃からなかなか机について集中して思考するということをやれない子たちがいました。それは小6になってもそれほど変わらない。そしてそういう子たちは課題の提出も低調、消極姿勢で、中には自分で考える、そういうことを放棄したかに見える子もいたり、小6になってもいつもはらはらさせられてきました。それでも、とにかく、どう受検にそういう子たちの心をもっていくか、いろいろ悩み、腐心してきました。この子たちが区立中学に行くことになっても思考するというスタイルを遂には自分のスタンスとして確立しきれなかったという思いがわたしには燻っています。もちろん竹の会で本来培うべき、思考スタイル、勉強のスタンスをものにしていった子たちもいます。その子たちについては、合格を期待しながらも、仮に高校受験することになっても、必ずやいいかたちで落ち着くのであろうと確信もしています。

 勉強するということはどういうことなのか、これは当の子どもだけではなく親御さんもふくめてよく考えてもらわなければならないことだと思っています。勉強に秀でるということは簡単なことではない。子どもを塾にやるのも曲がりなりにも勉強に秀でるをことを願ってのことではないか。これはさすがに世間の親の共通の認識なのではないか。しかし、そうはいっても世間の親の認識は一様ではありえない。

 平成27年に桜修館に合格した女子、親子は、理想の姿でした。小4の2月に入会。入会動機は「桜修館に行きたい」です。そして「竹の会の入会試験に落ちたら受検はあきらめる」でした。入会後の勉強はすばらしく、課題が増えていっても一度として出さなかったことはありません。課題は、新規課題、前回の解き直しをいつもセットで出してきました。また、入会以来世間の親子がいろいろな理由でやるように「お休み」、「早退」などは一切ありませんでした。彼女が休んだのは、2年間で2度だけです。一度はインフルエンザ、もう一度は風邪でした。彼女は竹の会を休まなければならないことを悲しみ泣いたそうです。そしてお母さんも涙が出て一緒に泣いたそうです。彼女の2年間はすべて竹の会の指導日程そのままでした。彼女が私的理由で休んだということは一切なかったのです。

 彼女は、次第に難化するわたしのレジュメに常に「合格はんこ」をとりながら、ついてきました。平成26年に制作したレジュメはすべて彼女の類い稀なる努力にわたしが必死に報いようとした証しでした。

 翻って考えてみますと、この理想像は、竹の会の過去の成功者の姿、勉強のかたちと重なるのです。

 平成20年、都立西高校、豊島岡女子に合格した女子は、まさにそういう生徒でした。全面的に竹の会を信頼する母親の像も一致しています。

 平成13年、都立西高校に合格して生徒も恐ろしいくらいに像が一致します。不思議と親御さん、いや正確には、母親像が酷似しています。

 平成10年、早稲田実業高校普通に合格した鈴木君も同じですね。お母さんが絶大なる竹の会の信頼者でしたね。

 平成11年青山学院高等部に合格した女子も同じ像です。なんと母親像も一致です。竹の会をとても高く評価してくださったお母さんは、彼女が小学生から桜蔭をめざし一流と言われる名門塾、サピックスなどに通わせてきた方でもありました。彼女については、青山学院合格後も懇請されて、3年間指導しています。そして見事現役で慶應大総合政策、上智大経済に合格し、慶應へ進みました。今彼女は大手新聞社の敏腕記者として活躍していると聞いております。

 さて、ここでもう一度勉強するとはどういうことなのか、考えてほしいと思います。勉強するというのは、覚悟ですね。世の中のお母さんたちが、漠然としか未来を描いていなければそういう覚悟はないということです。世間並みに塾に通わせているだけ、中学でもまあ学校の勉強がわからないと困るから塾にやらせている、そういうレベルの認識の親はここでは相手にしていない。勉強というものに高い関心をもち子どもの教育ということに高い理想をもたれている親御さん、そういう親御さんに考えてもらいたいと思うのです。

 勉強するというのは、汗をかくことではないか、わたしは、そう思っています。汗をかく、それはがまんすることでもあります。ひとつのことをわかるまで粘り強く考える、そういう勉強のスタンスを自分の生活スタイルにまでしていく、これは並の人間にはできないことです。そういう目で見れば、今年の小6には、どこまで汗をかいてきたのか、と問わずにはいられないわけです。わたしがもっとも勉強する時期として期待した8月までの間に、夏休みなど一日時間があったのにもかかわらず、3時間とか、4時間しか勉強しなかったということ、これは驚きでしかない。3時間の中身は?4時間の中身は?と突っ込みたくなる。ほんとうに勉強していたなら、そういう中途半端な時間は出てこない。ひとつのことがわからなくて考える、悩むとき、3時間、4時間なんてあっという間だ。気がついたら7時間経っていた、これが真理である。勉強にどれだけ集中したかわからない7時間など信用ならない。

 さて、受検、受験に成功するか否かは、要するに、どれだけいい汗をかいてきたか、ということです。いつも勉強と向き合わずに、先送りして背中を向けてきた子というのは、勉強には向かない、こういう子は無理に勉強に向かわせてもしかたない。こういう子が、ただ怠惰なだけ、興味がわかないだけ、なのか。そうではあるまい。能力的なものがそうさせている可能性は否定できまい。「わからない」から背を向けがち、興味が出ない、そういうことなのではないか。だったらそういう子を責められまい。

 どうしても小石川に行きたい、日比谷・西に入りたい、それなら、汗をかくしかない。あれやこれやと幼児教育、稽古、習い事と熱心なのはとても結構なことですが、これと勉強世界に踏みいれるということとは全く関係ありません。そもそも両立なんかしません。二兎追う者は一兎をも得ず。この諺は真理です。いろんなところで、いろんな意味で真理です。将来社会に出てどうか、ということです。習い事、稽古事で身を立てますか、それともそれらはただの教養ですか。社会に出て身を立てる、そのために勉強する、そうですが、勉強するというのは、人間の知恵を育むという、脳を一回りも二回りも大きくするという、いや今言い尽くせないさまざまな何かがある、ということです。

 君は、合格したいと夢をもち、そのためにそれだけのためにどれだけ汗をかいてきたか。

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