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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

小石川・両国・白鷗に照準/都立戸山・青山には合格の方法がある/試験は暗記で乗り切れるのか?

2019.04.21

 4月21日(日)になりました。本番まで勉強できる日数は8か月となりました。1月は勘定に入りません。竹の会のみなさんがどうかわたしのガイドにしたがい勉強を継続することを第一に考えて行動されることを願っております。わたしの希望は平日5時間、休日最低7時間の勉強です。それから中学生のみなさんは、竹の会の中学生なら当然わかっていることと思いますが、1日5時間はあたりまえで、休日は10時間です。よく受検が終わると途端に勉強しなくなる人がいますが、勘違いも甚だしいと思います。中学に入っても、少なくとも受検のときと同じ量の勉強をしなければならない。それを何を考えてか、途端に部活オンリーの生活にするバカがいます。あるいは部活中心に生活軸を回すのも同じことです。そんなことをやっていればどうなるかわかりそうなものですけど、いったん回り始めた生活の歯車はもう成り行き任せで止まることはない。中学は惰性で生きても高校受験までは問題は現実化しない。定期試験が悪ければ親も小言を言うけれどだからといって何も変わらない。最初はまだ受検勉強の貯金があるので、それに入学したばかりというので問題も易しいこともあって、いい成績をとるものです。しかし、それに気をよくして部活をやっていればいずれどうにもならないところまでくる、普通に考えればわかりそうなものです。中学の場合、理科・社会がひとつのバロメーターになります。理科や社会というのは、普段の勉強姿勢、勉強にかけた時間が如実に表れる。理科、社会が悪いというのは、まず勉強していないという証拠なんです。しかし、親も本人も、勉強の方法がわからない、仕方が悪い、と方向違いのことを言う。理科や社会がよかったのに落ちたというとき、それなら数学、英語、国語はどうか、見てみればいい。落ちてるに決まっている。公立中学レベルで、全科目80点を越えないというのは、ありえない。平均90点以上はあたりまえです。80点平均もとれないなら、部活なんかやってる場合じゃないでしょ。

◯試験は暗記で乗り切れるのか?
 丸暗記という言葉がある。論理でつながれていない事柄を覚えるというのは苦痛である。いやそもそも覚えるということが不可能に近い。語呂合わせというのは、ただ覚えるということに特化した方法、技術に他ならない。語呂合わせという方法のあること自体、論理的なつながりは前提であることがわかる。
 理想を言えば、暗記事項は極力少なくして、論理的に推測して判断することで、解決するほうが、脳経済からいっていいに決まっている。つまり覚えなくて済む、そういう頭の使い方をしなければならない。すぐに暗記と短絡するのではなくて、暗記を避ける、回避して解決する方法を想定した勉強をしなくてはならない。それには意味を理解することが、しかも深い理解が必要となる。理解していないから、むやみに覚える挙に出るとも言える。暗記は、無知なる人間の常套手段である。このことを弁えて事に臨まなけれなるまい。
 要は、覚えなくていいものを覚えるな、ということである。そして、覚える必要があるとしても、覚えないで、済む方法、それは、論理的に推測して導き出す方法ということであるが、そういう方法を常に考えた勉強方法をとれ、ということである。
 もちろん語呂合わせの有用性は否定しない。私も大学入試では、英単語1万語を語呂合わせで覚えたし、歴史は、日本史と世界史を取ったが、いずれも年表は語呂合わせで覚えた。ちなみにあの時の勉強方法の基本は、ひたすら反覆して読むこと、それだけであった。今は、子どもたちには、7回解き直しを指導しているが、実は、私の受験時代の方法でした。
 理科、社会で、90点を取る生徒とは、どんな子たちか。
 勉強を第一と考える家庭に育った、真面目な努力家である。部活はたとえやっていたとしてもそれで勉強を犠牲にすることは決してない人たちであった。理科、社会がいいというのは、勉強をきちんとしているという人であり、数学、英語、国語はいいのがあたりまえの人たちである。もちろん選科だっていい。理科、社会が、悪いという生徒は、中には、数学はいいとか、英語 は得意などという偏った生徒もいたけれど、その大半は、英語、数学、国語もそれほど振るわないという生徒がほとんどである。それは当然のことで、要するに、勉強しない人たちだから、理科、社会が悪いわけで、当然主要三科だって勉強してないに決まっているからである。理科、社会が悪い人というのは、部活に熱心で、いつもスマホばかりいじっていて、勉強以外のことに関心旺盛で、勉強は完全に建前化している。親がそれに気づかないのが不思議な感じもするのだが、部活に熱心な子の親は部活を大目に見る傾向が強く、勉強を蔑ろにしていることにも「ま、いいか」と甘いものである。理科、社会が悪いという時は、自分の子が、もうすっかり勉強してないのだということを悟ったほうがいい。

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