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小石川受検、日比谷受験でほんとうに求められるもの

2016.01.27

 おはようございます。外気6℃、底冷えのする快晴。インフルエンザ流行の兆しあり。本日は1月27日水曜日、竹の会渋谷Aの1月第7回目指導日です。残すところ本日と1月31日のみとなりました。この低温ですから小6のみなさんには無理をしないように伝えています。2月1日、2日も学校を休んで大事をとるというのも一つの見識かもしれません。特に、インフルエンザが流行の兆しを見せていることは不安です。いや、逆に、そういうときも普段の生活姿勢を変えないというのもまたひとつの見識であり、このへんは保護者の方の判断するところです。

 さすがに小6のみなさんも不安と緊張を隠しきれぬようすですが、落ち着きのない行動というものが如実に不合格を予兆させるものであるということ、落ち着いていたからといってまた合格するというものでもないこと、要は、すでに自分でどうこうできる域にはないということです。ここはまな板の上の鯉、然を気取るしかない。それよりも黙々と自分のできることをやるだけであろう。徒に焦ることもない。きっちりと勉強してきた者はただ見直すだけでいい。心が縛られてはいけない。本番の日の特殊な心のしばりにかかればもはやアウトである。あなたの心のすきに呪縛が忍び寄ってくる。不安は呪縛に変わりやすい。勉強というものを蔑ろにしたきたなら不安は増幅するばかりである。勉強に対して誠実に対してきたか、勉強は正直である。偽りは許さない。勉強を先送りしたか、そういうことを勉強は覚えている。何かにつけて勉強を回避する、そういうことも積み重ねれば、ばかにはならない、そういうことのすべてが不安の正体だ。がまんし努力してきたのなら懼れることはない。今持てる、今ある力を出してくればいい。徒に焦ることはない。焦っても出せる力が大きくなることはない。逆である。焦れば焦るほど思考は低下する。思考停止する。ありえない判断をする。誤解する。勘違いする。落ち着け。周りを見渡せ。深呼吸しろ。大きく息を吸い込む、そのときは腹を膨らませる、少しずつゆっくりと息を吐いていく、このとき腹はゆっくりとへこませていく、そうです、腹式呼吸です。思考を解放しなさい。

 小石川に合格したい、行きたい、そういう小学生が、たとえば、十人竹の会にきたとして、その十人が全員竹の会の入会試験でA合格をとったなら、そしてそれが小4の2月あたりなら、わたしはその全員を早稲田進学会の模試で成績優良者として名前を載せることができる、と思います。もちろん早稲田進学会の模試でトップテンをとったとしても必ず合格できるわけではない。しかし、小石川志望の精鋭が集まる模試でトップテンをとったのなら少なくとも合格の蓋然性はかなりのものではなかろうか。

 わたしの方法が紛れもなくそういう結果を出してきたことは、竹の会の親御さんならみんな知っている。また当の本人たちの親御さんには嘘偽りのない真実であることはわかりきっている。今年は4人が小石川を受検したいといって、早くに竹の会にやってきた、そしてA合格もしくはA合格相当をとった。「相当」というのは、入会試験でも初期の3問時代と改良された6問時代の合格者とは同列には論じられないが、3問時代の合格者でも「相当」と判断できる場合があるからである。

 そして小6の8月から早稲田進学会の模試を受けてきた。4人全員が成績優良者として名前を出したり出さなかったりしてきた。ただ合格するかどうかは別ではあるけれど。

 ただわたしには不満もある。去年、すなわち27年に桜修館に合格した女子は早稲田進学会の模試では全回名前を載せた。わたしの指導に完璧についてきた、小学生である。わたしの期待する勉強を実践、実行してきた唯一の小学生である。残念ながら、今年はそういう小学生はいない。しかし、それでも竹の会の小学生、わたしの育てた小学生は、それなりの力を出すであろう事は信じて疑わない。

 よく竹の会と大手を天秤にかける親、そして子がいるけれど、竹の会をなめてはいけない。竹の会はわたしの指導に100%したがうなら、はっきりと結果で証明する塾である。考えても見ればいい、5人受けて3人合格、3人受けて2人合格などということが、この難関の東京の公立中高一貫校の選抜試験で、可能なことなのかどうか、ということを。そういうことを可能にする塾というものがあるのかということを。

 何度でも言う。わたしは、竹の会は、十人が「小石川に行きたい」と言えば、その十人を合格可能な位置にもっていく、そういう塾である。

 これが、高校受験でもなんら変わることはない。日比谷に行きたい、西に行きたい、戸山に行きたい、そういうのであれば、竹の会はそれを現実にする、そういうことができる塾である。

 ただし、これにはもちろんわたしの要請する条件がある。小学の時代に、遅くとも小6の4月から、そのための訓練をした場合という条件つきである。小学生、高学年において、勉強とは何か、ということを徹底してたたきこむ、そうでなければ、無理である。

 さて、ここでひとつ、だれでもそうできるのか。それはない。世の中には、予備校の講師やら、灘高出て東大医学部合格しましたやらの輩先生がが、合格のノウハウを本にして売り、それに群がるように買ってく一群の人たちがいる。最近は、ただの母親や父親が東大に合格させましたと方法を説く。テレビもすぐ飛びついてはやし立てる。

 天才はすぐ方法を説き、バカはすぐ方法を聞きたがる。方法の問題なのか、と突っ込みたくなる。和田秀樹という、確か灘高から東大医学部へ合格した、今は精神科医をやっていて、自らを受験研究家などと自称している男がいる。この男が、かなり昔に「数学は暗記だ」という本を書き、これがベストセラーなったことがある。以来、この男はその手の本を書きまくり、名を上げたわけである。昨今は、元暴走族とか、元ヤンキーギャルとかが、慶應なんかに合格して、ここでもまた方法論を説く。世の中の受験生も母親も父親も何かと言えばすぐ方法論の問題にすり替える。昔は、よく「うちのこはやり方がわからない、要領が悪いからできない」という母親がよくやってきた。飽くまでもうちの子は頭は悪くない、ただ方法がわからないだけだ、という論理である。

 だいたい天才のとった方法などありがたがって、つまりは自分もあやかろう、成功すると信じてやる人間の気持ちがわからない。方法なんて千差万別だろ、自ら勉強に苦しみながら自分にあった勉強法というものを見つけていく、能力にあった方法というものを見つけていく、そういうものではないか。そもそも方法を云々する人間に限って実行力がない、意思の弱い人間が多いのである。問題なのは、飽きっぽい性格と実行力のなさだということに気がつくこともない。

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