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師走に寄せて諸々の話

2015.12.03

 師走も光陰は矢の如し。冬期が終われば3週間ほどで本番です。

 もう一度、12月と1月の勉強の手順を確認しておきます。前回の指導で、これまで放置していたレジュメを出してきた小6がいましたが、もう過去にやり残したレジュメをやるときではありません。これまでやったレジュメの解き直しをやる時が今です。やり残したものを今やってももはや時遅しです。12月、1月には、「適性のための計算問題」(全50回)の解き直し、「単位あたり量を鍛える」(全40回)の解き直し、それから、現在の指導レジュメ「適性問題Ⅲの研究」及び「適性検査 資料から読む」に取り組み、解き直しをしていくことだけで時間はないはずです。

 特に、「合格はんこ」をほとんどとれないままにレジュメを進めてきた小6については、ほとんど思考力は期待できないと思います。レジュメというのは、やるべきとき、すなわた課されたときに迅速にこなしていってこそ、です。

 課題レジュメは、11月で、唯一「教養のための理科」を除いて、配付を終わりました。

 これまで課題レジュメを全くといっていいほど出してこなかった小6もいましたが、きちんと毎回毎回解き直しをしながら提出してきた小6もいます。それができるかできないか、これも自分の能力ということです。

 2015年の課題レジュメを終了します。

 「読解百選」、「国語は言いかえだ」、「天声人語」、「新国語読解」、「四字熟語」、「新理科クリア」、「理科クリア」、「社会クリア」、「特別ファイル」、「特別研究」、「東大附属ファイル」、「適性パズル」など多種多様の課題レジュメとまじめに取り組んできた一部の小6のみなさん、ほんとうにお疲れ様でした。これからあなたたちが夢中でやってきたレジュメの解き直しに全力を傾けてください。

 「推論を鍛える」、「新推論を鍛える」、「推論を鍛える 標準編」、「推論算数」まで終えた小6のみなさんは、その解き直しもありますね。

 また、小石川組のみなさんは、「新推論算数」、「算数をクリアーにする」などこれから1月31日の指導日まで、指導レジュメが続きます。解き直しもふくめてかなりのノルマになります。気を引き締めて乗り切ってください。

 竹の会に入るまではいろいろと竹の会についての思いがあったと思います。特に、知能の高い子、優秀な子ほど竹の会の真の価値を悟るようです。ひとたび竹の会の指導を受けてみれば、竹の会の指導を受ける度に力がついていくことを実感するのだと思います。「もっと早く入会しておけば」とは、今年富士中に合格した子の口癖でしたが、今年の小6にも力を伸ばしている子の中にそのようなことをつぶやいている子がいました。竹の会のことは早くから知っていたけれど、ということは、遅くにきた子の親御さんがよく言われる言葉です。

 26年に制作した、渾身のレジュメ作品はかなりの量に達していました。25年はこれまで制作してきたレジュメのうち、ワード版を廃絶し、数式ソフト版に統一したこともあり、この年は、新作の制作が出遅れたことは受検生のみなさまには悪いことをしてしまいました。「推論を鍛える」シリーズでしたか、「算数をクリアーにする」まで回せなかったことは痛恨の極みでした。24年制作の「算数をクリアーにする」は、やはり出色の作品でした。24年制作の「合格答案への道」も今では竹の会の定番の過去問研究シリーズになっています。26年には、「第3類」、「第4類」も完成しました。極めつきは、「桜修館の推論」でしょうか。ほかに、26年の冬期に使用した「冬期用レジュメ」は、秀逸です。今年もこのレジュメは少なくとも小石川組には使用予定です。

 あなたたちは、竹の会の指導をどう感じているでしょうか。その眠れる能力を呼び覚まし、潜在する力を引き出そうと竹の会はいつも鋭意努力を重ねてきました。なんとか思考力をつけたい、つけなければ、とそれはそれは手を変え品を変え、なしうることすべてを試してきました。

 思考力をつけること、これがいちばんの受検対策である、これが竹の会の理念です。思考を妨げる要因を常に意識し、打つ手を考えて、実践してきました。かちかちの思考の皮を剥ぎ、太い思考の幹を作り上げようと取り組んできました。そして繊細な思考の糸を縦横にめぐらすほどに育むのです。

 わたしはそれをレジュメと「指導」という方法で実現したと思います。

 残念ながら、思考の力を引き出すことに失敗した子が伸びることはないでしょう。竹の会はそのことがわかっているから、必死に小4,小5のもっとも思考を育てるのに適した時期に思考開発に取り組もうとしてきたのです。大手に行った夥しい数の子どもたちが、今、この時期に伸び悩んでいるであろうことをわたしはよく知っています。思考を作るということを全く顧みず、類似の問題、そっくりの問題、つまり形式を模倣した問題で、練習を重ねていけばいずれは行き詰まることは目に見えていました。例えば、割合ひとつにしてもどれだけ真摯に取り組んできたでしょうか。単位あたり量の思考をどれだ見据えてきたでしょうか。ただテキストの単元の一つとして、やっただけでしょ。授業というのは、講師が説明してばかりで、講師は「おれの教え方はうまいだろ」と自己陶酔し、生徒は「わかりやすい」と喜ぶ、親はそれを見て聞いて大満足してきたわけです。そもそも「教える」などという行為は、やってはならないのです。自分で考えさせる、ということをしてこないから、1年も2年も通って、考えることもできないのです。

 塾というのは、「考える」ということをたたき込む場です。少なくとも竹の会はそうです。思考を鍛える場です。

 世の中の親御さんが、安易にその辺の塾に通わせれば成績があがる、などと素朴に思っているのなら、その間違いであったことを知った時はすでに遅いということです。

 竹の会というのは、孤独な塾です。私自身が他塾との横のつながりを嫌って、様々な団体に所属しないからです。昔のようにそれで情報から取り残されるということはない世の中です。それからわたしは本をとにかく読みます。情報収集は読書はもちろん、新聞、ネットと種々ですが、とにかく情報に不自由はしていません。竹の会のお母様には熱心な方も多く、去年は本年戸山合格者のお母さんがあちこちの説明会に参加されてわたしに情報をくれました。わたしも参加しようと思えばできますが、わたしはどうしても過去問を解いてみてすべてを悟る、というようなところがありまして、もたらされる最低点などの情報も参考にはなりますが、だからといって指導する生徒がどうだ、ということですから、畢竟生徒の力をつけるにはどうしたらいいか、というところに気持ちが行ってしまいます。

 

 

 

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