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思考を伸ばす技術

2015.11.15

 おはようございます。本日は、渋谷Aの指導日です。今日は朝から雨が降っております。これからの雨は一雨ごとに気温が下がる、そう記憶しております。もっとも本日は15℃と比較的暖かいですが。竹の会の中3は、入試に影響する、最後の定期試験が間近です。そのために休む生徒もいまして、当分は受験のための指導は中断します。つまり、わたしは休息をいただけるわけです。今年戸山に受かった生徒はわたしの忠告を受け入れて、塾では試験勉強をしない、試験2日前までは入試の勉強をする、ということを実行していましたので、わたしもぎりぎりまでレジュメを作って対応したものですが、今年は楽なものです。

 11月も中旬に入りまして今日はもう15日です。あっという間に12月になりそうですね。これから先、大手を初めとする巷の塾は、さまざまな特別授業を用意し、商売に余念がない、いや失礼、知識を詰め込むことに余念がない、世の母親のみなさんは、受検にいいと聞くとわっと飛びつくほどに、知識を追いかける、そういう時期になりました。知識は詰めれば詰めるほど思考が麻痺していくということを知ってか知らずか、予備校の用意する、「小石川特別ゼミ」とか、「○○対策講座」とかに迷わず申込、カネを出すことを厭わないことでしょう。誠に微笑ましい限りです。

 ところで、知識というものは実に厄介なものです。いや思考するということに対してです。知識偏重教育はバカを製造するだけです。いわゆる偏差値教育というのも同じです。偏差値については、また別の機会にじっくりと分析してみなければと考えております。実は、わたしは12月は竹の会の創作問題を執筆したいと考えております。それで昨日は「何かいいネタ本はないか」と埋もれてしまった教室の書架を整理がてら探索の挙に出たわけです。収穫はありました。いつ買ったのか、まったく覚えていない、掘り出し物を数冊見つけました。わたしの性癖で「これはいい、将来何かの役に立つ」と直感するととりあえず買っておく、ということをやります。ですから、竹の会の教室の書架にはいい本が埋まっているのです。良書、名著の類いがたくさんあります。きのうは宝ものを発見した感覚で雨の中を重さも苦にせず運んで帰りました。

 竹の会の思考を伸ばす技術として、やたら「教えない」ということがありますが、「一度にたくさんのことをやらせない」というのもあります。じっくり時間をかけて育てる、これはかなり大切なことだと心得ております。よく考えもしないで、一度に大量のレジュメをやる、しかも、ほとんど合格はんこもとれない、こういうことをやっていたら、脳が荒れます。粗雑な脳に仕上げるだけです。ですから、竹の会では、思考を育てるには、少なくとも、小4の2月までに入会して、小4の2月、3月で計算をマスターして、小5の一年間を割合、つまりは思考を養うことに費やす、ということを推奨しているわけです。今年桜修館に高得点をとって合格した女子はその理想の過程を過ごしたわけです。だから竹の会では小5の9月に入会した子は実は遅いと認識されています。小石川狙いだと遅いという実感が支配します。ここから「もっと早くきたかった」という声も出てくるのでしょう。

 いくら有益な知識、情報としても、多すぎれば、選択肢を増やすことになりますから、迷う、迷わせるに十分です。いい情報も多すぎれば有害です。人の脳というのは、1つにしぼると俄然冴え渡るという性質があるように思います。とかく人間は限定1個、残り1個などに弱いのです。おたくの皆さんはレアものを集めて狂喜しているわけですが、考えてみれば、人間はみなひとりひとり限定1個ですよね。結婚相手を見つけるのに、みな限定1個なのにだれも狂喜しない。ということは人間というのは、本能的に別の何かに限定性をかぎ分けているわけですね。

 東大理Ⅲというのは、ありゃー天才が集まるところだと心得ています。受験研究家などと肩書きをつけていた和田秀樹が最近は精神科医という肩書きで本を書いている。かれは灘から理Ⅲに入った天才でしょ。理Ⅲにはそういうのがうようよいるわけです。ですが、不思議なことに、ノーベル賞をとるほどのことはなにもできていない、本を書かせてもたいしたことは言っていない、こりゃー、どうしたことか、というわけです。そういえば、東大大学院の原子力関連の教授にはろくなのがいなかった。学業は天才だったのでしょう。しかし、たいした業績もない。せいぜい専門知識をひけらかして事典の関連項目を書くだけの能力しかない。御用学者で啓蒙することもなく権威主義と官僚主義の甘い蜜を吸い続けているだけの存在でしかなかった。だから平気で「原発は安全だ」「プルトニウムは飲んでも無害だ」などということを平気で言う。

 いや脱線してしまいました。思考とはについて書くはずでした。わたしは思考を育てる、伸ばすというのは、時間のかかる仕事だと思っています。即席はない。だから短期間にこれをやることはできない。だから、小6の9月あたりにやってきてもとても間に合わない。かつて竹の会には小6の9月にやってきて受かった子が2人ほどいた。20年の桜修館、25年の白鷗がそれであった。前者の子は1年ほど日能研に通っていたから下地があった。後者の子は漢検2級に小6の1学期に受かっているが、ポテンシャルが高かった。普通の子は短期間で詰めて指導すれば発育不良の植物と似た症状を呈する。

 思考というのは、乳酸菌ではないが、じっくり時間をかけて発酵させるというか、知識をできるかぎり制限して、じっと待っている、待つことに対する忍耐力というものが必要な気がする。あきらめたらそれで終わりのようなところがある。このなんとも前に進んでいるのかどうかわからない期間というものが是非とも必要なように思う。じっくり時間をかけてやることがいい脳をつくることになるのではないか。

 それから今模試などで上位にいる子たちというのは、小5のそういう時期にじっくりと勉強に取り組んでいた子たちであるということに気がついたかどうか。 なかなか机についてじっくりと考えるということをしてこなかった子たちが、今のこの時期模試の成績が悪いとしてもそれはしかたないことでしょ。

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