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日比谷・西一直線/小石川攻略への道/指導とは手順を踏むこと

2016.08.16

 おはようございます。台風7号の接近で大雨が予想されています。本日は指導日ですが、どうも今夜あたりから明日にかけてが最接近らしい。今日は予定通りの実施です。なんとか台風の間隙を縫って指導が滞りなく実施できることを祈ります。

 わたしは常々竹の会に入会するならできるかぎり早いほうがいいということを申し述べてきましたが、わたしがこのようなことを口角泡を飛ばせて言ってみても世の親たちが聞く耳を持たないということは先刻承知しております。大手なり地元の個人塾なりへと行き数か月から最大では2年前後を過ごしてようやくその失敗に気づくという親がほとんどで、小5の終わり頃から小6になって、ようやくどこやらで竹の会の噂を知り竹の会に問い合わせて来る例がとにかく多い。竹の会が直接訴えても見向きもしない者が、だれかから耳に入ると信用する、そういうもののようです。

 なかには塾にも行かないで自宅で通信という子もいるようですが、いずれにしても一様に「できない」。例外はありますが、たいていは訓練されていない、全く粗野な頭脳のままに野放しにされてきているという印象です。集団の中にいないということからくる社会性の欠如、まず敬語を使えない、集団という学校しか知らないがゆえの稚拙さというものもあります。通信というのはいかにも閉鎖性の強い、小学生が主体的に取り組むというのは不可能で、親御さんが徹底管理して初めて意味がでてくるものでしょう。

 子どもたちがそれぞれにお気に入りの塾に通うのは結構なことですが、子どもたちの能力をうまく伸ばしていくというシステムにはなかなかなっていない、どこの大手を見ても、面倒見がいいというのが売りの地元の個人塾にしても子どもを伸ばすには限界がある。お仕着せのテキストを使い、授業をする限り、もともとの天才以外は生気をなくす、わたしは多くの塾で失敗した子たちを見てきてそう感じております。

 さて、世間の塾の話しはここまでとして、竹の会で成功するには、勉強をなにかの次と考えないことです。いや実際今の竹の会にはいろいろな事情がありまして、そういう子が紛れ込んでいまして、過去にもそういう子たちが点在したわけです。ひとつには竹の会がいくらその存在をアピールしてもなかなか世の親たちには受け入れられなかったという時期がありまして、勉強を蔑ろにするということではないのですが、勉強が第二、第三といった人たち、あるいはもともと大手にも受け入れられがたい能力の子が、いろいろな縁を頼ってくるということがありまして、竹の会をとにかくも信頼するというその一点に絆されて入会を許可するということがあります。しかし、こういう子たちが成功するということはほとんどないわけです。もともと勉強強豪塾をめざしてきた竹の会の精神とは相容れない人たちではあったのです。

 竹の会の渋谷A教室がようやく今年になって受け入れられるようになりまして、わたしの描いた勉強強豪塾という理想の実現も夢ではなくなってきました。渋谷Aには実はA合格を取れなかった子も入室しておりますが、本人、家庭の勉強姿勢、これからの指導の進捗を見ていくという入会許可です。前にも申しましたが、入会試験でいったん入会したらもはや退塾は俎上に乗らないということではなくて、途中「無理」と判断することもあるという含みです。親御さんの中には、子どもが勉強しないことをとらえて、わたしから注意してほしいと言う人もいますが、これは本末転倒であり、勉強しなくなったのであれば、退塾を申し出るのが筋なのです。去年の小6には、入会してからなのですが、机にほとんどつかないで指導室に1時間でも2時間でもいる、よほど居心地がよかったのでしょうか、そういう子たちがいまして、これは早期に退塾などの措置をとっておくべきことでした。とにかくわたしにストレスを遺す子というのがいまして、こういう子は早期に駆除しておかなければならないのだと思っています。

 竹の会にいる限りは、わたしには指導の青写真というのがあります。わたしはすぐにその子の持てる潜在能力を見抜くはずです。わたにはその才があると思っております。たとえば、入会試験で能力の一端を見せてくれた子が、まだ幼すぎて、概念を理解する指導が無理ということがあります。概念指導とは、小数や分数の定義から入る指導です。こういうときにはまず手を動かす、それでわたしは小3などだと市販のドリルをそのために利用するわけです。かつて元代々木教室に見学にきた母親がこの市販のドリルを見て、「なんだ」という顔をしたことがありましたが、バカです。わたしの子どもとのやりとりから今この子には何が必要かを瞬時に判断してとった手順の指導でした。指導というのはその子をいかに伸ばすかという一連の手順の積み重ねであり、その過程において、たまたま使ったドリルで竹の会がわかったみたいな顔をされても、わたしにはただ、バカです、というしかないのです。

 都立中受検に対応できる子に育てるといい、高校入試でトップ都立合格にまで育てるといい、その指導というのは、すべて一定の手順にしたがうということにおいては何の違いもありません。

 指導というのは、手順です。ある知的段階をクリアすると次の知的段階にステップを進める、その都度、事態を想定した手順をとる、進める、これが指導というものです。中学ではレジュメを出さなくなったら終わりです。なぜって、手順が踏めないからです。手順があって初めてわたしの想い描いた上昇曲線が現実化していくからです。

 課題をやらない小学生も正直進捗にはブレーキがかかった状態です。なぜって、わたしの手順を進める上において、課題をこなすことも想定のうちにあるからです。何かと塾を遅刻、早退、休むというのも、手順がほとんど断続的に中断する、1週間あいだが空くと、手順はどこまで戻るかという処理の問題となる。なかには最初からやり直しという子も出てくる。そうなると手順が、次の手順がというふうに進められなくなり、これは失敗のことが多い。わたしが勉強を最優先させることを言うのは、合格というか、成功に向けての手順が結局リズムよく前に進められなくなる事態を想定してのことである。

 竹の会でわたしの指導を受けていて、レジュメが1週間も出せない、課題が1週間も出せない、そういう状態が続いているとしたら、それは手順がふめていないことを意味し、竹の会にいても意味がない、そう言ってもいい、と思います。とにかくレジュメは何を置いても出し切る、これです。そこには絶対の責任を感じなければならない。次の手順を待つほどに勉強しなければならない。

 実行すること、これが竹の会で成功する極意である。とにかく与えられた課題をやりきること、これである。これだけである。手順というものをわたしが踏んでいる限りは、確実に合格へ向けて突き進んでいる。

 どうか竹の会の指導というものを誤解なく理解していただければと思います。親が自ら竹の会の手順を邪魔することたびたびというのであれば、最初から竹の会にくるべきではなかったし、いるべきでもない。

 竹の会はわたしの手順がだれの邪魔もなく踏める限り、そして生徒が「実行」という一点においてなんの迷いも、躊躇もない限り、確実に合格という現実をもたらすはずです。

 こういう状態こそが、わたしが夢にまで見てきた、竹の会という勉強強豪塾の姿でした。今年は、ようやく竹の会が東京のみなさんに認知されつつあることを実感しております。これはわたしがさらに理想型に近づくために、勉強しない子どもは竹の会を去り、勉強するというその一点において曇りのない、実行力のある子たちだけで竹の会を構成する、そこまでに減量する決意を可能にすることでしょう。

 竹の会では、志しある小学生が竹の会の門を叩くことをいつでも待ち望んでおります。

 

 

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