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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/いわゆるグレーゾーンのアメーバ現象/部活という勉強否定でバカ高校へ

2016.06.17

 おはようございます。昨日の降るのか降らないのか、ぐずぐすした天気が一掃されて梅雨は明けたのかと思わせる、青空が広がっています。本日は、渋谷Bの指導日となっております。渋谷Bにつきましては、将来、もしかしたら竹の会の小6などが竹の会を去る2月まで、Aが空くのを待つ、そういう意味あいもあるコースとして、位置づけていきたい、そういう思いがあります。ただし、それには、前提として、入会試験に合格、少なくとも準合格はしておく必要があるのはもちろんです。Bでは、入会試験に落ちても、勉強の意欲、親御さんの竹の会への思い(遠方からはるばる来訪されたという情熱)などを慮り、入会を認めてまいりました。

 が、今後はこのような特別の取扱はしないこととなります。ただし、夏期外部生については、特に、夏期後も継続指導を希望する場合は、この限りではありません。わざわざ竹の会の夏期を選んでくださった人たちですから。竹の会では、入会試験に落ちた子たちでBが埋まることは想定してません。また、今回の特別扱いのみなさんについても、長期的にみていきたいとは、思いますが、本人の勉強意欲というものが「ない」と判断されるような事態がまいりましたときには、退塾をお願いすることになると思います。計算が長引くとか、割合の理解が進まないとか、こういうことでは退塾をお願いすることはありません。飽くまでも勉強に対する情熱です。実は、Aでも、計算だけで2年かかった子もいます。割合についても、準合格の子の中には、なかなか理解できない、進まないという子もいました。今年は、そのような子の中から合格者が出ています。かつては、入会試験に種別があり、初期の入会試験は、小3対象で、全3問でしたし、今の「入会試験Ⅰ」以外にも、全5問構成の平易なものもありました。今は、他は廃止されました。入会試験は、後の指導がスムーズに進むことを保証するものでなければなりません。それが、ひいては本番合格につながることになるからです。その意味では、現在の「入会試験Ⅰ」の選別機能はすぐれています。

 最近開発された小3、小4早期向けの「入会試験Ⅹ」、小6から中1向けの「入会試験Ⅱ」、「入会試験Ⅲ」などもあります。最近、大手歴2年の中1が、「入会試験Ⅱ」を受けて、0点で落ちましたが、「入会試験Ⅱ」、「入会試験Ⅲ」については、竹の会で小5の1年間を成功裏に指導を進めて参りました小6について、実験したところでは、合格がとれるということがわかっております。しかし、小6で「入会試験Ⅰ」が、0点では、そもそも受検はありえない、と思います。それどころか将来区立中に進んでも先は見えています。逆に、小5後半、小6で「入会試験Ⅰ」でA合格をとっても、玉石の判別は不明です。飽くまでも「入会試験Ⅰ」がもっとも機能するのは、小4期、小5でも4月、5月あたりがぎりぎりでしょう。

 昨日は、考えない、わからないとすぐ聞きに来る、そういう子たちのことについて、お話ししましたが、わたしが「もう一度考えなさい」と言うと、渋々席に戻っていく、ここでまた、二通りある。ひとつは、頃合いを見計らってやってきて「考えました」と言ってやっぱり聞きに来る、もうひとつは席について、さっぱりわからないというか、困った顔をして、どうにもならないというオーラが出まくっている。ここで説明するか、その問題はスキップして先へ進めるか、新しい思考枠組みを教えることになる、そういうときは説明します。これまでの思考枠組みをほんとうに理解していればわかるというのもありますが、小石川合格者もここは教えたな、そういうときは教えます。が、思考枠組みそのものに疑念を生じさせるような問題、これについては突き返すしかない。

 「わからない」ということの耐性がない。すぐ思考停止する。考えた形跡が何もない。思考の跡、片鱗、アイデアもなにもない。ただ「わかりません」というだけ。数学オリンピックで1位をとったことのある、日本では有名なピーター・フランクルという数学者がいます。彼のエピソードが彼の著書を読んでいると出てきます。「わからない」とき、日本で言うところの長持ちみたいな箱の中に、何時間でも入ったままで、考えたのだそうな。わかるまで一日でも考えたのだそうな。そういえば、平成27年に桜修館に合格した女子は、「わからない」ときでも、必ず「もう一度考えます」と言って、持ち帰り、何日かして持ってきたことがよくあった。今の小5のように、5分ほど考えて、「考えたけどわかりません」と持ってくるのでは、先が見えている。「わからない」という壁は自ら破るしかない。すくなくともとことん考えたという経験もない子に期待は持てない。

 ◎さて今日は、大手進学塾に通う、天才でもない、かといってバカでもない、いわゆるグレーゾーンの子たちについて少し述べさせていただく。日能研あたりだと、テストの点数順に席順、当然クラスも決まるということは昔から変わらないようです。例えば、3クラスあって、真ん中のクラス、これがグレーゾーンに属するのかなと思います。このグレーゾーンの子たちの志望校というか、夢は大きく、さすがに開成などとはいわないけれど、慶應や早稲田は口にする、そしてもっと現実的に、栄東、渋教渋谷、芝、本郷、城北、市川、吉祥女子、浦和明の星、豊島岡女子などは対象にする。もっとも女子学院、桜蔭、麻布、武蔵、開成、巣鴨などそういうレベルの学校の子たちも小石川を併願しているが、それは、合格が必ずしも確実ではない子たち、そういう子たちが併願先として小石川を選んでいるのではないか、そう見ています。小石川に入学するのは、そういうグレーゾーンの子たちが、当然第一志望の私立を落ちたことが本来です。しかし、中には、小石川の東大合格可能性と学費を秤にかけて、それなりの私立に合格しても小石川を選ぶという人もいる。決定的なのはやはり学費であろうか。

 こうして小石川の生徒の層、質といったものが見えてくる。小石川の併願率はおそらく70%超であろう。こうして、小石川を受検するということは、小学4年から週4日標準として、大手進学塾に通い、小学の3年間を勉強だけに過ごしてきた子たちを敵として戦わなければならない、ということが見えてくる。そういうときに、小6になって、たまたま学校見学に行って、小石川に行きたい、などとむくむくと思ったかは知れないが、そういう子が行けるところではない、ということを少し思い知らなければならない。これは、桜修館にしても、小石川ほどではないにしても、云えるところがあり、「娘は桜修館に行きたい、と言っている」とか、言うのは勝手だが、問題は、小4から進学塾で猛勉強をしている子たちも同じところを受けるということだ。

 敵は、エナとか、栄光とか、大原といった都立中高一貫対策を奉ずる大手にはいない。真の敵は、進学塾大手にいるということを知るべきである。本命の難関私立にはどうも合格しそうもない、それで併願として小石川なりを受ける、そういうグレーゾーンの子たちが、都立一貫校を侵食しているいうことである。一貫校がスタートした時期、これまで受験などとは無縁であった層、特に、女子に多いのが特徴であるが、そういう子たちが一斉に公立中高一貫校をめざした。しかし、この十年のうちにそういう層は淘汰され、一貫校の受検層の質は変化した。ただし、それは、小石川、武蔵において言えることであり、一歩譲って、桜修館、両国あたりまでかな、ということである。つまり、他の都立中高一貫校は、そうしたグレーゾーンにとっては魅力はそれほどない、ということである。

 このグレーゾーンほど大手に取り憑かれた人たちはいない。彼ら彼女らの大手に対する依存、思考は絶対的である。大手以外は信用しない、ということでは揺るぎない。彼ら彼女らの能力では、本命の私立は受からない可能性が強いにもかかわらず、この層の人たちは、天才のいることを受け止め、自分たちが天才には勝てないまでも、天才の残したおこぼれ(つまり残った定員)を争って競うのである。こういう大手進学塾には、このグレーゾーンにもなれない層が、しかも実は大手の経営を支えるだけの大量の層がいる。つまり、グレーゾーンの合格者たちが、残したわずかな空席を競う、しかし、そのほとんどが名も知れぬ私立に吸収されていくことになる、そういう層である。そこまでして私立に行きたいのか、と思うけれど、子どものわがままをそのまま認めてもらえる私立に行かせたいという親も多い。公立に行けば潰されると懼れる親もいる。

 グレーゾーンというのは、自分たちの生きる場所をアメーバのようにすき間さえあれば入り込んでいこうとする、そういう層である。

 ◎わたしは、別に部活を否定しているわけではない。ただ部活をやっている生徒というのが、わたしの過去30年以上の経験から、勉強というものをしない人たち、勉強と正面向かい合うことのなかった人たちであったという体験から部活に否定的なだけである。部活で疲れて塾に来てもまともに勉強などするはずもなく、居眠りをするのが常態で、家庭学習なしは常識、こういう子たちがなぜか塾には行くというのがわからない。親は塾がなんとかしてくれると思っている。成績が悪いのは塾のせいだと簡単に結論する。こんなことでは塾にやっていても意味がない、と言って塾を変える。バカな親である。

 部活をやっていても勉強するのは、実は、能力の高い子たちだけである。能力が低ければ勉強なんかするはずもない。だから、自分の子が、なぜ勉強しないのか、と嘆く前に、自分の子の能力がないのだと悟ったほうがいい。勉強しないで部活ばかりやって中学を過ごせばどうなるか、そんなことはわかっているでしょ。

 まず都立には行けない。部活ばかりやる子というのは、怠け者ばかりであるから、理科や社会をまじめにやったことがない。そこから都立は受けられない。それで私立ということになる。が、どんなに頭がよくても努力しない人間が得られるものなどない。結局低偏差値のだれでも受け入れてくれる、常時定員に満たない入学者で経営の明日も見えない私立高校が、単願推薦という名の無試験で受け入れてくれることになる。そういうところに集まってくる生徒というのが、どういう質なのか、わかりそうなものである。勉強などする意欲もなく、中1の学力もない生徒で占められる。高校で中学1年からやり直す、これは常識である。だから中途退学も多い。わたしの知るところでは、公称偏差値58ほどの高校でも1学期が終わるとクラスの3分の1がいなくなっていた、と聞いたことがある。

 部活とは、学校の見解、親の認識は、格好いいけれど、その実質は、勉強否定である。ただし、頭の悪い子と頭はよくてもなんらかの事情で勉強に背を向けた子たちという条件付きの話しではあるけれど。

 ◎だから、小学、特に、3年、4年時の教育が大切なのである。

 この時期に、こつこつと勉強する習慣をつけさせること、これである。考える習慣をつけていく、これが大切なのである。もともと頭のいい子なら、仮にこの時期にスポーツをやらせたとしても、きっと勉強に回帰してくる、していく。それはもともと持つ能力のなせる業である。しかし、天才とは云えないまでも、バカとも云えない、そういう子なら、スポーツをやらせれば、回帰はない。ここが思案のしどころである。この時期に、習い事や稽古事を夢中でやらせる親がいるけれど、もし自分の子が中途半端な、グレーゾーンの層に属する子なら、それは将来勉強で能力を発揮することはない、そういう選択をしたことになる。

 グレーゾーンに属する子が、勉強もほどほどに、習い事も稽古事もそれなりにできるけれどそれだけのこと、という結果に終わった場合、中学でどうなるか。おそらくまともな都立には行けない。せいぜいの私立には行けるかもしれない、そういう落ち着きどころではないか。

 

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