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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川、九段への道/考えるのは何か

2016.07.14

 おはようございます。朝から蒸し暑いどんよりとした天気です。このところ熱帯夜が続いています。ある親御さんから、正体不明の感染力の強い風邪を引いてしまった、というメールをいただきましたが、夏にも強いウィルスが現在進行形で誕生しつつあるようです。わたしは十数年前に、夏期指導の期間でしたが、2週間ほども微熱が続き、フラフラになりながら講習をしたことがありました。とにかく休むことがありえないというのがありまして、これに懲りて用心するようになりました。わたしの場合は、たいてい子どもたちから感染してしまうことが多く、とにかく油断しないで、マスクは効果なしという医師もいますが、経験からはそんなことはないと思っていまして、マスクを常用しております。

 子どもたちを引き受けて順調に指導が進んでいれば問題ないのですが、ひとりひとりみな違う子どもたちですから、みんながみんな順調ということはない。昨日も注意したのですが、課題レジュメが異常に少ない小5がいる。「教養のための理科」と「四字熟語」、毎回これだけ出してくる。ほかにも多々出していたはずなのに、一向に出してこない。尋ねると「もらっていない」という。そんなばかなことはないでしょ。提出されれば必ず次回の課題レジュメとともに返される。去年の小6にもそういう子たちがいまして、これは意図的に先送りしていたのですが、これも指導が順調ではない場合のひとつの例です。

 割合のレジュメ指導において、「わからない」というので説明する、しかし、説明の後、ノートに整理するなどのことをしない、そういう子は、後々、必ず、同種の問題、果ては一度説明を受けた問題さえも「わからない」と言ってくる、わけです。中には、わたしの説明のわら半紙をレジュメに貼り付ける子もいますけど、感心しません。とにかく自分の頭で、手で、一度考えて、自分の答案を書くだけの手をかけてほしい。勉強では、「面倒臭い」というのがいちばんの敵です。そういうことを面倒臭がって、時間の節約をしてがんばっているのかというと決してそんなことはなく、時間の節約をして、遊んでいるわけですから、わけがわかりません。わたしは、小6は当然として、小5にも1日5時間の勉強を理想として望んでいます。

 それから親御さんというのは、もちろん受検になんとか成功してほしいとの思いから塾に通わせている、そういうことなのでしょうが、こと今年の小6に関しては、正直わたしには合格の見通しというものがない。小6ぎりぎりに来た子たちについては、遅すぎて、思考力を培うのにまだまだ期間が必要です。小4の3月スタートの子がいますけど、家庭学習時間の絶対量が完全に不足してます。課題レジュメの提出も緩慢で、種類、量も少なすぎます。小3の2月スタートの子についても、課題はいちばんよくやっていますが、算数でずっと苦しんでいます。

 こうして小6はこういう状況をふまえてどこまでぎりぎり合格に持ち込めるのか、というすでにしてかなり悲観的なわけです。ただ救いなのは、みな一様にやる気があるということでしょうか。あきらめていないですね。そういえば、今年富士と白鷗に受かった子たちもとにかく気持ちだけはあったようです。子どもたちがいい子ばかりなので、今年のような奇跡が起きることを秘かに念じています。

 わたしは常々に言い続けているのですが、竹の会に入会するのは、小3後半から小4前半までが、いちばんいい、のではないか。特に、知能の高い子たちというのは、小5にきて、もっと早く来ていれば、と一様に悔やみます。たいていは、小4の時期に大手に行っている子たちが多いのですが、正直無駄な1年を過ごしている、と思います。竹の会なら、指導がうまくいっていない、こういうときは、いちおう様子は見ますが、やはり早い時期に、退塾したほうがいいのではないか、ということを親御さんにそれとなく示唆する、そういうことはやります。これまでは、退塾したほうがいいという子については、このブログで親御さんにはそれとわかるように示唆してきましたけど、それだとどうも心当たりのある親が複数いたりして、心を入れかえれば、つまり能力の問題ではないので、指導可能な子の親が勘違いして退塾したということもありました。難しいものですね。頭のいい子も悪い子も知能に関わりなく、いろんな意味のカンニングをする子たちというのがいましたが、そういう子の親というのは、自分の子をどうしても善行解釈をする、だからか冷静に判断できない、逆恨みする、厄介な親というのがいます。学校でもモンスターママということが言われますけど、塾だってそういうママにいつ遭遇してもおかしくはないわけです。

 子どもというのは、勉強に集中させるような教育というものがなされなければならない。しかし、昨今の親には、そういう道理を理解していない親というのがとにかく多いですね。Simple is life. という言葉が一頃言われました。断捨離という言葉もよく言われています。しかし、そういう言葉が件の親たちに、特に、母親なのでしょうが、インパクトを及ぼすことはまずない。

 自分の子どもをどれだけ天才と思っているのか、あるいは幼児教育という言葉にバカでも早くから芸を仕込めばものになるという何か閃きでも得たのか、とにかくわが子に様々な習い事、稽古事に通わせて、夢中になっている母親というのをありふれるほどに見てきましたけど、中学生になって、部活やらせて、習い事と同レベルにしかとらえていない塾に通わせて、結局、都立は行けない、平均的私立でお茶を濁して、子育て終了というわけです。幼い頃よりの習い事、稽古事、スポーツはいったい、そういう結果の子どもに何だったのでしょうか。勉強を軽視すればそういうことになる。勉強を蔑ろにしたきた母親の子は、当然勉強を蔑ろにするようになる。真剣に勉強するということを知らない子である。欲しい物はどんな高価なものでもなんでも買い与える親、つまり教育しない親というのが、やたら自慢ばかりして、物に目移りばかりしているバカ息子、バカ娘になるのも、似たようなものである。結局、わけのわからん学校に行くことになるのは変わらない。

 集中させる教育とは何か。集中というのは、迷わないということである。ところが、昨今の親は、子どもにとにかくやたら選択する機会を課すわけです。選択する数が多く、迷いが多ければ多いほど、集中することができなくなります。日本最難関の国家試験と言われる、公認会計士、司法試験、今の司法試験は旧制度の時代と比べようもないほどに易しくなったけど、まあそれはいいとして、こういう試験でも、昔から、集中力というものは言われてきたわけです。そしてこの試験に失敗するのは、選択に時間を囚われた人たちです。ここで選択は、本体の勉強ではなく、勉強の方法論に費やされる。パスカルも「方法序説」で方法論の害を説いているけれども、こういう難関試験では、できるかぎり選択に時間を費やさないこと、したがって早くに決めた方法を迷うことなく続けることなのである。

 日々の生活の中で、選ぶ場面が多ければ多いほど集中する力は削がれます。習い事、稽古事をあれこれやることがよくないのはここにあります。物をやたら買い与えるというのはここからもよくないのです。

 こうして物と選択する機会を減らすこと、断捨離、Simple is life.が、教育のポイントということになります。子どもを集中力のある子に育てたいのなら、子どもから選択する機会というものを極力減らすような教育をすることである。物を買い与えるということは、物に煩わせる時間、つまりは選択の機会を増やすことになる。いや、習い事に通わせるというのは、勉強という選択肢を奪っているわけです。子どもから選択する機会を親の専断で奪っている、子というのは、特に、女の子は、母親が好きなら自分も好きになる。だから習い事には選択もないから集中するが、勉強という選択肢はないか、他の習い事と同レベルの選択肢のひとつに過ぎない。こういう勉強蔑視の姿勢というのは子どもに勉強というものに対する意識を植えつけずにおかない。子どもは、その程度の勉強意識で、通う塾が、大手であってみれば、もう結果は目に見えている。ご愁傷様です。

 

 

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