画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川、桜修館の道/長足の歩みが目に見える、竹の会の指導

2016.11.05

 秋深まるこの時期は、哀愁に誘われて京都に惹かれる、惹かれて止まない自分がいる。中学3年生のときの修学旅行は京都・奈良・大阪に行った。郷里の別府から6泊7日の旅だった。といってもうち2泊は列車の中、夜行列車の長旅だった。夕方別府裏駅の広場に集合して夜汽車に乗った。車中大騒ぎでうとうとしていたら明け方には京都に着いた。京都のどこをどう回ったのかすっかり忘れてしまった。翌日奈良に泊まり、その翌日は大阪だったのか、何も覚えていない。当時の思い出を写した写真はすべて父親が捨ててしまった。わたしが二度目に京都を訪れたのは、高校を卒業して1年、京都大学受験のときだった。九州から京大をめざす、それはわたしの憧れだった。東大じゃなく京大だった。それはかつて暮らした家の真向かいにあった家に住んでいた年の離れた先輩が京大に合格したという、ただそれだけの理由であった。いやそうではないのかもしれない、やはり修学旅行で訪れた京都の印象がずっと心に棲み続けていたのかもしれない。すさんだ高校生活を送り、とても大学受験どころではない学力、独学でやり直した日々、数学も英語も一からやり直した。そうさせたのは京大への思いだったと思う。短期間で旧帝大に合格すること、そんなことができるのか、今から考えればハチャメチャな勉強をしたものだ。英語なんかまず1万語覚えることから始めたし、どうしてもわからなかった数学は今は名前も忘れた1冊の参考書との出会い、それからZ会の通販で手に入れた1冊の問題集、これがわたしを救った。世界史や日本史は、「山川用語集」の丸暗記だった。さすがに英語は当時のベストセラー「英文標準問題精講」を20回以上はまわしたけれど、最後は単語勝負だった。古文は、「古文読解法」、漢文も何か1冊やったけど忘れた、理科は生物を選択し暗記しようとしたが、余りにもの知識量に挫折した。こんな受験勉強しているヤツなんかいないだろう、そう思った。わたしは実家の三畳間で朝から晩まで同じ参考書を回した。正月の「正」を書いて回した回数をメモした。赤尾の豆単は50回は回した。山川用語集は最後は覚えた用語を黒いボールペンで塗りつぶした。ほとんど真っ黒になった。九州大学は、最初、京都大学の分校としてスタートした。日本では三番目に発足した帝大とされる。わたしは結局九州から出ることはなくとにかく旧帝大に入るということを実現させるために九大を受けた。九州大学合格後、京都というと沸々と心にわき上がるものを禁じ得なかった。

 3年ほど前、京都を訪れた。中学のときどこをどう回ったのかさっぱり記憶にないけれど、金閣寺はきっと訪れたはずだし、嵐山も行ったはずである。わたしの勉強への思いは京都にあったのではないか、深まる秋の冷たい京都の空気がわたしの中に染みこんでいった。京都の中に佇み、周りを見渡すと、あの頃のわたしが、憧れを胸に抱いたわたしが歩く姿が目に浮かぶ。

 いつか京都を訪れたい、いつも漠然と思う。郷里の別府はわたしには辛い地であったように思う。それでも祖母や母がいた時代の別府はわたしには心安まるところだった。母がいつも取りなし、わたしを受け入れてくれた。帰れば、母の手料理がわたしを和ませた。いつもいつもひとりで東京に出て行ったわたしのことを心配していた母だった。健在の頃は毎晩のように電話がかかってきた。毎月のように大分の幸を送ってきた。母の漬けた梅干し、らっきょう、白菜の漬け物、大根の漬け物、ニンニクの醤油漬け、・・・もうなんでも送ってきた。母が亡くなってぱったりと止まった。OKで蜜柑を買うときに、母がいつも欠かさず送ってくれてたな、「母さん、ありがとう」と思わず涙ぐむ、自分で買うのは何か悲しい、買うものはすべて母が送ってくれたもの、それを思い出してはスーパーで買う、買う度に悲しくなる。

 ◎長足の歩みが目に見える、竹の会の指導

 長足の歩みとはこのことか。竹の会の子どもたちのことです。指導のたびに、長足の歩みを見せる子どもたち、わたしはよく竹の会の子どもたちが、まるで絵に描いたような急カーブの上昇曲線を描いて伸びていく姿を、そう、まるで物語が現実に突然出現したような感慨をもって子どもたちの目覚ましい成長を見てきたのだ。子どもたちも「できる」自分に、自分再発見でもしたかのように、いやこういう形容ではとても言い尽くせない、生き生きとした目をして、「できる」ことを楽しんでいる様子がはっきりと見てとれる。よく親御さんが、子どもたちが「変わった」と報告してくるけれど、わたしの感じていることを母親の目で不思議そうに見ているのだな、と思っている。

 子どもたちの指導とは、「わかる」ということを積み重ねていくこと、「できる」という経験を積み重ねていく、まさに、ミリ単位の仕事であろうかと思う。ミリ単位だからこそ竹の会には早くに来ることが望まれる。後々後悔しないためである。遅くに竹の会に来た人たちは必ず後悔する。それは子どもを考える子どもに育てるには微々たる指導の積み重ねしかないからである。だから時間がかかる。小6あたりにきては、このようなミリ単位の指導はもはやできないからである。

 親たちの後悔の念、これには二つの意味があるようです。

 ひとつは、竹の会の指導の素晴らしさ、凄さを、そう、わたしが言うのもおかしいのですが、とにかく凄い、今までの勉強というか、塾は何だったのか、ともう驚きと後悔の入り交じった感情というものをもたれるようで、わたしは正直言葉もないのですが、それが真実のようです。

 二つは、それゆえに、もうどうしようもないほどに遅れたことへの後悔です。失った時間の余りにもの大きさ、焦りといったものです。

 よく親御さんの中には、今大手に通っているので、来年の2月からお願いします、などという方もいますが、その大手に通っていた数か月が実は意味のない期間であったということを後から知ることになるわけです。竹の会に入るのなら、大手など切って捨ててもばっさりと切って捨てて、できるだけ早く竹の会に入るのが正解でした。

 小6前後の入会では、基本訓練というミリ単位の長期の訓練の積み重ねというものがほとんど取れないことから、思考のスタンス、勉強のスタンスが固まらないままに、小6という受検の年を迎えることになります。合格はんこもほとんどとれないままに、進めるということは、失速にほかならない。合格はんこはこれまでの思考訓練の結果をいちいち確かめる手続きだったのです。実力のない、失速状態のままに受検に突入する、それが遅くに来るということの意味です。小6で竹の会の来て成功するのは、よほどの天分に恵まれた子のみです。

 大手の子たちが、小6になって、伸びない、いや失速するのは、彼ら彼女らが、早い子で小4から、たいていは小5あたりからと思うのですが、通うわけですが、そういう子たちがほとんど失速する、一部の天才を除いて、おそらくは80%以上が失速する、これはもはや子どもたちの能力云々よりも、大手に内在する矛盾にあるのではないか。

 今、小4から入会した人たちというのは、竹の会の実際の指導を知り、小4から入れたことに、胸をなで下ろしているのではないか。小5からきた子たちには幾ばくかの自責の念があるかもしれない。小6前後にきた子たちを含めて、基本訓練期間というものを不本意な過ごし方をしてきた子たち、そもそもそれがない子たち、これは、失速を余儀なくすることは避けられないことであろうけれど、救いがあるとすれば、竹の会の(志望校の)合否判断が高いこと、それゆえに、今年は、失速したにもかかわらず合格した子たちが出ていること、竹の会の直前指導が、奇跡を起こす可能性に満ち満ちていること、ではなかろうか。

 あきらめるのは早いということである。わたしもプロだから、最善の策は講じる、手を拱いて傍観することはありえないでしょ。

 ◎竹の会で入会して3か月、6か月は、退塾も視野にもう一度考えてもらいたいということ

 効果がないなら「止める」、当然のことです。竹の会に「できないこと」を相談するメールを送るよりも、退塾のメールを送るのが、正しい選択と思います。竹の会の指導は、ある一定の才能を想定しているからです。それが入会試験です。

 ◎何を主張したいのか、見えてこないこと

  竹の会の作文評価が4段階あるということは、触れました。中で「A評価」というのは、本番で合格作文とされる判定です。200点満点ですと、160点以上ということです。「B評価は、120点、これは他の適性科目の点数によっては合格するかもしれないという、微妙な判定です。「C評価」は、80点ほど。これはまず他の適性科目と合わせても不合格となる点数です。「D評価」は40点以下の判定です。わたしの作文判定は、予備校の判定、例えば、早稲田進学会の判定とは、違うようですが、本番では、わたしが「A評価」をつけた者は99%以上本番で合格点をとっています。100点満点の85点、80点の如しです。

  子どもたちの作文を読んでいると、稚拙な表現、幼稚な思考、未熟な考えというのが、作文を書く前提を欠く、ということのほか、いったい何を主張したいのか、見えてこないことです。何を書くかは、問い次第です。問いを読んだら、書くべきことをまずメモしてください。「筆者の主張をふまえて」書くとか、「あなたの体験を交えて」書くとか、いろいろ細かい指示があるはずです。特に、「体験」は、具体的に、書かねばダメです。例えば、「理科の実験で、その現象の不思議さに感動しました」というのは、具体的ではありません。「石灰水の入ったフラスコに二酸化炭素を通す実験をしたときに、フラスコ内の石灰水が白くにごりました」というのが、具体的な記述です。「手順を書け」とあるのに、手順を書いていない、などありえないでしょ。「先生がこう言った」、「友だちが転校してきた、ぼくの言葉で心が通じて仲良くなった」などは少しも具体的ではありません。

 段落を3つとか、4つに決めたら、それぞれの段落に何を書くかをメモしてください。そしてその段落にはその内容だけを書くのです。ただし、全体の段落では、「テーマ」が共通したもので、つまり、全体に何かを主張していなければなりません。

 よくあるのは、思い出したことをそのまま書き並べることです。内容の重複もさることながら、ただ時間の経過にしたがって、思いついたことを書き並べただけ、そういう作文が多すぎます。

 体験というのは、具体ですが、自分の見解は、抽象的に言いかえなければなりません。マナーについての作文なら、具体的な体験を書く、そもそもマナーとはなにか、これが抽象的に表現するところ、定義ですね。さらにそこからそもそもマナーとは、なぜ必要なのか、という論理展開にもっていく。小学生のみなさんの作文は、具体的体験がちっとも具体的ではないこと、そもそも体験は、自分の抽象的主張の根拠としての役目があるのに、その点の意識がないこと、そして致命的なのは、抽象的表現、つまり、定義づけ、定義の根拠の論理が、まるで幼稚なことです。どうかわたしの参考答案からそういう思いを学びとってほしいと思います。

 

ページトップへ