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最低でも都立戸山/小石川、桜修館への道/いつやるの?今でしょ

2016.06.25

 おはようございます。6月という微妙な時期も終わり、時はいよいよ7月、8月という真夏へと進んでまいります。太陽の周りをただ回っているだけ、地球の軸がおよそ23度ほど傾いていることが、北半球の日本という位置に四季の変化をもたらす、微妙な位置にある、この奇跡が、わたしたち日本人には、当然のこととされて、平安時代に書かれた書物にも四季にまつわる由無し事が出て参りますほどに、四季はわたしたちには生活の中に根付いております。

 わたしの子どもの頃の記憶も、秋の運動会の光景、冬の餅つきのようす、初秋に見た蜜柑、柿の実のたわわな哀愁をそそる光景、夏の花火大会、など思い出すものには必ず四季の色彩によって彩られております。わたしは九州大分県別府市の生まれです。幼い頃から温泉の記憶が鮮明で、降りしきる雪の中を母がわたしと弟を背負っていたのか、手を引っ張っていたのか、3歳か4歳の頃なのか、祖母の実家のあった別府の山あいの借家の目の前にあった共同温泉に放り込まれていた、その温泉は村の所有だったのか、だれが入っても無料で、溢れるような白い湯がいつも湧き出て、体は芯から温まった、という記憶だけが残っております。別府というのは、いつも温泉で温熱のためか、道を歩けば道の真ん中によく大蛇がゆったりと伸びていた。恐くて道を通りぬけられずに遠巻きにして、「しっ、しっ」などと騒いでいたのではないか、と思うのです、小学に上がる前に、別府の市街に親父が家を建てた。親父は当時でいう、国有鉄道に十代に就職して、二十代に家を建てた、ということを誇りに思っていた。まあ、とにかく不便な田舎の生活から便利な街の生活に変わった。よく田舎の人が野菜などを売りに来て、新しい家の軒先でお茶などを飲んでいた、そういう光景も思い出します。祖母が新しい家の裏に畑を作り、いろいろな野菜を作っていた。ナスとか、きゅうり、唐辛子、葉っぱ物、ニガウリ、なんでも作った。今考えれば、祖母は野菜作りの名人だったのだなとつくづく思う。今弟が近くに畑を借りて野菜を作っていますが、最初はなんども失敗して、嫁さんの実家のお母さんが今も一人で百姓していて、そのお母さんからいろいろ教えてもらって、今では、大師匠などと呼んでいますが、まことに素人がやるには難しいもので、お百姓さんというのは、その道のプロなのだとつくづく思います。

 小学生の頃、新しい家の空き地の片隅にわたしが鶏小屋を作って、もらってきたチャボや白色レグホンの世話をした。アサリやシジミの殻を金槌で粉々に砕き、それに糠を混ぜて、大根の葉っぱを刻み混ぜて与えた。わたしの育てた鶏の産む卵は、殻が固くて大きく、黄身の色が濃いと、よく近所の人が「売ってくれ」と毎朝買いに来た。朝起きると鶏小屋に行く、するとあちこちに卵が産み落とされている。毎日10個ほど収穫したのか。時には、夜明け前にけたたましい鶏の悲鳴で起こされて、かけつけたらもう死んでいた。イタチに襲われたのだ。イタチはどんな小さなすき間でも入り込む、忍者みたいなヤツだった。わたしの手作りの小屋がお粗末すぎたことが裏目に出て、悔しくて涙目であちこちを補強したことが思い出される。

 祖母は、朝顔作りも名人で、今考えたら、あんな大輪の花を色とりどりとよくも咲かせたものだなと感心する。やはり祖母はわたしには大先生だったのだなと思う。種から蒔いて咲かせる、すごいと思う。作物の種は必ず前年の収穫のときに大切に取り置いていたのだ、ということもわかってきた。家にはいろいろな種が紙袋に仕分けされていた。そういえば祖母は縫い物の達人で、わたしが高校生の頃には、よく芸者さんが何十万もする反物を持ち込んで仕立てを頼みにきていた。祖母は反物にハサミを入れるときに緊張するというようなことを一度言ったのを聞いたことがある。何十万もする反物をもし切り間違えたらと思うとドキドキしたそうだ。その祖母は、わたしが九州大学に合格した年の夏に帰らぬ人となった。今から考えれば、なんとも若い旅立ちであった。その祖母に嫁いびりでいつも泣かされていた母が、祖母が死んだときに、「お母さん、ありがとうございました」と泣き崩れていた。歳を取った祖母も晩年は母をいつも頼りにしていた。子どもの頃、いつも祖母が母を叱り、母が泣いていた。わたしは横から「ばあちゃん、かあちゃんをいじめるな」と怒鳴っていた。

 表題の「いつやるの、今でしょ」は、東進の林先生の流行語ですね。わたしは、ふと思うのです。人は、未来を信じないからこそ、今を大切に生きるのではないか、と。いやしかし、世の中の人、親というのは、未来に夢を描いて、今は、仮の、未実現の生き方をしているのではないか、と。習い事、稽古事に週4日、5日と追われるように子どもを育てること、それは何かの未来のいつかに、夢を託するからか。今を犠牲にする生き方をしているのではないか。今を生きる、今いちばん大切なこと、今を生きること。もし、病気になって、何日も生きられないとしたら、今という、このときがどんなに大切なものなのか、・・・。目にする植物の葉の一枚一枚を愛おしく見つめ続けるかもしれない。何か読み残した本の一節をもういちど読みたいと思うであろうか。大学1年の検査で胸に影があると言われて、東京で大型トラックを転がしていたときの酷使が原因なのか思いあたり、死を意識した、おっちょこちょいは少しも変わらず、あのとき帰省する車窓から見た風景の愛おしかったこと。今死ぬと言うとき、いちばん大切なことは何なのか。習い事、稽古事なんかではない。かつて高校の恩師が高校生の教え子が死ぬ寸前に「しまった」と一言遺してこの世を去ったということを話していた。「しまった」とは何なのか。大切なもの、何かをやりこのして、この世を去ること、そう考えれば、今を生きる、今いちばん大切なこと、やらなければならない大切なこと、それは何なのか。未来にやれないこと、勉強。

 

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