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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川、桜修館への道/バカ、凡才と天才の決定的違い

2016.07.01

 おはようございます。ようやく一段落つき、合間を見てブログの更新をと思い立ちました。本日は、渋谷Bの指導日です。7月日程最初の指導日となります。なお渋谷Aについては、6月29日が7月日程の第1回となります。今日は朝から「中1、中2のための計算問題第22回」を制作していました。旺文社の2017年版の過去問集からまず問題を探し、それから打ち込み編集していきます。ここまではそれほど時間はかからないのですが、解説の制作には時間を要します。数学の場合はたいていの問題なら問題を読みながら解けてしまうので、後はどう解説するか、です。見ただけ、読んだだけで「わかる」解説、解答を制作する、ここで時間がかかりますね。昨日は、午後「歩き」ました。歩くと体調がいいですね。ところで、レジュメは、「思考の芽」、「割合の定義」を7月の制作課題としております。夏の指導に使いたいということがありまして、日々アイデアに腐心しながら、走り書きメモを書き、まとまったらパソコンを開いて制作、そういうことを繰り返しております。それから昨日は、「新入会試験Ⅰ」の粗原稿を制作しました。現「入会試験Ⅰ」よりも難しいかもしれない、という不安もあり、これから微調整していき、できれば現渋谷Aの小5や小6で試してみたいと思っています。何度か検証を経なければまだ使いものにならないでしょうね。

 実は、この夏というか、7月からですよね、主として中学生を念頭に、国語読解の指導について、実験的な試みを計画しています。国語の指導に使える何かいい教材はないかと、書架を物色していたのですが、見つけたのが、もう随分前に新大久保の第一教科書で見つけて買った明治書院の準教科書というわけです。わたしはこれを竹の会の子どもたちにじっくりと取り組ませたい、とにかく量より質ということで、とことん読解できるまでこだわらせたい、と思い立ったわけです。明治書院に問い合わせたら学校にしか販売しないという返事で、第一教科書でもまとまってはないか、と思案し、アマゾンで検索したら、1円でいくらでも出ていた。なぜ1円か、というのは、1円ならアマゾンに払う手数料も1円以下、送料が一律257円だけど、この中から利益を出すしくみなのかなと思います。いずれにしても1冊258円で竹の会の子どもたちの人数分は手に入れられそうです。あとは、わたしが、問題をつくり、解説をつくればいい。わたしの抽象-具体の視点、定義という視点からの読解法がどこまで実践的に実用化できるか、そういう楽しみのある指導です。

 竹の会では、高校入試のため、明日のため、ということですが、これも中学生を対象に、わたしの目利きで「これは」という参考書をそろえるという試みを始めました。これはもちろん希望者のみです。先の明治書院の国語もその一つです。ほかにわたしが、「これは」と思って、是非竹の会の中学生に紹介したいと思ったのが、すでにお渡しした生徒もいるかと思いますが、英語の例の教材です。大阪にある出版社なんですが、市販はもちろんしていない、送料を払って、先払いで送ってもらうしかない。この会社の英語教材は、全国の私立学校で採用されていることで有名なんですが、わたしもこの会社の英文副読本について翻訳し、解説レジュメを書いて、竹の会の中学生に使っています。この会社も学校以外には解答、解説を販売しないところなんです。それでわたしは自分で解答、解説を作ってしまった。

 たとえば、中1、中2では、3000円ほどお預かりさせていただいた。参考書をわたしの目利きで購入する、ただし、それは竹の会の指導で使う前提なのですが、正直なところ、お預かりした金額ははるかに超えるでしょうね。超えれば竹の会の負担でいいです。だから申し込まなければいろいろな意味で損ですよ、とわたしは言いました。まず、これだけいい参考書を手に入れられるメリット、さらには、それを使ったレジュメ指導だって受けられる、経済的な得とかを超えた、限りないメリットがある企画申出だったと思うのですが、いかがでしょうか。

 あと、これはもう各自の自由なのですが、「何を読むか」ですよね。あと、理科や社会の何かいい参考書はないかとか、そういう話しですが、まず、読解に効く本というのはあります。理科と社会については、現中2や中3のみなさんには、平成26年あたりに紹介したら、みな買ったようです。国語についても、これは中学生対象なんですが、紹介しますから、是非買ってください。それから読書というのは、あれこれと多読するよりも、じっくりと精読したほうがいいとわたしは思っています。一冊の本をとことん問い詰めていく、納得の行くまで、理解したと実感できるまで、何度も何度も読むのがいいと思います。

 読書とは、やや違うと思うのですが、わたしは大学生のとき、団藤博士の「刑法綱要」なんか、なんど読んだかわからないほど読んだ。意味がわからなくて先へ進めないことも何度もあった。まあ、今は予備校なんかが実にわかりやすく書いたテキストなんか出していますから、そういう苦労をする人なんかほとんどいないと思いますが、今振り返って見れば、「読む」ということの苦しみをあれほど味あわされた経験はなかった。我妻博士の「民法講義」なんか10冊ほどあって、あれはあれで地獄だったように思います。当時の学者は、難しいものは難しく書くしかないと思っていた節がある。分野の違う、政治学では、丸山眞男の「現代政治の思想と行動」などは、明快な論理的文章が鮮烈で、法律学者の文章がいかに悪文でわかりにくいものかとほとほと思い知らされました。

 文学なんかは近代文学、漱石なんかだいたいほとんど読んだはずですが、 姜尚中(カン サンジュン) さんの漱石の読み方はすごい、とにかく一字一句を無駄にしていない、印象です。そうなるとわたしの読んだ漱石なんか、とても怪しいものになってしまう。いい本というのは、何度でも読み返しますね。読めば読むほどに味が出る。何度か読んで初めて気づくことも多い。だからわたしは絶対に精読を薦めます。

 職業柄、わたしはとにかくあれこれと本を読みます。江戸時代小説は趣味です。まあ読書の傾向というのは、ありますけどいろいろと読むわけです。せっかく買っても中身がない、薄っぺらということもよくありますが、ひとつふたつくらいは得るものもある。1400円とか、1800円とかして、読むべき内容はほとんどなく、ひとつだけ、一行だけなにか気になる、そういう本も多いのですが、迷った挙げ句に買うことも多い。

 そういう本のひとつかと思うのですが、少し示唆を得た本があった。学歴が書いてないので、ネットで調べたら慶應大理工とあった。慶應の理工は、まず天才しか入れないところですよ。ここに指定校推薦で行く人もいるでしょうけど、生半可の頭ではまずついていけないと思いますね。

 そこで、世の中の凡才と天才のいったいどこが決定的に違うのか、ということを考えてみた。まず凡才に育ているのは、先天的なものの重要性もさることながら、母親のせいであろうというのがわたしの考えである。これまで竹の会で30年余の指導を通して、子どもが成功するのは、間違いなく母親の心性が関与している、というのがわたしの考えです。結論から言えば、成功する子の母親というのは、ブレがない。これをもう少し分析的に表現すれば、こと勉強ということに関しては、「選択」という契機が全く「ない」のが共通である。平成27年に桜修館に合格した女子のお母さんなどは、「わたしは何もわからないから」と言って、決して何も口だしすることなく、ひたすら勉強する、その女子をただ見守る、それに徹していた。よく不合格になる子の母親というのは、とにかく選択ばかりしていましたね。勉強を選択することに躊躇がある。成功する子の母親というのは、勉強というこについて迷いがない。これがブレがないということの意味です。ブレとは、迷いのことでよね。勉強というのは、迷っていてはだめです。もう習慣になっている、やるのがあたりまえ、前提なんです。その前提でいろいろ考える、それが筋でしょ。ブレているから、迷っているから、そのまま母親の迷いが子どもに反映されることになる。だから子どももいつまでたってもどっちつかずの勉強、中途半端な勉強しかできない、ということになるのです。習い事、稽古事に追われている子というのは、そのまま母親の生活態度が投影されているにすぎない。落ちて悲しむのは、本人というより、母親の悔いではないか。ブレる、迷ってばかりいる、選択してばかりいる、(選択ではなく洗濯していればいいのに)選択、つまり迷ってばかりいるから、子どもがいつまでたっても安定しない、勉強するというところで落ちつかない、わけでしょ。

 

 

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