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最低でも都立戸山/小石川、桜修館への道/竹の会にきて初めてわかること

2016.11.04

 おはようございます。今日も秋晴れのいい天気になりました。今11℃ほどです。朝夕は冷え込みますね。今日は「渋谷B」の指導日ですが、午前中は近くの整形外科に行ってこようと思っています。みなさまには動きが悪くてご迷惑をおかけするかもしれませんが、予めお詫びしておきます。ただ2日前教室から帰るときは足を引きずり、その後歩けなくなってしまい、二晩足を休めて、今日はなんとか歩くことはできそうですから、快方に向かっているのではないか、と勝手に判断しております。

 それでも提出されていた課題の山をていねいに一つずつ片づけていきました。ある小5の子なんですが、作文の書き直しなんかがもう8回目なんですね。結構ダメだししてますが、よく出してきます。小6なんか、Dつけても、書き直してくることはない。たまにあっても1回で終わりですからね。ちなみに、わたしは、作文を4段階で評価しております。A B C Dの4段階です。Aは合格です、他は不合格、なかでもDは、全く「問い」に答えていないか、採点不能という場合に、つけます。Bでも足りない。やはり不合格です。BとCは程度問題です。小6の場合のDは、ほとんど「問い」に「答え」ていないためです。かつて杉山太一君は、Cをつけられて、17、8回書き直しては持ってきました。わたしも遂には根負けしてAをつけました。「また出してきたのか」と正直参りました。たくさん書くよりも、一枚の合格作文を書き上げて、合格作文というものが、どういうものなのかを「知る」ことが大切です。こう書けば合格作文となる、そういうことを知っておくことです。27年に桜修館に合格した女子は、竹の会の作文シリーズすべてをこなし、そのすべてについて、書き直しをしています。彼女は、本番の作文では、80%以上の評価を取りました。具体的な得点はご容赦ください。とにかく作文はかなりの高得点を取りました。

 現在、竹の会の作文レジュメシリーズは、「作文の基本」から始めて、「新作文問題」を終えると、いよいよ「新作文1」シリーズに入ります。「新作文2」まで行ったのは、27年合格の女子だけです。彼女はほかに「桜修館の作文」シリーズ約50題を書いています。これだけを書き直しを含めて全部こなすというのは、並大抵のことではなく、習い事、稽古事、スポーツなどやっていたらまず無理です。彼女は、塾を休んだのは、2回のみです。インフルエンザと高熱でした。他の子がさまざまな公的・私的な正当な理由でお休みする中で、彼女はそういうことが一度もありませんでした。例えば、あるとき、彼女は日曜日に出された大量の課題を水曜日には必ず出してきたのですが、そのときは、月曜日に鎌倉遠足があって、やれたのは、火曜日の帰宅後だけのはずですから、それであれだけの量をていねいな字で書き上げてくるのですから、並大抵の意思ではなかったと思います。彼女が本番直前に38度超の高熱を出し、当日は微熱のままに、タクシーで行き、フラフラになってまたタクシーで帰った、ということを聞いて、わたしは、ここまで努力してきた子がこういうことで落ちるなんてあり得ないと随分と胸を痛めたものです。彼女は、試験中は、ずっと「竹の会の神様が助けてくれる」と思ったそうです。彼女がいつも竹の会の神様にお祈りしていたなんてちっとも知りませんでした。一途な思いとひたすらな努力、こういう子を神様が救わないわけがない。彼女の「合格しました」の電話ほどわたしに喜びをもたらしたものはなかった。

 彼女は、小4の2月入会です。将来は、「東大教授になりたい」といった彼女の夢はきっと実現するのではないか、彼女ほどの努力家なら「それはある」と思いました。去年は小4の2月入会者ゼロでした。その後1名だけ入会試験に準合格して入会しましたが、それだけでした。竹の会というのは、1年おきに受検生がいたりいなかったりですから、去年がその「いない」年にあたっていたということなのでしょうか。その小4が今年受検の小6というわけです。思い起こせば、都立中受検の子というのは、せいぜい3名くらいのものでしたから、「いない」年があっても竹の会のような小塾には別に不思議なことはないことでした。

 小5からきた子というのは、たいていもっと早く来ていれば、来たかった、というようなことを思うようです。これは小4からきた子たちが、気がつけば今自分たちがやっていることのすぐ近くまできている、そういうことを見ているからです。特に、小4の2月開始というのは、意味があり、3月中旬までには、計算を終えて、割合に入る、そういうことが可能になる、5年になると、割合もかなり進んだところから、スタートする、こういう手順が踏めるわけです。ところが、小5からという子は、その手順から言うと、3か月は遅れる、この3か月が後々かなり大きな差となる、そういうことです。

 今年小石川に合格した女子は、よく「もっと早く来たかった」ということを言っていましたけど、彼女のお母さんも同じことを言っておられましたが、彼女のお母さんは、小5の4月には竹の会を認識していたのに、入会するまでに数か月経ってしまったことを悔やんでおられました。そういう親御さんて、かなり多いようです。中には、「なかなか信じられなくて」と言われたお母さんもいましたが、そういう人が多いことは知っています。大手なら「信じられない」という壁はあっという間になくなる。大きいと小さいの差はそれほどまでに母親には大きなことのようです。

 そろそろ大手の化けの皮も剥がれかけている、それで世の親たちが気がつく、さすがに気がつく、そういう時期に来ているのかな、と見ています。かつて私立受験においても同じようなことがありました。四谷大塚全盛の時代でした。だれもかれも受験をやるといい、四谷大塚に行ったものです。日能研もしだいに勢力を伸ばしていた時代です。サピはまだない。昴なんて進学教室があった時代です。猫も杓子も大手に行く時代が暫く続き、大手で落ちこぼれた子たちが大量に出るようになって、大手に疑問をもつ親たちも出てきました。今を見ていると、かつてのそういう流れというものが思い出されます。

 竹の会に来て初めてわかること、それは、子どもたちの意識の変化ではないか、と思います。今の竹の会には、小学生指導の手順が定型化しています。わたしが長年の研究と開発の結果、今のような指導形態ができあがりました。子どもたちには、「わかる」という積み重ねが自信を与えること、これは自明です。竹の会はその自明を実践しています。小学生が初めて竹の会に来て、指導を受ける、その手順というものが、できあがっています。これは小4の8月を標準としたものと見ています。もし小3からですと、この手順がやや無理ということはあります。知能しだいです。小数から分数を一気呵成にマスターさせます。すべて割合を理解する準備作業です。割合理解の流れは、思考育成の流れでもあります。子どもたちは割合という概念から思考の端緒を開き、小5の1年間をこの思考訓練にかけるのです。そうなると、小4からこの訓練を開始したか、小5になって竹の会にやってきてこの訓練を開始することになるか、その差は歴然としています。大手にいた子たちというのは、思考がない子がほとんどです。いや計算もまともにできない。計算の正確性、これは基本です。不正確な計算能力と拠り所のない思考態度、大手の子たちはこの二点において鮮明です。竹の会で訓練を受ける期間が少なければ少ないほど負のリスクを背負うことになる。小5の間、大手にいたというなら、いただけの力を見せてほしいものだが、そういう子たちが、竹の会の訓練を受け始めて6か月ほどの小4にも劣るというのはいったいどうしたものなのか。

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