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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川、桜修館への道/選択という誤謬

2016.07.09

 おはようございます。今日はすっかり雨模様のようです。台風1号の衛星写真は不気味な恐怖を漂わせていました。900ヘクトパスカルなんてアメリカを襲った最強のハリケーン級以上でしょ。あんなのが日本を直撃したらと思うとゾッとします。

 さて明日は渋谷Aの指導日です。ひとつ注意しておかねばならないことがあります。指導に使っているレジュメ集を忘れないようにしてください。忘れた子が、「先生、何したらいいですか」と言ってきますけど、何もすることはない。正直、取りに帰ってもらうほかにない。計算テキストを忘れる子も時々います。だいたい何をしに塾に来ているのか、と問いたくなります。ついでにですけど、計算テキストは、毎回指導開始前に4問を1セットとして解かせていますが、全問正解で合格、この合格が10回連続とれて初めて計算力を認められます。ところが、今の小6は毎回ほとんど合格はんこがとれない。小5の一年間、計算を鍛えてきた子たちもまだ10回連続という子はいない。この計算テキストで合格がほとんどとれないと、もう一冊やることになる。小4に竹の会に来ていれば、計算を小4で神にして、小5の一年間を思考養成に使える。竹の会では、小4の2月を推奨しているが、正直を言えば、小3の2月前後がいいに決まっている。23年に小石川に合格した男子は、小4の8月にやってきた。この男子は、小4の12月あたりから割合の手ほどきをした。小4の2月には、小5の子たちと同じことをやっていた、彼は小5が終わるまでに過去問全国版を2冊分解ききっていた。小6になってから、最新の全国版、さらにわたしの「適性虎の巻」をやり、都立の全過去問を7回やり、開成などの国語の過去問を各10年分ずつ解いていった。それだけの時間があったのである。彼は、早稲田進学会の最後の模試で480人中の5番の成績を残している。

 いいですか。わたしが、竹の会に早く来なさい、というのはそういうことなんです。小6の4月に来て、計算も正解をほとんど出せない、割合も理解にはほど遠い、これで受検するという、中には小石川だ、桜修館だなどと平気で言う親子もいるわけですけど、わたしは正直唖然としています。自宅で通信受けながら勉強しているとか、大手に1年通っていたとか、まあいろいろいますけど、まず出だしから失敗しています。

 大手に行くバカがそれこそ山ほどいることは知っていますけど、せいぜいカネを注ぎ込んで、バカの礎を築けばいいのです。どうせ落ちるでしょうから、区立中学でまた懲りずに大手やら地元の阿り塾やらに通ってぬるま湯の中にどっぷりと浸かってふやけきって高校入試が近づけばまたカネを注ぎ込んで、バカ高校へ行けばいいことです。

 子どもに習い事や稽古事、スポーツなどいろいろとやらせる親も多い。わたしはそれがダメだなどとは言っていない。ただ受検をするとか、高校受験でトップ都立をめざすというなら、話しは別である。世の中には、野球やサッカー、テニス、吹奏楽部なんかやっていて受験に成功する人もいる。しかし、これはだれでもできることではない。まずそういう人というのはとにかく知能が卓越している。そしてそういう人たちというのは、ただひとつのこと、吹奏なら吹奏だけに専念し、逆にそれをバネして勉強に百倍集中している、そういうことではないか。

 中には日から土までほとんど何か習い事、稽古事などで埋まっているという子もいたけれど、いったいどういう子に育てたいのか、わたしには理解不能である。勉強というものが決して習慣化できないような生活を子どもにさせておいて、いったい何を考えているのだろうか、ということである。

 ほんとうに合格したいのか。それなら少なくとも2年間、欲を言えば3年間は勉強に集中した生活をさせることだ。自分の子どもにいろいろ、あれこれやらせてすべてをものにできるほど自分の子は天才とでも思っているのか。親の義務は、子どもに勉強というものの付き合い方、それは習慣化するということであるが、そういうことを教育してやることなのではないか。その親があれこれ気を散らせて、集中させない、勉強は親の都合でいつでも中断させる、つまり勉強などというものはそういう程度のものだということを教育してどうなるのだ。

 わたしが竹の会に早く来い、というのには理由があるからだ。小6前後にやってきて、考える習慣、集中する姿勢、基本的なものの理解などどれもあやふやな状態でどうなるのか、ということである。大手でテキスト終わったら、それで何かやったことになっているというのは、あまりにも牧歌的すぎるのではないか。小6の親御さんたちが、今自分の子がどういうことになっているのか、いちばんわかるはずであるが、大手にそのまま通ってまた1年経って、バカに磨きをかけて、当然失敗するであろうけれど、さて区立中へ行ってからの青写真というものは「ない」親たちが、また大手、いや今度は懲りて地元塾ということもあるかもしれないし、間抜けな親は、中3になって塾を考えるということもあるだろうけれど、少なくともこういう人たちが、トップ都立や難関私立に行くことはない。それどころか低偏差値私立に無試験入学し、中途退学しなければ幸いである。

 竹の会では、もはや指導は無理という子たちについては指導できません、とお断りしています。入会試験というのはその意味もある。ただ入会試験に落ちたらもうダメかと言うと、そうとも言いきれないが、ここは線を引くしかない。

 できない子を教えるというのは、実は簡単なことと思う。かつて実家の隣の子が大学生の家庭教師を頼んだ。その大学生の叱りつける大声が隣家のわたしの家にまで聞こえてきた。親はどうもそれをいい先生と思っていたようである。「知識の乏しい者を幾ら叱りつけたところで、どうにもなりはしない。無理を強いるのではなく初歩の初歩まで立ち戻り、共に考える」(牧冬彦の小説)。

 その通りだと思う。いくらでも最初の最初に戻ること、そしてもっともっと「緩やかに教える」こと、これが極意ではないか。

 ところが、こういう子を大手に入れるとどうなるか。いや地元の個人塾でも同じことかもしれない。少なくともこういう子というのは、集団用に作られた画一テキストでは教えることはできないはずだ。しかし、既製の塾というのは、テキストなしには何もできないのである。とにかく何かテキストがなければ進められない、それが塾なのである。こういう子が塾に通うことは実は虚しい。

 親御さんというのは、ここでも選択を迫られる。しかし、その選択はどう選択しても虚しいほどに報われないであろう。この東京にどれだけ本物の塾があるのか、わたしにはわからない。わたしは自分の子どもたちを東京の塾に入れないで済んだことほど幸運であったことはないと思っている。わたしの子どもたちはのんびりと竹の会で勉強してそれぞれに思い思いの道に進んでくれた。塾は竹の会しか知らない子たちであった。わたしは、竹の会に巡り会った親御さんほど幸運な人たちはいないであろう、と本気で思っている。まず竹の会のような塾は東京のどこを探してもないのではないか。かつてどこかの親が竹の会にやってきて、「今、通っている塾も竹の会と同じです」と言ったので、よく聞いてみると、確かに、小学生、中学生が混合で一つの教室にいる、ただそれぞれに新小学問題集や新中学問題集を渡し、わからないときは、先生に質問する、そういうことであった。どこが「同じ」なのかさっぱりわからないし、その塾も「考えることを育てる」ということを謳っているらしいのだけれど、わたしにはさっぱりそういうやりかたが、どうして思考を育てることになるのかわからなかった。かつては見学にやってきて、「公文と同じですね」ということを宣う親もよくいた。反論する気も起こらなかった。その言動が、気に入らなかったので、こちらから断るつもりで、「そうですね」と調子を合わせることもあった。ちなみにわたしは公文を塾とは思っていません。

 竹の会と他塾のどこがちがうのか。こういうことは実際に子どもさんを通わせている親御さんなり、いや当の本人がいちばんよくわかっていることなのではないか、と思う。一度竹の会の現在の親御さんに感想をお聞きしたいものです。そういうば、「わたしと竹の会」というテーマで原稿を募集してほしいと言われていたのを思い出しました。何か記念品を差し上げるとして、何がいいのかで話しがうやむやになったままでした。竹の会の親御さんで公開前提の感想などありましたら、お寄せくださればと思います。これから竹の会の門を叩こうとする親御さんの参考になればと思います。

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