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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川をめざす/悲痛な声が聞こえる

2016.07.16

 夏休みが近づき、準備に追われています。ブログを更新するのが難しくなってきました。ひとつには体力の衰えを感じて久しいのですが、このまま運動をしないで仕事ばかりしていたらいつか倒れていまうのではないかとさすがに危機感をもちまして、暇を見ては「歩く」ようにしているからです。小学生の頃は、ひょろりと痩せて身も軽くそれこそ野山を軽い足取りで駆け巡ったものでしたが、いや高校1年生のときは、54kgしかなく、身長はほぼ178㎝ほどありましたから、もうガリガリでした。それで柔道部にいたので、柔道部というのは、体重70キロ前後がごろごろしていまして、なんとも体力負けしてどうにもなりませんでした。それでこれはダメだ、勝てない思い、空手同好会というのに入れてもらったわけです。同好会だけあって勝手にやってろって感じで全くつまらない部でしたね。あの頃のように痩せていることが、実はすばらしいことだったのだと今になってわかりました。

 さて、もう夏休みもすぐで受検の小学生も、受験の中学生もそれぞれに塾の夏期講習などを申し込み、それぞれにがんばるのであろうか、と思いますが、このところ、竹の会の問い合わせの中に、小6や小5の親御さんが多いのです。特に、小6はこの時期ではもう遅いと思うのですが、この時期に転塾を考えるというのは中々に深刻なのでしょう。小5にしても、もうすでに大手などに1年以上は通ってきたという人、小5から塾通いを始めたという人、いろいろでしょうけれど、こちらはこちらでいろいろと事情があるのでしょうか。

 それにしても、わたしの耳に入ってくるのは、だれもかれも大手に行っているという話しばかりです。都立系だとエナですか。栄光ゼミナールもそうですね。あと大原なんかもあります。進学塾大手の日能研だとか、四谷大塚だとか、まあ、とにかくみなさん大手に吸い込まれるように通われている。大手ではだめだという親は今度は個人塾などを探すのでしょうね。

 それにしてもわたしの耳に入ってくる大手に通う子たちの学力の低レベルなこと、親たちはそんなことにも全く気づきもしないで、1年、2年と通わせて、わたしから言わせれば無駄な、ほんとうに無駄どころか、もっとも大切な時期を、もっともやらなければならないことを、この時期にしかやれないことを、漫然とやり過ごし、大手に行かせているという安心感でストレスもなく過ごしているのであろうか。

 いやそうでもないかもしれない。わたしの耳には時として母親の悲痛な叫びのようにも聞こえる。まず思考というものがない。まったく考えるということができない、おそらく1年前に塾に入る前と事態は何も変わっていないのではないか。竹の会では、新しく入会希望の子がくればまず入会試験を受けてもらうことになる。竹の会では定番の「入会試験Ⅰ」というのがありまして、これが的確に子どもたちの知能の層というものを見事に描き出して見せてくれるのです。特に、第1番が要になります。小3で解く子もいれば、中1でも解けない子もいる。第2番が解けなければ指導は難しい。大手に1年も2年も通っていても竹の会の入会試験で0点という子もたくさんいた。いや少なくともわたしならどんなに頭が悪いと言っても1年も通えば少なくともこんなひどいことにはならないと思う。大手がすごいと思うのは、どんなばかでも分け隔てなくみんな入塾させてしまうところだ。ちょっと待てよ、授業妨害する子でも入れるらしい、まあ、後々わかることではあるが、女性講師なんかは最初からバカにされて妨害するらしい。なぜこんな最初から勉強する気もないバカを入れるのか、わけわからん。利益最優先の企業だととにかくどんな子でも利益にさえなればいい、というわけか。つまり、人物審査してないということです。だいたいこんな人に迷惑かけるバカを承知で塾に入れようとする親も親だ。なにを考えてるのか。とにかく高いカネはらって授業を受けているまじめなおとなしい子たちの静かに勉強する権利というものを最初から害することがわかっているのに、入れるというのは、契約不履行でしょ。塾で暴れる子も子だけど、そういう子を塾に放り込む親も親だ。親子でそろってバカなわけです。こういうバカな子の親はバカ息子、バカ娘の言うことを真に受けるのがまた厄介なわけです。自分の子の言い訳、言い分を100%信じるわけです。こういう親子には近づかないに限ります。加害者なのに被害者意識が強い。塾は学校と違うのだから、さっさと退塾させてしまえばいいのに、大手だけではない、わたしは塾が潔く退塾させた、という話しを聞いたことがない。しのごのいって中々止めさせない、まじめな生徒に我慢させる、という落としどころで終わらせてしまうのでしょう。

 竹の会は元代々木教室時代もよく退塾させてきた。渋谷教室では、大騒ぎしたり風紀を乱すヤツはいなくなったけど、つまりそういう理由で退塾ということはなくなったけれど、その代わり能力的に指導困難という理由で、退塾ということはあった。これからは、勉強しないという理由で退塾ということはあると思う。あるいは中学生だといろいろ問題を起こすことも考えられる。勉強意欲のない子というのは、竹の会に来てはならない、と思う。竹の会に入会して、通うということは、勉強するという以外にはない。以前、竹の会のように勉強する子たちの中に入れてもらえば、全く勉強しない「うちの子」も勉強するようになるかもしれない、という理由で入会を申し込んできた親がいたけれど、わけわからん。親が何を教育してきたか、でしょ。我慢するということを知らない、なんでも買い与える親なら、怠け癖のついたのは、親のせいでしょ。そんなのを必死に勉強するように子どもたちを律している塾に持ち込むなよ。こういう怠け者を入れるのが他の子たちにどれだけ迷惑なのかということも考えないで、自分の子の都合ばかり考えている。まず親に問題ありでしょ。塾というのは、等のその子だけのことではない、その子の周りの子たちの平穏に勉強する権利も考えてやらなければならない。よく中学生になってくると暴言を吐く子もいるけれど、これも限度ものであり、周りの子たちのことも考えて、決断すべきときは躊躇はしないでしょうね。28年戸山合格の生徒も中2のときにそういう危機があった。ただわたしは彼のお母さんの子どもを思う心情を胸が痛むほどに理解していたのでじっとようすをみていくことにしたのだった。お母さんを悲しませたくなかったのですね。中3になって落ち着いたのでほっとしたものです。

 やる気のない子、向上心のない子というのは、竹の会には来てはならないと思うのです。勉強しなくなったら、それは退塾するときですよ。潮目ですね。立ち直るのを期待して「待つ」というのはない。これは他の周りの子たちのことも考えなければならないからだ。やる気のない子、勉強しない子たちばかりになったら、それはもう塾としては終わりでしょ。

 わたしが部活はダメだというのは、ほとんどの子は部活で勉強しなくなるからです。部活やってても部活しないで勉強する子に負けないほどに気力の充実した子なら全然問題ない。しかし、世の中のほとんどの凡人は部活で勉強しない、だから部活は、生半可なバカには害だと言っているだけなんです。

 竹の会には、向上心のある子だけがきてほしい。向上心のない子は来てはならない。わたしは中学生の指導を許可するとき、必ず勉強しなくなったときはこちらからいつでも退塾してもらいます、ということを親御さんに言ってきました。今年の中1には、そういうことを特に言ってはいませんけど、当然そのつもりです。小学生については、思春期という複雑な年頃にある中学生とは違って、まだ幼いということもありまして、そこまで厳しくはしていませんが、正直、去年の小6のように机にほとんどつかないで、ずっ指導室から離れないというような子については、今考えると、退塾させていたほうがよかったのかなと思っています。小学生にしても一度竹の会に通い始めると、竹の会を心の拠り所とする子が、親もふくめて多いので、退塾というのがやれなくなってしまうのです。こころを傷つけることになるという躊躇があります。塾の使命との板挟みになるのです。

 大手に子どもを通わせている親というのは、どうも安易すぎるというか、信じるのに躊躇がないですね。とにかく信頼するに至るのに迷いがない。そして1年も2年も通わせても自分の子どもの学力がどれだけひどいのか、まるでわかっていないのが共通なのではないでしょうか。たいていは取り返しのつかないことになっている。それは竹の会にきて、「入会試験Ⅰ」を受けてもらえばすぐわかります。あれは、小3でも解けるし、小4でも解ける。しかし、小5でも小6でも解けない。つまり、学年なんか関係ないのです。親というのは、自分の子の能力というか、知能はないというのは信じたくない。教えればなんとかなると思っている。確率論から言えば、知能がない、という確率のほうが高い。だからできないというのが常識的でしょ。親は教えればなんとかなると信じたい。だから塾というものをそういうところだと思い込もうとする。そこに大手がつけいるわけだ。

 

 

 

 

 

 

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