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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川・桜修館・九段に行く/親切な教えたがり屋の学生講師が廃人を量産する構造について

2016.07.21

 おはようございます。今日は終日雨模様で気温も凌ぎやすいほどに体に心地よいです。昨日確か気象庁は梅雨明け宣言をしたはずですが、梅雨前線と地震についての予見はど素人です。

 気になることがあります。大手経験のある子たちについてです。どうも「考える」ということを形式的にとらえるきらいがある。時間がかかればもう「考えた」、「自分には無理だ、どうしようもできない」と、投げ出してしまう傾向が強いことです。前々から気にはなっていました。これまで塾経験のない、純粋に竹の会が初めてという子には、見られない、染みついた性癖のように思います。平成27年に桜修館に合格した女子は、小4の2月から指導を始めたのですが、それまで塾に行ったことのない子でした。もともとの資質もあったのだと思うのですが、「わからない」ときでも簡単にはあきらめなかった。家に持ち帰り何日も考えたということが何度もあった。そういう姿勢が、小6の後期には、灘や開成の難問を解くまでに成長させた。すぐにわたしの説明を聞きたがる習性が最近特に気になっています。それがたいてい大手で1年なりを過ごしてきた子たちに共通の傾向のように思えてしかたないのです。「先生、もう1時間も考えたのに、全然わかりません」と持ってくる、最後は、だれかに解いてもらう、そういう姿勢が不安です。

 わたしは、大手というのは、有害と考えている人間です。世の母親や父親というものが、なぜか迷わずに大手を信用する姿勢については、これは抗えないほどに鞏固な態度であり、その結果、1年後、2年後に自分の子がどうなったのか、たいていは受検に失敗し、区立中へ行くことになるのでしょうが、小学時代を大手で過ごしたということが、公立中学でいかに塾通いをしようとも、部活に明け暮れるというおまけつきとしても、すでに高校入試の失敗を決定づけているということを知る由もないことでしょう。高校入試の失敗とは、良質な都立へ行けないとか、底辺都立に行くことになるとか、低偏差値私立に行くことになるとか、さらには、今では、少子化のため、日大系列などの大学系列の高校も商品価値が下落し、かなりのバカでも入れるようになっている、そういう現状をふまえての実質失敗をふくめての話しである。

 高校入試は、まずトップ都立高校に行けなければ成功とはわたしは考えない。現在、東京都のトップ都立とは、日比谷、西、国立をいう。そして第4位に都立戸山がある。やや下がって、青山、八王子東、国立などが続き、さらに、新宿、駒場、小山台と続く。わたしは、このあたりまでが最低ラインではないか、と思う。少なくとも国立大に行ける高校でなければどうにもなるまい。もっとも、駒場は伝統的に国立には弱い。

 竹の会は、最低でも都立戸山と考えている。だからそういう上昇志向の強い子でなければ竹の会ではやっていけない。中学生の諸君に注意しておきたいのだが、わたしは中学の3年間ブレがなく勉強を続けられる生徒というのはそんなにはいないと考えている。だからいつか勉強に背を向けるという生徒も想定している。そのときはきっぱりと退塾する、そういう覚悟はいつもしておいてほしい。

 現中1については、これまでとちがい、わたしは、中2の履修事項を冬までに終わらせて、来年1月からは中3の履修事項に入りたい、と設計している。わたしは、余裕をもって、日比谷、西に合格させたい、そう考えている。中1の諸君は、そういう覚悟で臨んでもらいたい。過去30年余の中学生の指導経験から、ダメな中学生は躊躇なくすっぱりと切る。

 さて、大手有害論の続きです。大手の用意するテキスト、そしてカリキュラム、つまり授業、それからそれを担う学生アルバイト講師、大手とは、これだけですよね。まず、学生アルバイト講師にもいろいろあるでしょうけれど、例えば、慶應の理工の学生、これはもう天才でしょう、その他マーチやそれ以下というのもいるでしょう。頭のいい学生というのは、とにかく教えるのが好きですね。教えることに喜びというか、陶酔するところがある。とにかく教えたがる。ほとんど考えさせないで教えたがる。わかりやすく教えることに使命を感じている学生もいる。快活で保護者には好印象で、子どもたちにも人気である。

 かつて平成25年の11月に入会試験をしたとき、栄光に通う、小石川志望の小4がきて、A合格したが、栄光の学生講師と相性がいいというので、そちらに行った例があった。その小学生が、今年合格したかどうかは知らないけれど、大手に行く子たち、そしてその親というのは、よく「今行っている学生講師と合う、合わない」とか、そいうことをよく会話しているのを耳にする。やさしくて怒ることもなく、いつも気を遣ってくれる、学生講師を気に入って、わかりやすく教えてもらう、ということが、塾だと信じて疑わない、親子である。

 「わからない」、即説明、わかりやすい説明、そういう習性の身についた子たち、それが大手に通う子たちである。テキストについては、進学塾のテキストと都立中塾のテキストでは、レベルがちがうので、一括するのは乱暴だが、いずれにしても、わからなければわかりやすく教えてくれる、これは同じである。ただ進学塾というのは、授業では網羅できずに、個人の責任みたいなところがある。だから落ちこぼれも構造的に出る。しかし、まあ大半の大手の授業というのは、待っていれば、解説してくれる、そういう場である。板書をノートに取って、たいていはやりっ放し、「あとで考えよう」、「あとで復習しよう」とは考えるかもしれないが、実行されることはまずない。わかりやく教えられることに慣れた子たち、これが大手の子たちである。授業という集団形式から落ちこぼれれば、今度は、個人指導、個別形式、家庭教師と、「わかりやすく」教えるシステムは徹底している。

 自分で考えることをしなくなった子たち、「考える」とは、これまでに教わったことを思い出すことだと考えている子たち、「習っていないからわからない」と平気で口にする子たち、自分でなんとかしてみようという意思の欠片もない子たち、こういう子たちが、恐いのは、未知の、これまで見たこともない問題、だから、親も子も知識を集めることばかりに囚われる。考えるということが、知識なんかに左右されない、わからなければ、知識を探すのではなくて、その場で考える、そういうことを知らないままに育った子たち、それが大手の子たちである。

 小6になって、竹の会にきたとして、大手にいた子たちというのが、そういう人格にまで昇華した態度というものから脱却できる見通しは非常に暗い。文章を読み解いて、その構造を理解し、整理する、そういうことのできない子たち、そういうことになってしまった子たちにわたしはどうやって手を差し伸べたらいいのか、わからない。「わからない」というのが、わからない。ものごとを考える前に、暗記した知識で誤魔化す、そういうことを習慣化した、大手出身の子たちに真の思考力というものがどういうものか教え諭すのは至難の業である。

 自分の子をバカにする過程に平気でわが子を託す親たちの無知と無定見には、もはや何も言う気もしないけれど、可哀想なのは、思考というものを知らないままに中学生になってしまった子どもたちである。わからないから、教えてもらう、そういう発想で、塾を探して、バカ過程の結末、低偏差値私立、いや今では、日大系列もその結末の中にふくめてちょうどいいと思うのだが、そういうところに落ち着けばいいほうか。

 わたしは、子どもたちを「考える」子どもに変える、育てる技術を追究してきた。竹の会の現場は、常に、まず自分で与えられた課題に取り組む、考える、である。しかし、大手育ちの子たちが、「いくら考えても無理です」「もうわかりません」と思考放棄するのを見ていると、正直、大手の手強さを感じる。ここまでに自分の能力で考えるということにきっぱりと見切りをつける、そういう子に育ててしまう力の強さに大手の集団的バカ製造機としての性能のよさを感じる。ひとたび思考しない、依存型の人間に製造されてしまったら、もはやその型は崩れない。もともとのバカほどその型はもはや崩すことが不可能化してしまう。

 小3ないし小4の頭の柔らかい時期に、しっかりと考えるということをしつけていくこと、これが大切なのである。わたしは、どこの塾でもそれが可能だとは思っていない。かつて「竹の会のような塾はないですか」とわたしに聞いてきた母親がいたけれど、驚くことに、ネットで「竹の会のような塾」で検索する人もいたようで、そういう塾を求めている親もいるのであろう。

 しかし、竹の会のような塾を探すのは、宇宙に、地球と同じ別の地球のような星を探すくらいに難しいであろう。わたしは、子どもたちによく言うけれど、君たちは、竹の会に実際に出会えて幸運だったと思って欲しい、と。竹の会のような塾をこの東京に見つけることはまずできないであろうし、竹の会は、巷の塾が実は信用できない、親たちが信用するかもしれないが、わたしは、竹の会は、実は、塾というものを信用していない、信用できないからこそ、竹の会という塾があるような気がしてならない。

 わたしの夢は、東京の渋谷、渋谷駅のすぐそばに、目立たない、生徒数も少ない、小さな塾があるけれど、こんないい塾なんですよ、と言うことを東京の人たちに知ってもらいたい。そして心あるみなさんが竹の会を訪ねてくれればこんなうれしいことはありません。

 東京の渋谷、駅の近くに、こんなにいい塾がありますよ、とわたしは言い続けたい。きっとだれかが目に留めて、そのことの真実に気がついてくれると信じています。

 

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