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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川中等、両国附属、桜修館中等という3雄/都立(高)受験を知らない親が大手で失敗する構図/3~6か月退塾の薦め

2017.05.13

 おはようございます。本日は曇り模様でしかも蒸し暑い。このところブログ更新が難しく時間のやりくりに追われております。5月の連休で小6の進捗は完全に中断したようです。全く勉強しないままの休みボケの子が目立ちました。指導レジュメの進捗状況は遅滞気味です。かなりに遅れている子が出ています。また課題についてもほとんど出さない小6女子がいます。今だから言いますが、今年卒業の小6は、現小6がやっているような重要レジュメ類をほとんどやれませんでした。小6前後の入会ではやれないということですが、小5前後でも能力差も影響しますがかなり厳しいようです。平成27年桜修館合格の女子は小4の2月指導開始でしたが、この子の勉強量を今の小6が凌ぐことはないと思います。まず基本的に違うのは盆正月、法事、帰省などということで休んだことがない。休んだのは2年間でインフルエンザに罹った2回のみです。習い事・稽古事もしていません。万難を排して竹の会に来るという鉄の意志を感じました。課題を一度も怠けたことはありません。課題を出すと次の指導日には必ず全部提出してきました。返却すると必ず「解き直し」「書き直し」を一緒に出してきました。あるときは、日曜日に課題を出したのですが、月曜日は鎌倉遠足で火曜日しかなかったのに、水曜日にはどっさりと課題を出してきました。レジュメの厚さはいつも20㎜以上はありました。彼女の勉強姿勢を凌ぐ小6はいません。かつて平成22年に桜修館に合格した杉山太一君は、類い稀なる集中力の持ち主でした。当時わたしは小6に休日は1日10時間以上の勉強を求めたのですが、かれはなんと17時間やったと言うのです。杉山太一君の勉強している姿を知っている人は彼の集中した光景を知っているので、彼の17時間がどんものだったか想像できます。あのときは過去問を50ページ分ほどコピーして渡しました。彼は金曜日にそれを持って帰り、月曜日にはすべてやりあげて出してきたのです。当時のAは、月・水・金でした。土日はお休みでした。彼の答案は400字の原稿用紙にそれは見事な字で書かれ、驚くべきは正解率の高さでした。そのコピーはいまでもその一部が竹の会に残っております。かれはあれほど知能が高いのに、驕ることを知らず、つねに謙虚で控えめでした。テロでお父さんを亡くしたことが彼の精神を普通の小学生には及びもつかない深淵なものにしていることが窺われました。それは作文に端的に表れていたと思います。普通の小学生が幸せな家庭や幸せな生活を背景に幼稚な文章を書くのに、彼の文には悩ましい哲学がありました。書道七段でしたか。美麗な文字でした。算数は入会時期が遅かったのでかなり遅れていましたが、1年後輩の23年に小石川に合格した小5によくわからない問題を教えてもらっていました。こういう素直さが彼の偉大なところなのかと思ったものです。小6が小5に「ありがとうございます」とぺこりと頭を下げてお礼を言っていたのです。人格がすでにできていたのです。作文の書き直しではとにかくすごかった。わたしがDをつけたことがありましたが、Aをとるまで17回ほど書き直してきました。ある指導日のできごとです。彼は書いてはダメだしを繰り返し、最後にわたしが根負けしてしまいました。Aを出して書き直しを止めてもらったのです。

 合格者には共通の特徴というものがありまして、杉山太一君もそうでしたが、礼儀正しい、わたしに対する尊敬の念というものをいつも感じました。わたしをバカにするなどというのは恐れ多いという気持ちに満ちていました。ちょっと頭のいい子はもちろん、頭の悪い子というのは当然、調子にのってふざけてということですがバカにする態度というものをとることが多いのですが、そういう子というのは合格しないことになっています。心に驕りのある子はダメです。謙虚さと礼節を弁えた子が受かるのです。

 わたしが小4早期の入会を勧めるのは、小5入会では重要レジュメを余程の知能がないとやりきれないからです。小4の間に計算力を神の域に達せしめ、割合の理解を完璧にしておくことが、小5からの指導を初めて充実したものにすることができるのです。小4早期入会の子と小5前後入会の子ではその後の進展には格段の差があります。また習い事・稽古事をやっている子はそれに時間をとられる分、かなりマイナスなのはあたりまえです。27年桜修館合格の女子のようなもともと知能に恵まれた子が習い事も稽古事も一切しないで勉強一筋に専念した場合に勝てるわけがないのです。

 大手塾に行けばなんとかなるなどという幻想はそのうち打ち砕かれることです。取り返しのつかないことは受検で大手に行ったために、あるいは私立国立受験で大手にいったために、廃人同様になってしまっていることです。私立受験では受験ママはモンスターママとなり、毒されきってその毒は確実に子にも回っているということです。まともに勉強できない体になってしまっているのです。そもそもの勉強というものがわからなくなっている。始末が悪いのは指導者というものを信頼しない性癖です。あちこちで知った情報を振り翳す。こういう親子には近寄らないに限ります。いずれ落ちるところまで落ちるしかない親子です。受検で大手に行った子というのは、もともとのバカならバカに拍車がかかるだけですが、もともと頭がいい子が訓練されないことによって沈んでいくのはなんとももったいない話しです。わたしには大手の何がいいのか、何がそこまで親たちの心を動かすのか、さっぱり理解できないのですが、とにかく大手の集客力、資本力には竹の会のような小塾が太刀打ちできるところではありません。

 どうぞみなさん大手に行って頭がスカスカのバカになってください。そのほうが竹の会の子たちには喜ばしいことなのですから。

 勉強の基本の基がわかっていない人が多い。勉強というのが何をすることなのかわかっていないのです。わたしがレジュメを渡して「読みなさい」と言うと、「もう、読んだよ」とやってくる。バカです。読むというのは、まず覚えることです。覚えたら想い出すことです。想い出しながら書写することです。これが勉強するということの意味です。「読んだ」だけで何がわかるというのですか。想い出しながら書く訓練をして、初めて「読んだ」ということなのです。いや小4ならわたしはそういうことを教えているのです。勉強するとはどういうことなのか実践でたたき込んでいるのです。新中1に単語500語を覚えろ、と言ったら、親が「うちの娘は文章の中でしか覚えられない」と言って覚えることを逃避・回避することを認容したことがありましたが、バカを言っちゃーいけない。勉強というのは、まず覚えることでしょ。そして覚えたらすぐ想い出すことでしょ。想い出しながら書くのです。私立受験などといって小3からあちこちの大手塾に行っている子ほど勉強の基本の基も学ばないでモンスター受験生になる。講師やテキスト、周りの環境しだいで自分はできるようになると信じきっている。違うでしょ。明治の頃、陸な辞書もないのに、陸な参考書もないのに、英文の達人になった人がいたのは、勉強というものが、何なのかを如実に語っているではないですか。

 実は高校受験の戦い方も何も知らない親たちが溢れている。都立受験なのに安易に大手にやる親、有名大手に嬉々として通う子、塾は中3になってからという親子、部活命の親子、小学のときに勉強するということを生活習慣としてこなかった子たちの怠けた中学生活等々。

 いいですか。最低でも戸山、第一志望は日比谷、西というのであれば、それなりの勉強の取り組みというものがある。23区でそれなりの都立と言えば、青山、新宿、小山台、駒場まででしょ。都立駒場は国立にはほとんど実績はないけれど、ここでも内申オール5の優等生が集まる。中学で内申5を揃えるというのはクセのある、バランス感覚のない中学生には無理である。なんでもそつなくこなす、要領のいい子でなければ無理です。こだわる子は好きな科目はいいが嫌いだとまるでできない、つまりこういうバランスの悪い子は都立向きではない。好き嫌いを言う子はダメなんです。過保護で甘やかされてきた子というのは、何事にもわがままで好き嫌いばかり言っている。こういう子は都立には行けない。私立というのは偏差値の高いところは天才で占められ、中堅私立はたいてい都立を落ちた子たち、都立に行けないまじめな子たちが集まり、低偏差値私立は頭の悪い、過保護、勉強習慣のない子たちの受け皿となっている。

 さてです。それなら西なり、日比谷なりに入るにはどうすればいいか、です。手順よく前倒しで進めていく、これだけです。中1までに中2の履修事項は終わらせたい。中2の前半までに中3の基本的な履修事項は終わらせたい。もちろん数学、英語の話しです。国語は中1のときから「読解とは何か」と言うことを訓練することです。前倒しでやるには、効率よく、満遍なく、単元を終わらせることです。数学なら数学のスキルがある。英語には英語のスキルがある。もちろん国語にもスキルがある。理科にも社会にもスキルがある。塾というのは「手順」とスキルを提供するところである。合格までにやるべきことはほぼ決まっている。要は、前倒しでどれだけ早くそういうことをこなしていくかである。中1,中2でのんびりやっていればいずれ間に合わないことは目に見えている。中学生の1日の勉強時間は最低5時間である。昔の学年1番クラスになると1日7時間をやっていた。550人中の1番だから今とわけが違う。

 竹の会は手順を示し、レジュメで効率よく終わらせ、その過程において核となるスキルを提供する。スキルとは、覚えることを最小にして、推論、推理で「解く」技術をいう。英語なら5文型という推理の道具を使って英文を読み解くことをいう。まず主語がある。次に動詞がある。その動詞は目的語をとるのかどうか、とるとして目的語は1つか2つか。目的語を1つとる場合も、さらに補語をとるのかどうか。目的語をとらない場合、補語はとるのかどうか。そういうことを推理していくのがスキルである。数学のスキルとは、数学概念の定義を根拠にさまざまな処理手順を学ぶことである。二次関数の問題なら、面積の問題なら等積変形という処理手順が順当である。特別三角形の比を利用するという手順もある。問題に即応した処理手順を100も覚えればたいていの問題は解ける。国語のスキルとは、抽象的な文章、つまりそれは定義文であり、つまりそれは筆者の見解であるが、それを具体的に言いかえていく流れというものをスキルとして理解することである。理科のスキルは40ほどの大テーマについて、基本的な理解をすることに尽きる。社会のスキルは、地理と歴史と公民に分けて考える必要があるが、3分野に共通のことはキィーワードを押さえよ、ということである。

 竹の会というのは、子どもの指導可能性というものを常に念頭において指導していますから、「この子はそろそろ無理かな、限界かな」ということを見て取る。親御さんのほうが実は敏感に自分の子のことを見ていると思うのですが、「どうも理解していないな」とか、「勉強に身が入っていない」とか、「塾にいやいや行っている」とかいろいろ感じとるのが早いと思うのです。そういう場合には塾を止めるしかないのです。竹の会でもクレームを言ってくる親御さんにはたいてい退塾ということで決着するようにしています。「塾にやったのに家でわからないと苦しんでいる」というクレームがあったことがありましたが、いろいろ誤解というか齟齬もあったかと思うのですが結局退塾ということしました。不満があればどうぞいつでも退塾してください、というのが竹の会の基本スタンスです。わたしはも伸びないとしたらまずわたしのせいではないことだけは確かで、伸びない原因が子ないし親にあるというとき、子の能力の問題、生活態度の問題、親の価値観などわたしにはどうにもならない問題であり、正直一介の私塾の能力の対象外にあり、退塾するしかないと思っています。まあ、いろいろ言ってくる親がいますけど、わたしは面倒臭い親が嫌いなだけです。多弁な親は苦手です。ここのところ退塾したのは多弁な親の子ばかりです。共通しているのは基本的に塾というものを信頼していないのです。自分の偏見を貫く。塾にも自分の偏見を押しつけてくる、言いがかりをつけてくる、面倒臭いたらありゃしない。「止める」と言ってくれてホッとしています。こちらからもう「退塾してください」と切って捨てたかったけど、ネットで悪口をまき散らされるのも嫌なのでじっと我慢してましたから。

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