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最低でも都立戸山/都立小石川の器、適性には器がある/偽算数を教える偽塾/新小4募集

2016.05.04

 おはようございます。5月4日となりました。今年の連休は家でおとなしくしております。というか仕事をしています。今日は朝から爆弾低気圧なのか、強風が吹き荒れております。

 本年から本格的に都立西・日比谷を想定した指導を開始しております。実は、正直に告白すれば、わたしは都立戸山に合格させるのに特に特別なことはしておりません。ふだんの竹の会の指導をそのまましてきただけです。特別といえるのか、例えば、数学独自問題について、わたしの解法を確かにレジュメ化しておりますが、そして27年戸山合格者がこのレジュメのおかげで本番の数学で70点近くとれたということも知っておりますが、わたしには特に特別の指導でもありません。入試対策というのは、戦略的なものですから、そういう意味では、当然の戦略であっただけのことです。今考えているのは、実は、これも正直に告白しますが、27年、28年合格者ともに、戸山の英語はとれたが、日比谷の英語は苦戦した、そのために戦略をどうすべきか、です。実は、原書を訳す、という戦略を立てたのですが、いずれの年も結局実行してもらえなかった。なかなかそこまでの時間的余裕がなかった、いや中2の9月以降、そういうことに没頭するどころか、定期試験を優先させてきた、その結果だと思います。平成10年に早稲田実業に合格した鈴木君は、中2のときに、原書を1冊訳しきっております。これが後に早稲田や慶應の長文で70%以上とれた原動力になっていたと思うのです。ところが、戸山受験の生徒たちは、別に難関私立志望でもなく、そこまでの気概に欠けていました。さて、そこでです。今年度、1人いる中3にはどう指導するかです。原書作戦はとらない。この何か月かわたしは戦略を練ってきました。今年は、大学受験用の英文解釈書から探しました。原書作戦は当面放棄です。

 最近竹の会にやってきた小6が、算数の、割合の問題ですけど、その解き方が気に入らないので、どこで覚えたのか聞いてみると、これまで通っていた算数の個人塾らしい。どういう解き方をしているのかと言えば、よく家庭で親御さんが、子どもに算数の問題について質問されたときにやる、あのやり方です。つまり、未知数を□にして、式をかいて、□を逆算するやりかたです。これは、方程式的思考です。親御さんというのは、算数というものがわかっていない方が多くて、質問されるとすぐ方程式で説明する。しかし、小学生は算数をやっているのですよ、だれが方程式で教えたりするものですか、と思っていたら、その個人塾ではそういう解き方を教えている。これは数学ですよ。ショックなのは、個人塾、おそらく数学を教えていて、小学生もやっているようなところではないかと思うのですけど、要は、これは算数を教えることができない塾ですよね。考えてみると、大手の大学生講師のどれほどが、算数を教えられるのか、ということです。大手では、講師のための虎の巻というのがありまして、これを事前に学生講師に渡して学生講師は予習してから教えることになっている。なぜそんなことをわたしが知っているのかというと以前わたしの長男が某大手で講師のアルバイトをやっていた、そのとき、普段は医学部志望の都立西の生徒に数学とか教えていたのですが、あるとき、他の小学生たち担当の学生が休むことになった、それでピンチヒッターとしてその小学生たちを教えることになったけど、算数というものがわからない、それで教えられない、それで困ったわけですが、そのとき虎の巻を渡された、しかし、それを読んでもさっぱりわからなかった、ようです。さっぱりわからなくてもとにかくごまかして切り抜けたようです。

 世の親たちは、塾の先生なら、算数だって簡単に教えられると思っているようですが、それは完全な誤解です。数学はなんとか教えられても、算数は無理です。算数を教えるというのは、算数を極めた人以外には無理です。数学塾なんかに行って、算数なんかを習うバカがいますけど、わかってないですね。

 だいたい大手の学生講師にまともに算数を教えられるのがどれだけいるのでしょうか。まあ、大手でも進学教室でもない限り無理でしょ。そういうのにあたったら一巻の終わりでしょ。算数のわからない人間に算数を教わる、なんと恐ろしいことか。世の大手一辺倒のバカ親のみなさまには自らの選択とは言え、なんとも気の毒なことです。

 小学生というのも、もちろんその親も脳天気なものです。「小石川に行きたい」、「九段に行きたい」、「桜修館に行きたい」と子どもは元気なものです。しかし、それが現実に実現可能なのかというと、どうもわたしには失敗する可能性しか見えてこない。大手に小4、小5の時期に、子どもを預けるというのは、一部の天才でもない限り、ただのバカになること請け合いです。

 わたしが自信をもって育てられるのは、小4の2月までです。以後、知能が高いことを条件にしても、それに遅れるにしたがって難しくなる。譲歩しても小5の夏休みまでか。

 どういう子が伸びるか、と言えば、素直な子です。小石川とか、桜修館のような難関では、特に、そうですが、「適性試験」の「適性」というのは、本質的には、小石川の器、桜修館の器というものを備えているかどうか、が問われている。「適性」という概念の中には、当然の前提のように、備わっていなければならない資質というものがある。それは一言で言い表し難い何かであるが、バランス感覚というか、情緒が安定した知能の高い、柔軟な思考のできる、よく事情を読解し、謙虚さを備えた、いわば大人、それもコミュニケ能力に優れた子ということになろうか。

 これが求められている器である。いくら知能が高くても、それだけではだめです。屈託のある子はだめです。性格にゆがみがあればそれは思考の癖となり、教わることに素直になれないなど、いろいろな影響が出ます。内気な子は向いてません。自分の考えをきちんと言えないというのはありえないのです。少なくとも小石川の器、桜修館の器ではないでしょ。大切なのは、正直さ、それは誠実さということですが、そういう誠実な態度、それが素直ということです。学ぶ姿勢において大切なのは素直さであり、それは裏から言えば、謙虚さです。

 小石川好みの器、桜修館風の器というものがあり、その器たるかを試すのが、適性です。適性とは、そういう意味では、柔軟性であり、順応性であり、適応性であるということです。

 伸びるというのは、自分を順応させていく、適応させて行く能力にすぐれているということです。環境が悪いから勉強ができないといって勉強しない子は、環境が自分に合わせろと言っているわけで適応性はありません。人間とは、「ない」から順応して解決するのです。「ない」から「ある」にせよ、などという不遜な子どもなど適応性なしで終わりです。自分の自慢、家族の自慢、一族の自慢と際限のない自慢をする子というのがたまにいますけど、どれだけ自己顕示と優越感を快感とするように育てられたのでしょうか。こういう子というのは世の中がいつも優越感をもたせてくれるようにはできていないのはあたりまえですから、いずれ挫折するしかないのです。これも素直さとは真逆の心的ありようです。屈託です。子どもをどう育てるかはみな親の、母親の手腕にかかっています。母親のありようで決まります。過干渉、過保護、母親の偏見・屈託、しつけ放置、教育放棄など子どもはいくらでも何色にでも染まります。親色に染められた子がいいのか悪いのか、わかりませんけれど、親はいい器をつくる義務があるでしょ。いびつな形の器にするか、品のいい、見米のいい器に仕上げるか、母親の腕の見せ所です。

 ◎新小4の逸材を募集しています。現在募集しているのは、新小4のみです。ただし、渋谷Aの募集です。渋谷Bはこの限りではありません。渋谷Aは、退塾者のない限り、今年度は、最後の募集となります。

  入会をご希望の小4は、お問い合わせフォームから入会試験の受検をお申し出ください。折り返し、適宜の日時をお知らせいたします。

        渋谷Aについては、欠員が生じたらその時に、また例年1月末が卒業時期のため、渋谷Aに入りたい場合、当面渋谷Bに通い、欠員等を待つということもできます。

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