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桜修館に受かる・都立西高校をめざすこと・偽問と真問・竹の会の神様のことなど

2016.01.21

 おはようございます。1月21日となりました。低温ながら幸いなことに重篤な風邪の子もなく天に祈りを捧げる百姓の気持ちです。

 昨日は、最後の「適性問題Ⅲの研究」を終えました。第34回まで執筆することができました。最後の回は難易度は平均的にと調整したのですが、意外と合格者は準合格もふくめて4人止まりでした。おそらくこの結果がそのまま本番の結果を占うことになる、そう厳しく捉えています。課題をすべて出し切ったか、受検というものに真摯に向かい合ってきたのか、そういうことがそのまま今の結果に出ていると思っています。そしてもうひとつ、これは抗えない真理ですが、もともとの能力というものがどうしてもものを言ってくるということがあります。

 そもそも8倍、10倍といった世界で勝ち抜くということは並の能力では無理であろうということです。

 もともとの能力に恵まれた子が、ここでも類い稀なる勉強中心の生活をしたこと、これが受検成功の真理なのではないか、と思っています。

 小6について、残念なのは、竹の会にいながら、思考というものを伸ばしきることができなかった子たちのことです。今年の小6は小5の時から、なかなか机について思考するということを回避する性向が強く、それが悩みの種でした。小5のときの冬期などは何席もの机がいつもガラガラの状態で主不在のままでした。なんとももの寂しい光景に思えたものでした。

 今、真剣なのはよくわかります。今の真剣さがずっと前から欲しかった、わたしはそう思っただけです。今、たとえば、理科ができない、社会ができない、英語ができない、と言っている中3についても、わたしが、あるとき、指示した事を何もしていなかったこと、そういうことの代償というだけのことです。わたしにはこれを今やらなければ取り返しのつかないことになる、そういうことを見越して指示をだしているわけです。わたしの何気ない指示が真剣にとらえられることもなく流されてしまうこと、先送りされてしまうこと、それを心底重大なこと、重いことととらえて必死に取り組む姿勢の見られなかったこと、ただその結果が今の今出ているだけのことです。

 竹の会というのは、決して強制はしない。ただしかしわたしが指示したことを先送りすればその時期が来れば必ず代償を払うことになる、ただそれだけのことです。去年桜修館に合格した女子が言いのこした言葉、「もらえる課題をやりきること、これが合格の秘訣です」。ただひとりわたしの課題をやりきった、やり抜いた人から出た重みのある言葉です。そのことばどおりにやった人がいったい何人いたか。時間のありあまる小5の2月から夏休みにかけてどれだけの子たちが生活のすべてを勉強にかけたといえるであろうか。勉強以外のことを何かと優先させてきたのなら、今できないことは悔やむまい。

 受検勉強という貴重な経験で何を学んだのか、それこそが大切なことであろう。これからほとんどの子たちが進むことになる区立中学でまた同じ轍を踏まないように、それこそが学ぶべきことであったのだから。

 小6のみなさん、お別れです。これからは心静かに闘志を燃やして今ある力を出し切ってほしいと思います。決して焦ってはならない、逸ってはならない、常に、まず冷静に考えること、それがあなたたちをもしかしたら救ってくれるかもしれないのです。白紙を恐れてはいけない。さしたる考えもなくただ空欄を埋めるだけの愚行だけはしないでほしい。まわりにいる夥しい数の受検生もみな五十歩百歩の連中です。それは間違いのないことです。それならばその中で冷静に自分を見つめたものが勝つのが道理です。

 ○桜修館に受かる!

  これから東京の公立中高一貫校は、しぼられてくるでしょう。公立中高一貫校はもともと都立高校でも新宿・小山台クラスにも届かない不振の高校についててこ入れしたものです。そういう高校がいずれは日比谷、西はともかく戸山クラスと肩を並べることを夢見たわけです。公立中高一貫校制度がスタートして10年が経過し、それぞれが卒業生を出して、そろそろ結果が見えてきた、あるいは見えつつある、ということでしょうか。多摩地区と23区では、多摩地区の公立中高一貫校はさしたる成果も出せないままに推移しております。異色の都立武蔵はまだグレーゾーンにあります。これに対して、23区の公立中高一貫校は確実に成果をあげています。今や、小石川は、戸山と肩を並べるほどに成長しました。まだまだ伸び代が期待できこれからです。白鷗は最初の卒業生が東大5人合格ということで衝撃でしたが、その後はぱっとしません。桜修館は東大こそ少ないが着実に国立大学の合格者数を伸ばしています。九段、両国もそれなりの成果を出していますが、まだ都立青山ほどではない。

 私立中受験者の併願先として公立中高一貫校が選ばれる傾向は変わらない。小石川、桜修館、九段が人気の併願先とされる。

 さて、今日は、その桜修館の攻略法について、少しく私見を述べてみたい。

 そもそも桜修館の合格最低点というものは、どの程度なのか。去年の受検者の中で、たまたま補欠2番と補欠10番の子の点数を知ることができました。そこから推測すると、適性は、500点満点の218点、つまり、44%程度、この点数だと作文は何点とればいいのか。作文は200点満点で、推測であるが、120点超ということではないか。60%強である。このあたりが合格最低ラインなのではなかろうか。平均してみると、48%ほどである。つまり、5割弱で合格できる。これが受検生の目安になる。となると、受検に際しても、決して、全部解こう、全部埋めよう、などと思ってはならない、ということである。丁寧に思考をはたらかせて自分の納得する答えを書いてくるという姿勢がもっともいい形なのであろうと思う。

 桜修館は、作文が特殊などと言われるけれど、なんとも楽な問題である、とわたしは思っている。テーマとの密接な関連性を維持しながら好きなことを書けばいいのであるから。テーマから飛躍したら第一巻の終わりである。書き方のこつとして、テーマが抽象的であればあるほど、自分の具体的な体験を根拠にして、テーマと密接に関係する「ある抽象的な価値」観を披露することである。

 人生の、社会的な、公共的な、広い意味の価値観を忍ばせる、のがこつである。

 去年の適性問題は、それなりの思考力の備わった人であるならば、落ち着いて処理していけば、十分に合格点のとれる、問題であったと思う。適性の対策には、算数の能力を高めることが、もっとも有効な攻略法であることは変わらない。その他適性特有の問題処理の方法なども習得しておくことはもちろん必要であるけれども、それは特に、何かをやるというのではなく、過去問を解くことで自然と身につく程度のことである。

 ○都立西高校をめざすこと

 都立西の入試問題は日比谷とならんでかなりにレベルは高い。特に、英語については、早くから、それなりの対策をとってこなければ対応できないであろう。求められているのは、高度な英文読解の力である、と考える。加えて、自分の考えを英語で表現できるような訓練が求められている。単語はそれほど問題ではない。問題文には注があり、たいていの単語は意味が添えられている。

 早くから、英文で日記をつけること、その場合に、教科書を根拠にすること、これだけでいいと思う。できるなら教科書を丸暗記するのがいい。

 国語の読解も早くから取り組んでいなければ、どうにもなるまい。すでにしてセンター試験並の論説文が問われているのだから。竹の会も「新国語読解」など国語指導レジュメは次第に充実しつつあります。

 数学は、今の竹の会の指導に修正はいらない。そのままレジュメをこなしていけばいい。今年は、「高校入試問題撰」をやれなかった中3が出たけれど、独自校を受けるには、これが中2で終わっているのでなければお話しにならない。

 ○偽問と真問

 偽善という言葉がある。善を装う、という意である。今は、偽善社会という人もいる。新聞もその他マスコミも政界も財界も医師も弁護士もとにかく善を装うことで体面を維持することに汲々としている。わたしがここで述べるのは、入試問題が、受験生を騙す手法のことである。試験という者は選抜という目的がある。10倍とかなると、生半可の問題では選別しきれない。合格ラインに同点が続出するようではダメである。そこでなんとか受験生を騙そうとする。嵌めようとする。このときに、受検者がだまされそうな偽問をあえて作る。見せかけの問いは真の問いを覆い隠すように作られる。受検者が新傾向だと錯覚すればするほど大成功である。ほんとうは受験生なら一度解いたことがあるかもしれない陳腐な、ベタな問題なのに、あたかも装いを変えて、全く別の問題の風を装っている。バカな受験生が騙されることを意図しての作為である。また、そんなことで騙される受験生、つまりは、見た目の類似だけで解き方を覚えてきたような受験生、思考によって問題の本質を見ようとしない受験生には来てほしくない、ということである。

 ○竹の会の神様が助けてくれる

 指導が終わる8時、最後までなかなか帰ろうとしない子たちがいる、ゆっくりと後片付けして、楽しそうに話しながら、必ず、竹の会の神様に手を合わせる。いつも五円玉を用意している。ないときは、借りたりしてとにかく賽銭箱に入れる。わたしは、その光景をもう何か月も見てきた。去年、桜修館に合格した女子が毎回必ずお賽銭箱に入れて手を合わせていたということを後で本人の体験談で初めて知った。富士に合格した女子は、竹の会やわたしにまつわるありとあらゆるグッズを身につけて受検したと後で聞いた。なにかにすがりたい小学生のみなさんには、竹の会の神様がきっと心の拠り所となってくれると思います。竹の会の神様は、竹の会ができた昭和60年からずっと変わらず竹の会にいつもいたのですから。賽銭箱はわたしの記憶では平成9年頃はなにかただの箱だったことを覚えています。渋谷教室になってから、ヒノキ造りのりっぱなものに変わりましたけど。中の硬貨はわたしの記憶では平成21年にさかんに五円玉を入れていた、両国中に合格した子の頃からそのままです。以前は一円玉ばかりで溢れて収拾がつかなくなり、一円玉は禁止となりました。「先生、中のお金どうするのですか」と言われるけれど、考えたこともありません。過去の合格者も不合格者も入れてきた祈り、思いの証しであり、わたしの手にはあまるものです。

 

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