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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

小石川中等/都立戸山・都立青山/第8章 竹の会合格回顧録/本物の塾

2019.08.07

令和元年八月七日 夏真っ盛り 

竹の会の夏はいつもと変わらない風景です。子どもたちが元気にやってきてそれから終日勉強する。終わるとさすがに疲れた子たちが、一気に解放されて、みなホッした表情で、たちまちいなくなる。八月に入って竹の会の夏は変わらず勉強する意欲に満ちた子たちが熱心に訪れて、それこそ夢中で勉強し、終了時刻には、疲れた顔が一気に破顔し、解き放たれた子たちが喜々として散っていく。この夏もあっという間に、終わる。竹の会の夏はいつも変わらないけれど、わたしの体は去年より確実に悪くなっている。

 

第8章 竹の会合格回顧録
竹の会の合格の軌跡を追ってみることにした。なぜって、もう昔の合格は忘れてしまった、名前も忘れた、名前がわかっても顔までどうか、わからない。だから整理のために、思い出しながら振り返ることとした。ここで竹の会を振り返るのも悪くない。

竹の会は、小塾です。いわゆる個人塾です。公立中高一貫校受検の児童は近年こそ5名を超えることもありますが、5名でも多いくらいで、平均3名前後の超小塾です。
平成31年
中学受験
都立桜修館中等教育学校(男子)(倍率4.51倍) ※巣鴨、攻玉社合格の男子です。  
都立桜修館中等教育学校(女子)(倍率6.94倍) ※500点満点中480点を取り合格  
千代田区立九段中等教育学校(女子)(倍率7.5倍)※3科目中2科目満点  
千代田区立九段中等教育学校(女子)

※併願合格 巣鴨中学 攻玉社中学  
 高校受験
都立青山高等学校(女子) ※オール5  

平成30年
中学受験
都立桜修館中等教育学校(倍率6.59倍)  
都立富士高等学校附属富士中学校(豊島区・男子)(倍率4.45倍)  
都立富士高等学校附属富士中学校(渋谷区・男子)(倍率4.45倍)  
※都立中合格者のうち私立を併願した塾生の合格校
※併願私立 東京農業大学第一高等学校中等部
平成28年
中学受検 ※8名中4名合格
都立小石川中等教育学校(倍率5.30倍)
都立白鷗高等学校附属中学校(倍率8.06倍)
都立富士高等学校附属富士中学校(倍率4.75倍) 
千代田区立九段中等教育学校
 高校受験 ※2名中2名合格
都立戸山高等学校
都立文京高等学校

平成27年
中学受検 ※5名中2名合格
都立桜修館中等教育学校(倍率7.74倍) 
都立富士高等学校附属富士中学校(倍率5.58倍)
 
高校受 ※1名中1名合格
都立戸山高等学校
平成26年
高校受験 ※1名中1名合格
都立駒場高等学校
平成25年
中学受検 ※5名中3名合格
都立小石川中等教育学校(倍率5.17倍)  
都立桜修館中等教育学校(倍率9.89倍)
都立白鷗高等学校附属中学校(倍率9.24倍)  
高校受験 ※1名中1名合格
都立北園高等学校
平成24年
中学受検 ※3名中1名合格
都立富士高等学校附属富士中学校(倍率6.70倍)
平成23年
中学受検 ※3名中2名合格
都立小石川中等教育学校(倍率8.26倍) 
都立桜修館中等教育学校(倍率5.15倍)  
高校受験  ※3名中3名合格
都立小山台高等学校
都立文京高等学校
都立産業技術高等専門学校
平成22年
中学受検 ※4名中3名合格
都立桜修館中等教育学校(倍率4.60倍)  
都立両国高等学校附属中学校(倍率7.75倍)  
東大附属中等教育学校(倍率6.6倍)
高校受験 ※1名中1名合格
都立富士高等高校
平成21年
大学受験
慶應義塾大学(商学部)
千葉大学(法経学部)
平成20年
中学受検 ※3名中1名合格
都立桜修館中等教育学校(倍率5.16倍)  
高校受験 ※1名中1名合格(都立受験者のみ)
都立西高等学校  
豊島岡女子学園高等学校
桐蔭学園高等学校(理数科)  
立教新座高等学校
平成19年
中学受検 ※3名中3名合格
千代田区立九段中等教育学校(区分B)(倍率10.08倍) 
東大附属中等教育学校
東大附属中等教育学校

高校受験 ※1名中1名合格
都立狛江高等学校
平成18年
中学受検 ※1名中1名合格
東大附属中等教育学校
高校受験 ※2名中2名合格
都立富士高等学校
都立狛江高等学校
平成17年
高校受験
都立青山高等学校
都立新宿高等学校
都立大附属高等学校
桐蔭学園高等学校(理数科)
平成16年
中学受験
東大附属中等教育学校
成城学園中学校
高校受験
都立富士高等学校
都立富士高等学校
國學院高等学校
平成15年
中学受験
国学院久我山中学校
吉祥女子中学校
高校受験
都立新宿高等学校⇨学芸大⇨教員
都立鷺宮高等学校⇨千葉大学工学部
大学受験
中央大学(理工学部)
平成14年
高校受験
都立青山高等学校
都立青山高等学校
都立青山高等学校
都立駒場高等学校
大学受験
慶應義塾大学(総合政策学部)  
上智大学(経済)
平成13年
高校受験
都立西高等学校⇨慶應理工
都立国際高等学校
都立新宿高等学校
平成12年

中学受験
東大附属中等教育学校
日本大学第二中学校  
実践女子学園中学校  
高校受験
都立青山高等学校
都立新宿高等学校
都立新宿高等学校
都立新宿高等学校
国学院高等学校
国学院高等学校
東京農大第一高等学校
平成11年
中学受験
立教池袋中学校⇨慶應商学部  
高校受験
都立青山高等学校  
都立駒場高等学校  
青山学院高等部⇨慶應総合政策
平成10年
高校受験
早稲田実業学校高等部(普通科)⇨早稲田大商学部
早稲田実業学校高等部(商業科)
立教新座高等学校
日本大学第二高等学校⇨津田塾大
都立駒場高等学校⇨早稲田商学部
都立三田高等学校
平成9年
中学受験
成城学園中学校
大妻中野中学校
大妻中野中学校
恵泉女学園中学校
高校受験
都立青山高等学校
都立新宿高等学校
都立新宿高等学校
都立駒場高等学校
都立駒場高等学校
成城高等学校
成城学園高等部
平成8年
中学受験
昭和女子大附属昭和中学校 
高校受験
都立青山高等学校
都立青山高等学校
都立新宿高等学校
都立新宿高等学校
国学院久我山高等学校
東工大附属高等学校
日大櫻丘高等学校  
玉川学園高等部
大学受験
東京理科大学(理工)
平成7年
中学受験
成城学園中学校
高校受験
東邦大附属東邦高等学校⇨順天堂医学部
大学受験
中央大学(法学部)
平成6年
都立青山高等学校
都立新宿高等学校
国学院久我山高等学校
帝京大学高等学校
大学受験
東洋英和女学院大学
平成5年

高校受験
都立大附属高等学校
平成4年
高校受験
都立青山高等学校⇨慶應文学部
都立青山高等学校⇨東京理科大
都立青山高等学校
都立駒場高等学校⇨青山学院大
桐蔭学園高等学校(理数科)
成城高等学校
共立女子第二高等学校
東京農大第一高等学校
平成3年
中学受験
東洋英和女学院中学部
高校受験
都立戸山高等学校
都立新宿高等学校
都立駒場高等学校
青山学院高等部
平成2年
中学受験
獨協中学校⇨東京理科大⇨建築士
高校受験
都立新宿高等学校
都立大附属高等学校
東京農大第一高等学校
平成1年
高校受験
都立国際高等学校 ※倍率26倍 開校
昭和63年
高校受験
都立駒場高等学校
都立芸術高等学校
都立大附属高等学校
富士見高等学校
国学院久我山高等学校
昭和62年
高校受験  
都立駒場高等学校⇨芝浦工大  
都立大附属高等学校(2人)
都立目黒高等学校⇨東洋英和女子
青山学院高等部  
市川高等学校
国学院久我山高等学校⇨國學院大

註釈
 もちろん竹の会の合格者はこれだけではない。主な合格校、特に、偏差値の比較的高いもののみを拾ったものであり、その他の都立には、実は、多数が合格しているが、私立の合格者のほとんどとともに割愛している。
 竹の会の出身者は、30有余年の間に夥しい数に達したと思う。その全ての卒業生はもちろん実はほとんど忘れている。名前はもちろん顔を思い出すのも苦労する。竹の会の一期生は、昭和60年(1985)10月、中2(13歳)だから、47歳、48歳になっているはずである。流石に、一期生の顔は覚えている。名前はかなり怪しくなってきた。あの頃は、夢中で授業していた。教材は教科書、市販の問題集といったお粗末なもの、シンプルなだけに、授業に力を入れた。その授業が、「わかりやすい」と評判になった。「近くに、熱心な塾の先生がいる」と問い合わせてくる親たちからの電話が絶えなかった。
 わたしもまだ若くて、わかりやすく教えることを価値としていた。子どもたちの「わからない」に応えていった。ところが、意に反する結果を経験した。それこそ丁寧に授業を重ねて、子どもたちは、「わかった」と言っていたのに、なんと定期試験の結果は惨憺たるものであった。ところが、何かの事情から、手が回らず、教えられないままに、とにかく自分で、取り組ませた、考えさせた、ことがあって、わたしもあまり期待していなかったのだが、その時は、子どもたちが、喜びながら、やってきて、嬉しそうに結果報告してきたのですが、軒並みいい成績を取り、何もしなかったわたしを驚かせました。

 一期生が、中3になると、わたしは、不安から、過去問を使った指導に切り替えました。わたしの指導の原動力は、不安でした。何か危険センサーが働く、感知する、それで手を打つ、二重三重に手を打つ。この頃から、とにかく過去問を買い集めました。過去問を片っ端から解いていった。わたしには過去問しかない。だから過去問で入試の本丸に攻め込む。外堀を埋めて、内堀を埋めて、というような攻めとは違う。
 ただこれは高校入試についての話しである。中学受検では、自ずと異なる。中学受検では、小学生は、知能未分化からの始まりであり、初めて学ぶということを経験する。小数、分数、割合、と初めて学ぶことばかりである。まず、外堀から、埋めていくしか方法はない、のである。
 これに関係するが、竹の会では、例えば、小3から来ても、小4から来ても、始めることは変わらない。これは小5でも同じである。だから小3に来た子が、分数をマスターし、かなりの計算力を身につけ、割合の枠組みを理解している、ということは、竹の会では、ごく普通のことである。だから、小4に来た子が、小数で四苦八苦しているのに、小3からいた小4が、割合による思考力をさらに進化させている、こういうことが、普通にある。小5から来た子たちは、それまで大手にいたという子はそれまでの塾の酷さに怒り嘆き、竹の会にもっと早く来なかったことを後悔する。竹の会は早くから知っていたけど、大手を選んだ、という人ばかりである。しかし、これは無理のないことかもしれない。試しに、ネットで「渋谷 塾」と検索してみればいい。大手の塾がずらりと名を連ねる。塾のランクサイトがまたやたらあって、ここでも「いい塾」として、大手をこれでもか、というくらいに紹介している。まずこういうサイトで、竹の会が出てくることはない。大手が、ふんだんにカネ出して、サイトのランクを独占しているとしか思えない。こういうランク表を見て、塾を選ぶのが、世間の親たちの頭の構造なのか、と思う。そうなると竹の会が、こういう人たちと出会うことはほとんどない。たまに、大手に一年ほど通い、不安を持った親が、竹の会に迷いながらもやってきます。そしてたちまち、こんな素晴らしい塾とは知らなかった、と竹の会の信奉者に転じるのです。こういう人ならもう何人もいました。竹の会にそういう形でしか出会わないのはとても残念なことです。竹の会しかないと竹の会を目指してくる人、そういう人も少ないがいました。平成27年桜修館合格の女子はそうでした。竹の会の入会試験に落ちたら受検は止めるという決意でした。そういう人は入ってからも熱心度が違います。決して竹の会を休まない。竹の会を休む理由は病気以外には決してなかったのです。竹の会絶対の人たちでした。そういう人が受かった。人並みに生活を楽しむ一家が受かることはない、なかったのです。
 わたしは、ただ受かるセンサーを働かせて忠告してただけなのです。これでは受からない、わたしのセンサーがそう語るのです。直感的に、あっ、だめだ、これは、とわかるのです。お盆に、遠くの実家へ家族で帰省する、一週間ほど滞在する、移動は車で、そういう話しを耳にしますと、これはだめかなと思う。案の定、勉強は遅れ気味で、失速していきます。積み残したレジュメの量、結局やりきれなかったレジュメが、負の遺産として、有形無形の陰が心を覆います。ふと思い返せば、そういう子は、竹の会に入っても、習い事、稽古事だけは、やめなかった。竹の会の入会時期を遅らせる、よくあるのは、今やっている習い事、稽古事のキリがつくまで、終わったら専念したい。こういう子は実はがんばらない、ことになっている。そもそも「頑張る」という言葉を使う子は頑張らない。「頑張る」というお呪いは、今、頑張ってないから、言いたくなるのであり、今頑張らない子はこれから先もやっぱり頑張らない。「帰省先で勉強する」という言葉も、今、勉強していない、そしてこれからも勉強しない、裏返しの言葉である。
 東京の皆さんは、実は、塾というものの真実をわかっておられない。自分の子が、自分のDNAを引き継いだ優秀な子なら問題はありません。そういう子なら自分の力で未来を切り開いていくでしょう。しかし、大半の子どもは、そうではない。わたしの経験では、学校の優等生、つまり「よくできる」が、8割以上ある子でも、大手では、落ちこぼれるか、失速する可能性が、強い。進学大手塾なら、まずついていけない。都立中高一貫大手なら、伸び悩み、失速する。その原因は、また詳論する機会があればその機会に譲りたい。少し言えば、後者の場合、過去問類似の問題をやるだけの大手のやり方が、せっかくの逸材を殺すことになる、ということだと思う。前者の場合は、ハイレベルな教材についていけない、というだけのことである。
 大手進学塾は、能力は前提である。テキストは読んで理解できなければ、そこまでの能力はない、ということである。授業がわからなければ、それだけの能力がないということである。後で質問するとか、その質問が講師に時間がなくてできないとか、それで落ちこぼれていくなら、そんなレベルなら、無理である。ノートも取れないほど自堕落な字を書く子が、ノーマルとは思えない。こういう子も落ちていく。
 だいたい「人気塾ランク」などという捏造が、罷り通り、またそれをそのまま信じるおめでたい親や子が、塾をこういうものと思いこんで、塾に通う、全くおめでたい話しである。
 あなたたちの頭にある塾とはいったいどのようなものなのでしょうか。
 先生、講師、授業、テキスト、黒板、教室、そういったイメージでしょうか。何かを習う、教えてもらう、予習、復習、夏期講習、冬期講習、特別講座、テキスト代、塾のイメージはあなたたちの頭の中では固定されたものなのではないでしょうか。大手には学生講師、個人塾には様々なタイプの先生、それは様々ですが、塾一般のやっていることはそんなに差はないのではないでしょうか。
 わたしはそうした塾の中にはどれくらい本物の塾があるのだろうか、と疑っています。ネットの人気塾ランクサイトなどで本物の塾が、見つかるとはとても思えません。サイトにカネを出さないで、上位にあることなどあるはずがない。そんなまやかしに乗って塾を選ぶあなた方はその程度の人だから、別に騙されてもいいのです。
 竹の会は、既存の全てと無関係です。一銭のカネも出さない、あたりまえです。竹の会は、東京の渋谷の駅から徒歩十分のところに、ひっそりと塾を営んでおります。何の広告も出しません。だってそんな余裕はありませんから。わたしにできるのは、竹の会の存在を「草枕」を通じて東京の皆さんに訴えること、これだけです。竹の会の真価は、実際に竹の会に通われている皆さんが、判断することです。
 本物とは何か。いいですか。子どもたちをはっきりとできるように導く塾です。小数の計算ができないままに、テキストを先に進める塾にどうしてあなたたちは子どもを預ける気になるのですか。塾というのは、繋がっている、一つ一つのテーマを取り上げ、確実にマスターしたのを見届けてから次へ進める、これがあたりまえの仕事です。大手が、天才に基準をおいて、わからない者が8割いても、2割の天才のために先を急ぐ。難関校に合格するための、天才のために作られたカリキュラムなのに、その他大勢もなぜかその予定に合わせる、不思議な話しです。わからなくても、天才が理解できることは、凡人の子たちも理解しなければならないという、奇妙な呪文にかけられて、補習塾、家庭教師、個人指導塾などを掛け持ちする。なんとも愚かしい光景です。こんなところには塾の本物を見ることなどできません。
 都立中高一貫型大手塾だって、本物などではない。ここでももともと頭のいい子が、受かっているという事実は変わらない。栄光や大原、エナなどの塾が、平成17年あたりから手探りで、始めたのは、過去問に似せた問題を作り、それを練習させること、だった。大原などは、小石川コースなどと学校名をつけて対策をとると謳いあげたが、結局過去問類似問題を練習させるだけのことであった。こうした大手が、計算や割合といった、基礎段階の訓練を端折り、いつ、つまり小6から入塾しても、対応できるとする態度は、偽善であろう。小6には、分数もわからない子もたくさんいる。そういう子でも受かると言って、過去問類似問題を使って、授業を進める。こんなめちゃくちゃな話しはない。わたしが言いたいのは、そういう子の親たちです。わたしにはバカな親にしか見えない。
 あなたたちは、問わなけれならない。本物の塾とは?と。あなたたちの子どもの正味の能力を掛け値無しに見極めて、その上であなたたちの子どもの素の地頭に見合った塾を探してあげることである。それは決して大手ではない。またやたらの巷塾でもない。あなたたちは、はたと、そこで、考える。世の中に、そもそも本物の塾なんてあるのか、と。
 普通に考えたら、ないでしょうね。
 ただ探せば、熱心ない塾はあるかもしれない。ただ熱心な塾は、本物かどうかとは関係ない。
 本物の塾とは、子どもが、力がついていくことを実感していること、親が子どもが伸びていることを確かに実感していること、子どもが先生に心から心を許していること、親が先生の力量と人柄を信頼し切っていること、確かに、合格実績を出していること、確かに、子どもが伸びていること、これらの要件を全て満たしている塾が、本物の塾です。

 竹の会は、本物の塾でありたい。だから本物の塾になるために、必死に努力をしてきた。いつだったか、「竹の会は本物の塾でした」と言われてことがあった。いや何人かの親御さんから言われた。嬉しかった。わたしが、そうありたいといつも実践してきたから。多くのお母様方から、感謝のメール、手紙をいただいた。竹の会の記念日には、思いもかけず、花束をいただくことも、しばしばであった。わたしが思う以上に竹の会のことを思われている親御さんがいた。それが嬉しい。何が嬉しいって、わたしが竹の会を通して、わたしがやってきたことが、普段は何も言われないお母様方に花束で意思を示されたことが嬉しい。そう言えば、竹の会のお母様方というのは、普段は何も言わない。一年も二年もカスタマーサイレントのように何も言わない。何かのことでたまたまいただくこととなったメールには、いつも感謝の言葉で満ち溢れていて、こんなにも感謝されていたのかと、私を感動させる。
 わたしは、渋谷の片隅で、塾とは何か、本物の塾とは何か、を問い続けて、早34年の歳月が流れた。わたしの竹の会との別れが近いことに内心怯えながら、竹の会は、本物の塾になったのか、本物の塾に成り得たのか、問わないことはない。

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