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竹の会という合格の方法

2018.03.12

 おはようございます。今日は昨日に続き春の香りする天気です。ほのぼのとした霞がかった、冷たくも動けば汗ばむ、春独特の空気が体をつつみます。閑散とした、静かな竹の会、ひたすら勉強だけに心を傾ける、かつてのそういう静寂と緊張が戻ってまいりました。不適切な指導態度を為す者の駆逐、勉強を二次的なのものとする、成績不振を常態とする者の摘除がもたらす静寂と緊張は理想的な指導環境をもたらしました。渋谷教室開設時にはあたりまえであった、静寂と緊張が戻ってきたことはなによりです。退塾というのは、塾には必須の装置、新陳代謝をもたらす最上の方法であると再認識いたしております。

 今後、仮合格者について、指導困難、指導成果を見込めないと判断したときは、すみやかにその旨を告知するとともに、ある程度指導期間を経過しても今後の進展が望めない常況にあると判断したときは速やかに退塾の措置をとらせていただきます。これこそが静寂と緊張を常態とする、最高の方法であると、確信したからです。たとえ、知能優秀、成績上位にあるとしても、緊張感のない行動、例えば、居眠り、常態化した遅刻、頻繁の欠席等が顕著になれば、当然退塾です。

 竹の会に入会したのが、受験に合格するためであるということがまずあります。単に基礎学力をつけるため、というのであれば、確かに、竹の会はそういう意図に十分に応える指導をするであろうけれど、それは本来竹の会の趣意ではありませんから、相当期間経過後、つまり基礎学力がついたという段階ですみやかに退塾をするのが相当と思料しております。

 今の私の正直な気持ちを申します、合格の見通しもないのに、それがたとえそれなりに学力の向上をもたらすとしても、指導することはかなりに苦痛であるということです。きっと親御さんの気持ちとしては、これほど効果が上がっているのに、他塾は考えられない、ということなのかな、と推測します。しかし、そういうことは、わたしの、渋谷教室の本来の主意ではない、ということです。わたしの指導がたいていの子らに、目に見える変化をもたらすであろうことは、わたしにはわかっております。しかし、わたしが、渋谷教室で、わたしにとって、最後になるであろう、やりたかったことはそういうことではないのです。

 わたしには、世の中に陸な塾がない、ということ、そういう認識をもたれている親御さんの気持ちはほんとうによく理解できます。なにしろわたしも同意見なのですから。いい塾を探そうと、真剣に悩まれているお母さま方には、まことに悩み深いのが現状です。わたしが出会った親子というのは、例外なくこれまで通って来た塾に満足していた、それなのに子どもの学力はついていなかったという事実、そういうことに絶句し、悔いる、そういう親子ばかりでした。塾は「太丈夫」と必ずいいます。「これからがんばれば」とも言います。しかし、大丈夫であるはずがないのです。大丈夫ではないから、わたしは正直に「退塾」を告知しているのです。

 大手を選ぶ親というのは、その意味では悩まない。自分の子に自信があるのでしょう。「うちの子は大手でも上位にいける」という自信があるのでしょう。ところが、その自信というのが、たいていは張り子の自信であった、というのが真実なのですけれど、小4とか、小5では、「やっていける」と期待している。自分の頭と相談することはまずない。鳶が鷹を生む、というのが、普通にあると信じている。大手で落ちこぼれた子というのは、救いようがない。基本を軽視するし、基本をやると嫌がる、すぐ公式を探す、知識がないと「わからない」とすぐに投げる、こういうバカに仕上げて、もはや親の見識を言う気にもならない。

 竹の会で成功するのは、簡単なことです。まず通知表の「よくできる」が8割あることです。それから入会試験にいい成績で受かること。これらが満たされても合格するには、類い稀なる実行力がなければ無理である。指導レジュメをその日に出せない、これはかなりによくない兆候です。それから課題をほとんど出さない、こういう子はまず受からない。指導レジュメを出せないのは、能力にかかわる、課題レジュメを出さないのは、勉強のスタンスにかかわる。

 家庭の姿勢も合格に大きく影響する。盆正月実家帰省は絶対とか、法事は絶対とか、習い事・稽古事はとにかく優先とか、そういう家庭の姿勢は、必ず子どもの勉強姿勢に影響する。なにかと勉強中断の口実を言う子になる。わたしに言わせれば、受検というものを、なめているとしか言いようがない。2月9日に掲示板に自分の番号を「見つける」というのは、並大抵のことをやってきた人間には、ないことなのです。高校受験だともう中学生ですから、小学生とは違います。しかし、精神的な弱さがもたらす不幸な結果というのはありうる。これを克服するには、それこそ余人の真似のできないほどの勉強を普段からしてこなければならない。中学生は、部活で入試をしくじる、これはもう真理です。中1、中2のときに、運動系の部活に明け暮れ、中3になっても夏ぎりぎりまで部活ということになれば、99%志望の高校にはいけまい。普通はそうです。1%はたまにいる天才のケースです。

 竹の会で確実に合格するには、100%わたしの指示にしたがうことです。ところがこれを阻む難敵がいます。親です。父親にも母親にも天敵はいます。成功する子の親はわたしのやりかたに口出しをしないものです。それから成功する子というのは、素直で単純なものです。「一点の曇りもない、素直な気持ち」、これこそが、受験に成功する、真理だということです。天才ならぬ、凡人が受験に成功する、絶対真理というものがある。とかく頭がいいと言われる者は他人の意見に耳を貸さず、自分の考えを押し通す癖がある。しかし、かつての難関と言われた司法試験を例にとれば、先達のアドバイスに素直に耳を傾けた者ほど早く合格してたものである。自らのやりかた、選択に「こだわる」者ほど受からない、これが真理であった。こと勉強に関しては、「こだわる」人間は奈落の底に落ちる、ことになっている。普通がいちばんである。普通とは、自分が凡人であると自覚し、だからこそ先達の意見に「素直に従い」、自分はただ実行に専念する、これをいう。

 落ちた子には、合格の色がなかった。これは受験直前にわたしには見える色のことである。都合わたしは受験の子たちに色を日々の指導で塗っている。一回の指導で塗れる色は人それぞれである。濃く塗れたという子もいれば、かすかな、薄い色、ほとんど色にならない色ということもある。全く色がない、とい子もいる。こういう子というキャンバスに日々の指導で色を塗ると言うことをわたしはやっているわけである。だから指導時間中に居眠りをしていれば色など塗れるわけがない。遅刻常習、やたら休むという子には色などないままに、白いキャンバスのままに、時が無為に流れるだけである。家庭の事情によるお休みの多い子にも色を塗れる機会は少ない。一回に塗れる色がかすかだとさらに霞む。わたしが受験直前に子らに、どれだけ色を見たか、そういうところが、実に如実に合否に反映していることに驚く。色を仕上げてひとつの作品にまでする、そこまでに達する子は少ない。

 これからの竹の会

 最新の新指導レジュメ集 「撰」シリーズ全7巻予定

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 現在執筆中の最新作 「九段の神脳」 九段攻略の研究指導レジュメ

 なお、本年も過去問合格法を実施の予定です。

 

 

 

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