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大手塾に群がる大半が入試に失敗し、中学で失敗するという論理について

2022.06.10

本日の「新草枕」

勉強で勝負するということの意味

 

◎大手塾に群がる大半が入試に失敗し、中学で失敗するという論理について

  特に、大手信仰の親~かつては母親が主体であったが、近年は父親主導の家庭が目立つようになってきた~に多いのが、「できない」原因を大雑把にとらえることだ。わたしが常々に私見を述べていても、「落ちたら努力が足りなかったからだ」とせいにする、ということを言う親がいた。どうもわたしの言うことを正確に理解できないようだ。わたしは、もともと能力のない者には都立中は無理だ、と言っているだけである。だから、無理だという子には親にも「無理だ」と告げている。そもそも模試の結果が証明しているのであり、最初から受からないものをがんばれば受かるなどと言うわけもない。別にせいにもしていないし、能力どおりだと試験の公正さを身を引き締めて感じているだけである。

  大手と言っても、進学型の大手と都立中高一貫校型の大手では、全く事情が異なる。前者に落ちこぼれが多いのは昔から周知の話しである。第一志望に受かるのはごく少数の選ばれた人であり、大半は第二、第三志望で落ち着くことになっている。

  問題は後者の都立中高一貫校型の塾に通っている子たちだ。その大半は当然落ちる。8倍ならほとんど落ちるのは前提の受検だ。問題はその落ちた子たちの未来である。当然にそのほとんどが、公立中に進むことになるが、その公立中で高校受験をすることになるのだが、結局高校受験でも大方失敗することになるという話しである。公立中学に入っても、失敗した公立型の大手塾に迷わず入れる親たちの神経も鈍感で、実は、何も深いところまで考えていなかったということである。

  小学時代に公立型の大手に通った子たちで、まともな基礎力を身につけている子を見たことがない。計算もまともにできない。割合もほとんど理解していない。2年も3年も大手塾に通っていて、割合の問題もほとんど解けないのはわたしのよく知るところである。そういう子たちが公立中学に入ると、もともとも勉強に向いていなかったのか、それとも受検で抑圧されてきた発散なのか、迷わず激しい部活に入って、まともに勉強しなくなる。そういう子が大半である。さらに勉強に燃えて、「日比谷に行く」などと豪語している新入生も多々いるかと思うが、なにしろろくに基本を鍛えてこなかったことから、意気込みだけの空威張りに終わる公算大である。相も変わらず落ちた大手と同じ大手に通って何の抵抗ない。ここは不思議な感覚である。

  そもそも計算なり、割合なりを徹底して鍛えてこなかったことが、敗因なのに、親も大手ならとまた大雑把に考える。

  竹の会の基礎を鍛えた子たちが、公立中に進むことになって、戸山や日比谷に進んだという話しなら、いくらでもある。ただし、断っておかなければならないのは。竹の会だって、もともと理解力の低い子には基礎を教え込むことさえ手こずるままならないということはある。そういう子たちは、救えないと竹の会は昔からそのように断ってきたのである。ここでも頭の粗い親は、何も事実も知らないのに都合よく推測して批判するが、あまりにも粗すぎる。

  そもそも中学を誤解する親や子があまりにも多すぎる。中学は3年間ある、と漠然と考える。時間はたっぷりあると考える。

  しかし、まず、中学は、小学時代に、計算と割合を理解しないで終わった者には、一切の未来はない。

  それから、中学は、1、2年と3年の差が深刻である。中2までは学校の授業だけでいい成績を取っていれば内申もいい。しかし、中3は事情が違う。今の中3の履修事項はかつては高校1年でならう内容であった。つまり、途端に難しくなる。それでだ。中3の6月、7月あたりからもう模試が始まる。高校入試の模試である。当然それまでに中学3年間の履修事項を終えていることが前提のはずである。しかし、中3の1学期はどこの中学ものんびり平方根や多項式をやっている。1学期でそこまでというところも多い。つまり、学校の授業は高校入試に間に合うようにはなっていないのだ。今の高校入試の英語問題ひとつ取ってみても長文のオンバーレードである。数学の難解さは難関校に限らず、日比谷レベルも変わらない。のんびり中2までをすごしてきた、優等生にも太刀打ちできるものではない。つまり、高校受験は、学校のカリキュラムは全くあてにならない。大手塾はどうか。思いつくのは、早稲アカ、サピ、Z会あたりかな。確かに、開成などに合格者を出していますね。しかし、今の私はそういう大手も信用していない。だってわたしの手がけた生徒は、そういう連中を牛蒡抜きして、駿台模試で1位を取りましたから。大手の過去問データを分析した教材はわたしも感心した。しかし、もし同じ程度の天才たちが、そうした同じテキストで勉強したならば、その差は、能力の差以外はない。もちろん努力は前提です。わたしは、ここに大手の底を見た。だからわたしなら打ち崩せる秘策があった。舐めてはいけない。わたしは、かつては東大受験生や慶應大受験生を指導してきた人間である。

 これ以上は語るまい。ひとつだけ言っておけば、小学時代に基本ができていれぱ゛、勉強にスタンスが向いていれば、部活などには目もくれなければ、中学は、前倒し、それもできるだけ早くに受験レベルに持って行った者が勝つ。それだけの話しである。

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