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試験直前にはしゃぎ、落ち着かない、という無意識の示す予兆

2016.01.04

 おはようございます。今日も温和な気候です。今年は、穏やかで静かな年越しでした。もう1月4日です。冬期指導後半第2回目となります。昨日の欠席は、2、早退1、風邪気味1、でした。今年は強い寒気に見舞われることもなく、そのためかウィルスの活動も低調です。1月に寒さが戻ってくれば要警戒となるのでしょう。静かな本番直前月を迎えました。

 本能的に「悟る」ということがあります。本能とは、無意識の世界に属すること、無意識は五感で感じたままの世界と言います。

 試験直前特有の空気が支配しつつあります。子どもたちのようすにもその空気が微妙に影響を及ぼし始めています。

 これまで悔いなく勉強してきたか、それが今の子どもたちの心にすべて投影されている、そういうことです。

 本音を言えば、もはや結論は出ています。わたしにはわかっています。1月というこの月は、ジタバタしても何も変わらないということ、それだけははっきりしている、ということです。今、白紙の答案を出す子は、このまま本番でもまちがいなく白紙を出すでしょう。今、勘違いをよくする子は、本番でも勘違いする可能性が強い。

 この1月を、心静かに、黙々と、心乱れることなく、粛々と過ごせるのは、実は、去年の夏までの過ごし方にすべてかかっていた、ということを今知ることになります。あのとき、2、3時間しか勉強しなかった子と7時間やった子の差はここで出てきます。それは実力差という以上に精神的な安定度にかかります。夏までにやったからまた9月以降もやれるのです。夏にやれなかったから、9月からがんばるというのではありません。わたしはいつも言うのですが、この「草枕」で何気なく言っていること、そういうことを真摯にとらえて、誠実に実行してきた者、そういう者のみが、憂いなく、今を過ごせることができるのです。

 わたしにはできることとできないこと、その区別がわかっています。たとえば、理科、社会を中2の夏から始めて中3になる前に終わらせる、これはできることです。もしわたしの言うとおりに実行してくれれば、憂いなく時を迎えることができる、それができることです。しかし、時機を逸する、つまりはやるべきときにやらない、それならば、わたしには、「できない」ことです。

 わたしは、自分が「できないこと」がわかっているから、時期を逸することのないように指示を出しているのです。竹の会にいるということはそういうことだということを決して忘れてはなりません。指示されたときに実行しなければ、できなければ、さすがのわたしにももうどうにもできないのだということを知ってください。

 その上で、わたしは、できないことを知っているから、本番を迎える子どもたちの帰趨が見えてくるのです。さすがに、小5の時からなかなか机につくことをしなかった子たちに幸運の降臨することを想像できないでいます。だから「願う」、「試験の実際がわたしの予想する厳しい基準より甘い」ということを願うしかないのです。

 試験直前にはしゃぐ子はいけません。それは不安の、自信のなさの裏返しだからです。落ちつかないのは、自信がないからでしょ。自信というものは、まじめにこつこつ実行しても生まれかわからない、結果がともなわなければ生まれない、そういうものです。ましてや勉強不足の子らには自信など生まれようもないのです。

 自分の無意識行動に翻弄されてはなりません。無意識は不安を、現実を如実に反映します。しかし、わたしたちを、自分を支配しているのは「意識」です。意識が「律する」のです。意識ががまんするという行動を可能にするのです。勉強するという、考えるという訓練は、ほかならぬ、意識が自分の無意識的行動を律する訓練であったのです。勉強するというのは、がまんする、自分をしつける、意志で制御できる人間に仕上げることにほかなりません。煩悩に流されず、意志を律する人間になること、これです。

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