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誤魔化し脳/都立中等を獲る/良質都立高を獲る/算数という思考の方法

2020.08.03

曖昧な意見、感覚で判断する人のこと
 根拠を事実で示すことこれは基本の基本である。算数を学ぶとき、わたしは、「算数事実」の理解が重要であることはすでに説いてきたところである。これはひとり算数に限った話しではない。数学なら数学にも数学的事実がある。ただ数学には、実は事実を取捨選択する場合に特殊な言語を使う。数学というのは、記号を使って考える学問である。記号とは、「≦」のような本来の記号は当然として、文字、数などを含む広い意味で使われる。そしてわたしたちはこれを記号言語と呼ぶ。数学というのは、記号言語を使って考える学問である。新しい記号は次々に約束される。つまり新語は必要ならいくらでも作られる。集合論なら集合の記号が、ベクトルならベクトルにまつわる記号が、一次変換、行列、数列、三角比と仮説の数だけ記号が発明される。この意味で数学の思考は特殊言語による制約に満ちている。
 算数は自由である。算数はただ知恵を使う。ただそこには消極的に記号言語は使わないで解くという制約がある。算数と数学では対象事実が重なるところが多い。そんな時、算数よりも数学の方が楽ということはある。しかし、小学生は、数学は知らない建前だ。数学は使えないのである。その限りで算数は自由である。しかし、それだからこそ面白いということはある。それに算数にも数学的なものがそれとなく忍びこんでいることもある。よく使う①は、ある意味記号である。これは「1あたり」の記号化と言っていい。ただこのあたりなら小学生にも理解できる。守備範囲である。また方程式的な関係を線分図で解くということもよくやる。
 算数は知恵の科目であると言った。事実を読み取り、そこから関係を使って「層」を剥がしていく。算数の問題は単純な一層問題から思考の層を重ねて剥がしていく多層問題まである。関係というのは、単位あたりの考え方、割合の考え方、時間と速さの関係、そこから比の考え方と使える関係はそれほどあるわけではない。比を視覚化したものに面積図がある。面積と言っても、長方形だけだ。縦×横=面積の関係があればなんでも使える。食塩水の問題が圧倒的に多いが、わたしの研究では、算数のかなりの問題がこの関係で解けることがわかっている。情報の少ない問題はたいてい面積図だ。面積図というのは、「比」の関係を絶妙に表現したものとも言える。算数の事実を関係化するとき、よく使うものにほかに線分図があります。線分図のかきかたのこつは、もとにする量を親線分として表すこと、親線分、子線分、孫線分を正確に区別すること、ミクロの数とマクロの数を各線分図に書き込むこと、その際、ミクロの数とマクロの数が対応するように作ること、です。
 食塩水の問題は、食塩水ごとに分けて図をかくのはわたしの好んで使う手法です。最近では真似をする子たちも出てきました。「図をかいて考えなさい」というと「どうやってかくのかわかりません」と言う子たちを見ていると、子どもたちのどうにもならない壁を感じます。
 模試というのは、これほど脳の内奥を映し出すものはない。模試で点が取れないという子の頭の中身は、自ら考えて導き出すという頭の働かせ方はおそらくしていない。7回解き直しが、理解を前提にしたものではなく、解き方と式、答えを暗記するだけのこなし仕事になっているのであろう。これは、見たこともない問題には、全く対応できない頭ということなのかと思う。去年あたりから模試で全く点が取れないという子たちを散見するようになった。これはどうしたことか。新しい型の子たちの出現に驚きを隠せない。
 「算数の鍵 平易版」を子どもたちに試してみた。「思考の鍵」を終えたばかりの子には、まったくといって使えなかった。「割合問題編」を終えた小3にはなんとか使えそうな見通しである。となると「算数の鍵」は上級者向けということになるのか。
 今日は朝からずっとテキスト製作に専念した。「思考の鍵」を終えた子が次に使えるテキストをと思い立った。70問ほど拾ったか。その一割ほどはやや難しいかもしれないのも敢えて入れた。基本製作理念は、算数のベタな問題を一通り取り入れ学ばせることとした。時計算、通過算、流水算、羊算なども入れた。縮尺とか、平均とか、単位あたりとか、算数の基本的な問題は一通り拾えたのかと思う。「思考の鍵」が、割合に特化していたのと比べると、対象は算数全般に渡った。テキストのタイトルは、「思考の硯」とした。「」は、漢読みは「ゲン」。しかし、「ケン」と慣用読みもする。語義は、もちろん「すずり」。習字で墨をするときに使うあれである。こうして「しこうのゲン」と読むことになろうか。慣用的に「思考のすずり」の方が言いやすいか

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 このところ気になっているのが、誤魔化し脳のことである。「わかった」「できた」と言うけれど実はなにもわかっていないという子たちが殖えている。本当に自分力で解けるのか、わたしも騙されるほどに堂々としている。
よくわからないけどわかったことにする、本当はよくわからないけど説明聞いてわかったことにする、よく解いているように錯覚してしまうが、「わかりません」と持ってくる頻度が目立つ。いやすぐ白旗をあげる、そういう子が多くなった。それとともに模試で今まで見たこともないような成績を取ってくる。これは紛れもない、誤魔化し脳の仕業に違いない。誤魔化し脳は、すぐ諦める、白旗をあげる、どんなに考えてもわかりません、と言う、問題がおかしいとまで言う子もいる。
 受かる子と落ちる子の差、これはもう白旗の数に尽きる。受かる子は必ず解くという意思を感じる。諦めない、何日かかっても必ず解いてくる。問題が解けなくて深夜ずっと泣きながら解いていたという27年桜修館合格の女子を思い出す、彼女は決して諦めなかった。「いや、もう少し考えます」というのが、いつも口癖だった。遂に私が声をかけた、「持ってきなさい」、彼女はもう何日も考えたからいいんだ。もういい、私は、解説レジュメを渡す、説明する。くやしそうだがわかってニコリと笑う。ただこういうシーンは二度ほどしか記憶にない。
 あの当時、一日に渡したレジュメは3枚程度。毎回それくらい。その少ないレジュメは、前の日までにわたしが渾身を込めて作ってきたものだった。そのレジュメを彼女は一心不乱に考えた。決してギブアップしなかった。
 最近感じること、白旗を当たり前のようにあげる子たちのなんと多くなったことか。
 

 

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