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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立トップ校にいくということ

2016.08.22

 お早うございます。お知らせにありましたように、本日の指導は中止としました。中止については特に個別に連絡することはしません。こういう事態においては、当然に竹の会のHPで確認するなどのことをするのが普通のことだからです。このような緊急の場合は、必ずHPで確認するようにしてくださればと思います。

 今日は、竹の会の中学生指導について、少しく述べておきたいと思います。

 竹の会は昭和60年10月開設以来一貫して高校受験指導を中心的な路線としてきました。もちろん時には中学受験、大学受験をという散発的な指導もありましたが、メインは高校受験であったことに変わりはありません。平成17年には、高校受験指導において、これまでの過去問合格法を換骨奪胎する計画、いわゆる指導教材の全レジュメ化という大仕事に取りかかりました。平成20年には、松濤中の女子がこのレジュメ指導によって都立西高校に合格を果たしました。彼女は同時に豊島岡女子にも合格しました。このとき同じくレジュメ指導をした男子は桐蔭理数に進み一浪して東大文Ⅱに合格しています。このレジュメ化の完成後、平成22年前後には高校受験のための中学生の募集を廃止しています。これは公立中の学習不振児の常態化、少子化などの影響による地元中の秀才の激減などがあったからです。ただし、竹の会在籍の小学生については、例外的に、中学での指導を認めることはありました。本年都立戸山に合格した男子、去年都立戸山に合格した男子、いずれも特例入会です。特例入会に際しては、途中勉強に熱意がなくなったときはいつでも竹の会から退塾できるという承諾をとっています。親と子の承諾をとった上で入会を許可しています。現中1のみなさんも特にそういうやりとりはしていませんが、この条件は変わりませんのでご注意ください。中学生というのは、中1入学時には意気揚々と駒場、青山などと口にするものです。が、流れというか、周りの雰囲気で部活に入る、それからいつしか部活中心の生活に勉強は二の次となる、それでも中2、いや結局中3になったら高校受験を頑張ろうと思いつつも現実は部活に流されて勉強もままならない生活を余儀なくされてしまうのです。当初の夢はとっくに消えて都立さえも受けられない、単願推薦で低偏差値私立、中退率の異常に高い私立にいくことになる。これが大半のバカ中学生がとることになる底辺ロードまっしぐらの人生への道です。

 自分で好きなことをやりながら、都立青山に行く、そういう向上心の高い、しかも、頭も悪くない人たちがいることは承知しています。テニスや野球、サッカーなどにほとんどの時間を使いながら、学年1番、2番という人たちもいます。勉強すればいいのですから、それならばかまわない。そういうスポーツや吹奏などを一生懸命にやっているから、逆に勉強にも集中するという反作用的な効果もあるかもしれない。しかし、普通には、頭のいい生徒が、勉強に専念する、それが普通の姿なのはもちろんです。

 さて、ここでは普通の話しです。日比谷、西、戸山をめざすという人たちが、現実に合格するためには、どういう中学生活、つまり勉強をしてこなければならないか、です。東京都の都立受験者は十万人以上です。その中でトップは日比谷です。ほぼ並んで西です。さらに国立です。この3校がトップ都立です。第4位が戸山です。戸山だけです。次のランク、グループ層は、八王子東、立川、青山まででしょう。さらに、下のグループに、新宿、国際、駒場、小山台など十数校が濫立しています。都立にいく価値があるのはここまででしょ。

 竹の会は最低でも都立戸山を謳っています。日比谷、西、戸山の定員を合わせても、320×3で960人です。男女別だと480人、つまり480番内になければならない。世の中には元々の天才という人たちがいるものです。ただこういう人たちはいても少数です。平成20年に都立西に合格したときもそうでしたが、竹の会の、わたしの指導を受けた子たちというのは、上位の成績で合格することが多いのです。たしは天才とは最初から勝負にならないと思っていますから、敵は普通の「できる人たち」です。こういう人たちの中で群を抜けばいいのです。都立戸山に合格するにはどうすればいいか、わたしにはよくわかっています。都立西もそうです。ただ日比谷についてはこれまで志望者がいなかった。小石川並の激戦難関なのであろうと思う。天下の秀才が集結する場になるはずである。こういうところで勝ち抜くには早くからそれなりの対策、戦略を練って、準備してこなければならない。当然です。竹の会では、今中1の日比谷・西組には、中1が終わるまでに中2の履修事項を終わらせてしまえと言っています。できれば中2の春から高校受験指導に入りたい。竹の会では、受験レベルに達するために、とにかくレジュメ体系がすでに完成しており、いくらでも先へ進めるのです。中2の夏にはWやVもぎでぶち抜きの成績をとってほしい、そう思っています。

 竹の会には勉強しない中学生はいりません。勉強しない、しなくなったらどこでもよその塾に行けばいい。、そう思っています。中学生というのは、思春期ということもあって悩むこともある、それは別に悪いことではない、しかし、それと竹の会にそれでもいるということは別で、原因がなんであれ勉強しないのならひとまず竹の会は退塾するのが先です。

 時として、迷い、逡巡を感じる、わたしはそういうことに特に敏感です。勉強というこの一点に関しては微細な変化、兆候も見逃さない。そのわたしのアンテナにひっかかりずっと気になっている、そういうことがあります。最初の約束通り退塾をと思うこともあります。去年の小6には机にほとんどついていないという子らもいて、強制的に試験を実施することで席につかせる、それでも試験が終わればまた用もないのに指導室に長々といる、そういう子らがいまして、わたしには耐えられないストレスとなっていました。

 都立日比谷、西そして戸山への道というのは、道を誤ればもはや無理、そういう道だと思います。とにかく早く、早く、です。普通の秀才、ただ頭がいい、そういう人にはそれしかないのです。わたしは27年、28年と戸山に合格させています。その指導の過程は今考えるとそれでも生ぬるかったと思っています。特に、定期試験で中断するたびに合格から遠のく思いでした。そういうことを想定すればどうしても早く、早くです。学校の進度を信じているバカ親がいつの世にもいるものですが、学校というのは受験に関してはど素人です。今の学校の授業だけで日比谷・西に受かることは不可能です。そもそも教科書だけやって受かるはずもない。塾に行かないで学年1番という生徒の話をよく聞きますが、そのほとんどが高校受験は失敗しています。高校受験は戦略的に取り組まなければ必ず失敗します。手順よく進めることが大切です。ところが、塾に行かないでそのような戦略的な対策はまず無理です。高校受験でも河合塾とか早稲アカとかは私立難関向きです。都立には向いていません。中学受験はサピなどの進学塾ということになりますが、高校受験、特に、都立高校については、そのような進学塾だけの独壇場ではない。エナなどの都立専門塾で戸山をめざして落ちた例ならいくらでもあると思います。事実27年戸山合格者の中学ではそうした早稲アカやエナ組が軒並み都立に落ちています。26年都立駒場合格者の学校でも大手塾組がほぼ全員落ちました。大手というのは、部活などやりながら通ってきても別にかまわない、商売ですから、それで失敗するとしても断ったりはしないでしょ。竹の会は1人いる受験生をどうやって合格させるか、そういうことに腐心している。だから合格という目的を阻害する個人の事情にも黙ってはいない。

 竹の会ほどの小塾がただ一人しかいない、受験生を必ず合格させてきた、その事実が奇異に思えませんか。平成19年に区立九段中に合格した年は、小学生が3人いました。1人は九段に合格、2人は東大附属に合格しています。3人いて3人とも合格しているのです。そんなことがあるのか、と思いませんか。22年に両国中、桜修館に合格した年は4名の受検生だけでした。23年の小石川、桜修館合格の年は3名の受検生しかいませんでした。26年の都立駒場合格のときも高校受験生は1人のみです。27年戸山合格の年も1人のみです。28年は戸山と文京合格でしたが、もちろん2人だけ、ほかには受験生はいません。竹の会という塾はそういう困難状況の中で確実に合格者を出してきたのだということが理解できるでしょうか。

 わたしは特に高校受験生については、指導を引き受けた以上、必ず志望校に合格させる、失敗は許されない、必ず成功させるという信念で指導を進めております。

 都立中も同じことですが、こちらは中学ほど意に沿わぬ、つまり勉強に熱意のない場合の退塾ということを厳守できていません。それにわたしが理想とする小4の時期に入会試験でA合格という、合格の前提を満たす子がなかなかいない。現小4でもA合格がとれていなければ指導は遅れるかもしれない。小5でも小6に近くなるほど想定どおりには進められない可能性が強い。都立中受検が高校受験のように全員合格とらないのは、入会試験で成績をとれていない子たちもいること、入会時期が遅すぎること、進路指導、つまり小石川は無理でも両国なら、という指導がとれないこと、そういう事情があるからである。落ちれば公立中に行くという暗黙の了解があるので落ちるとわかっていても受検するのが現状だからです。

 竹の会というのは、合格を現実にするということを宿命づけられた塾です。だから合格を現実にするために、合格を阻害する行動には厳しい、それだけのことです。去年の小6のように、習い事、稽古事、試合、○○会なと様々な理由で早退、遅刻、欠席をするのは、わたしには逃避、回避にしか見えないのです。いやもっと受検というものを舐めている、それでも合格すると思うとしたら、あまりにも甘く見ている。

 小学生にしても中学生にしてもわたしの思い通りに動かないから落ちるのです。

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