画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立受験と言うなら青山・新宿・駒場・小山台以上/小石川・桜修館・九段人気/判断の根拠を疑え

2016.10.05

 おはようございます。台風18号が接近しております。関東への影響が出始めるのは本日夜半を過ぎてからと思われます。本日は、渋谷Aの指導日ですが、予定通りの実施です。

 なお、11月6日(日)実施の漢検の申込は6日までですが、事実上本日で締め切りです。受検希望者は受検級の申告と費用の提出のみで手続きは完了します。費用については漢検サイトを見てください。まだ間に合いますので希望者はお申し出ください。

 なお日曜日に提出された課題レジュメにつきましては、次の日曜日に添削・新課題ととも返却の予定です。

 現在、小5につきましては、「第1類」(竹の会制作適性過去問シリーズ)を試験的に使っていますが、できがよくない、それで本日の実施を最後にします。ただし、本日「合格はんこ」をとれた者についてはそのまま続けます。「単位あたり量を鍛える」と「適性のための計算問題」についてもできがよくないのですが、これは「鍛える」意味で続ける予定です。

 「早い子」は「受かる」ということはあります。いつまでたっても出せないという子は少なくとも失敗する蓋然性が高い。本年都立戸山高校に合格した生徒は実は桜修館を失敗しています。25年受検組です。あのとき同じレジュメを課して、小石川合格者や白鷗合格者は「もうできたの」というくらい「早かった」わけですが、件の戸山合格者はとにかく遅い、しかも1問15分目安のところ2、3時間かかって、結局不正解なわけです。これは小6の2学期の話しですが、合否の芽というのは実は見えていたわけです。

 ただ「早い」ということが絶対ではない。志望校にもよりますが、本年の富士、白鷗合格の子たちはほとんど「合格はんこ」は取れていないし、課題の提出率もかなり悪かった。「遅い」だけではなくて、自ら解けたという経験は限りなくない。これでも受かるわけです。ただ桜修館や小石川クラスではこのようなことはないと確信に近い認識をもっています。

 一般的な感覚として「早い」子は受かる、ということは言えます。27年富士合格の女子はやはり小5の終わりに竹の会に来たのですが、この子は「早かった」。当初小石川志望でしたが、わたしが無理と判断し志望校を変えさせました。志望校を変更させて受かった例はほかにもあって、25年桜修館合格者もそうでした。小石川から桜修館へと変更を勧めましたが、これを不満として直前に退塾しましたが結局桜修館を受検して合格しております。桜修館は無理という判断、富士なら合格できるという判断、これを信用しないでか、強行受検して玉砕したという人もいましたが、高校受験になるとわたしの判断は神の判断となることは知っておいたほうがいい。わたしが無理というときは奇跡はない。わたしは当日何点とるか、ほとんど誤差のない点を予測してきた。わたしが落ちるというときは落ちる。

 親はバカ息子、バカ娘に何を期待しているのか、バカはバカのままである。子どもには、「言われたことができない」子、「言われたことしかできない」子、「言われたこと以上のことができる」子の三通りある。「言われたことができない」子には何を期待しても無理である。自分の子がそういう子だとわかったらもう子どもに無理を強いても無駄です。お気の毒ですが子どもに勉強で成功することは期待するのはあきらめたほうがいい。問題は、「言われたことしかできない」子です。学校の優等生にはこのタイプが多い。「よくできる」も80%前後はある子も多い。特に、努力家で言われたことをこつこつとやるタイプの女子というのがいますが、親も期待が大きい、しかし、この優等生にそういうタイプの子が多いわけです。頑張るのですけれどなかなか伸びない、伸びていかない。これは「教えられたことしかできない」というところにすでに限界が見えていたわけです。伸びる子、伸びていく子というのは、「教えられたことからさらに教えられていないことまでわかる」子なんです。わたしが逸材というときは実はこういう子を考えているわけです。

 だから学校の優等生にも2通りある、ということです。わたしが指導していてわたしのレジュメに対する反応を見る、基本的な定義ですね、そういうことだけしか教えていない、そういう状況で「えっ、解けたの」、「君はこれを解いたのか」と驚かされることがる、そういう子が光る子です。逸材なんです。ただ長年やっているとどうも信用できないケースも出てくるわけです。「先生、家で考えてきていいでか」というのがある。すでに塾で相当の時間を使っている、だから「早い」子ではない。そういう子が次の指導日に「正解」を書いてくる。正解書いてくるけど、たいてい式がない。こういうケースはたいてい信用できない。

 あと家庭で親が「教える」というのがありますね。算数なんですけど、なんか使って実質方程式で教えているのがほとんどで失格です。これでは算数による思考訓練にはならない。数学と算数は根本的に違います。算数は文字言語は使ってはならない。も文字です。そういう言語世界なしの世界で、思考の妙を訓練するのが算数の目的なんです。算数的思考を訓練しているのに、なんで数学的に解決してしまうんですか。親はたいていわからないものをとおいて式を立てる。そして逆算的思考でまた別の式を導く。だから素人なんです。これでは算数の面白さは子どもには永久に伝わらない。算数のいいところは足りない情報でも工夫すれば明確な正解が出せるということです。この情報が足りない、というのがいいですね。算数で数学なんか使っていたら時間がかかってしかたないでしょ。

 わからないとき永遠に考えさせるのはいいことか、という議論もありうる。あの精神科医で灘から東大理Ⅲに現役で合格した和田秀樹は、数学は暗記だ、と言ってはばからない。和田にかかれば、わからないときはすぐ答を見て暗記しろ、ということになる。ただ和田のような灘出身、つまり知能が高いということが証明されている人間が、数学は暗記だ、と言って、世の凡人受験生たちに、暗記を薦めても俄には。はい、そうですか、というわけにはいかない。ただ「教えられたことだけができる」という子には、この和田方式しかないのかもしれない。そのかわりそういう子が将来創造的に伸びていくなどという期待はできない。

 それにしても思考というのはやはり訓練しなければならないことは真理である。子どもたちの思考レベルをどのようにして引き上げていくか、あるいは深めていくか、というのはひとつの大きな問題である。竹の会はまさにその問題について取り組んできた、研究と実践を重ねて、ベストの方法を探求してきたわけです。それでも日々が工夫であり、特に、思考の壁を自ら作り上げていく、閉鎖的傾向の強い子にはまたどのようにその壁を突き崩していくのかという新たなる難題に直面していくことになります。つまり、指導の方法に終わりはない。いつも新たなる子どもの躊躇に驚き、戸惑い、その解決法を探るということをやっているわけです。

 子どもにも親にもタフさというのが求められています。とにかくいちいちくじけていたらもうすぐに潰れてしまいます。わたしは竹の会にせっかく巡り会えた子たちですから、とにかく最善は尽くしますよ。なんとか子どもの思考力を鍛えていって、わたしの予期せぬ成果が突然に表れる、そういう子どもの可能性に期待してしまうということはよくあります。潰れたら終わりですからね。こどもというのは、特に、優等生タイプというのは、自己破壊的な方向に突き進む傾向があります。親がまた過敏に反応するともう自滅するしかないということになる。

 親の判断というのもあります。世の中の親の多くが迷わず大手塾を選択するというあの無思考です。そもそも判断の根拠は何であったのか。「みんな」が根拠というのがたいていの相場です。「みんな」がやっているから、と行動するのが世の親、いや現代人、その中のB層の特徴です。国がやることだから、大手建設会社が作ったのだから、という「大きい」ことがとにかく安心させる、というのが前提にあることは間違いありません。大手不動産が欠陥構造のマンションを販売したことが問題になったことが最近ありましたが、大手が「まさか」のパターンです。三菱自動車なんて大手のくせに性能の悪い車を売り続けてきたわけです。わたしももう20年以上も前に三菱製の車が突然動かなくなったことがあって、その時からあの会社は疑っていた。なにしろ整備の人間も三菱は絶対正しい前提でものを言うわけですから、何が大手なのか、大手というのは、自分たちの非も正しいことにしてしまう、力でそうしてしまう、それが大手だとしたら、「大きい」ことは中身が空洞の可能性もかなりに想定してかからねばならないはずでしょ。

 「大きい」というそれだけで信用できる、信用する、安心できる、というのは妄想です。大手を信用して自分の子どもを取り返しのつかないバカにしてしまってからではもう手遅れでしょ。いや最近小5の親から問い合わせが多いと書きましたが、正直、もう10月ですよね、小5としてはすでにかなりの、つまり4月から10月として、すでに7か月が経過しているわけです。竹の会にきた子たちは一様に「もっと早くきたかった」と言いますが、それは竹の会の指導を経験してみて初めて実感する、わかることなのです。1か月の遅れが実は取り返しのつかないほどの差になっている、そういうことに気がつくわけです。子どもながらにそのことが手に取るようにわかるわけです。問い合わせてきた親たちが、現在大手に行っているのか、それとも何もしていないのか、不明ですけれど、この時期に竹の会に問い合わせるというのはいかにも遅い、そのことを知っているのは中にいる子たちだけかもしれない。

 わたしは竹の会に入会する理想的な時期は、小4の8月を目安にするといいと思っています。小5では遅いのです。まして小6ではまず受検は無理として、高校受験にしてもあまり推奨はしない。小5の一年間を竹の会で訓練してきた子たちというのが、たとえば、小石川落ちても中学では成績がトップクラスということにつながっているように思うからです。小学時代を大手かなんか知らないけれど安閑と過ごした子というのは、正直使いものにならない。計算は未熟、割合の理解はなし、これが相場です。高校受験でも苦労するのは、その子の知能にもよりますが、やはり小学時代の訓練の有無が大きい、訓練してこなかった子というのは陸な都立にも行けない。過保護な家庭だと、子どもは怠惰癖が強くて、こつこつ勉強するということができないので、まず都立に行くことはない、たいていは中以下の私立でお茶を濁す。過保護、過干渉という教育放棄、躾なしのバカ親はこの世の中に腐るほどいる。

 

 

 

 

ページトップへ