画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立戸山への確かな道筋のこと~都立西に到る道、早実高校への道/勉強の極意~捨てる・絞る・繰り返す・実行する

2016.04.01

 おはようございます。桜が満開ということです。今年は集合した桜の壮観な光景というものをまだ見ておりません。目黒川は近いのですが、中目黒あたりは人、人、人で飲み食いの店に人が群がるようすは桜とは無縁の光景です。張り巡らされた提灯と鉄線がなんとも不快です。

 高校入試を終えてわたしには真の安らぎが訪れる。幸いなことに高校入試で失敗したことはこの近年は「ない」。が、どの一つとして余裕をもって臨んだ試験はない。しかし、受験まであんなに気をもんだのに、その多くが上位合格をしていた、というおまけつきであるのも竹の会ではよくあることである。

 今年の戸山も受験まで「読み切れない」で何度も何度も実力の値踏みをしたことを覚えている。英語の得点率を「測る」、日比谷の英語だと「とれない」ということが暗くのしかかる、夏休みまでに英文解釈だけはとことんやらせておかなければと、いや確かにわたしは教材を与えて指示を出していた、なのにほとんどやらなかった、いろいろと思いはあったけれど、とにかく戸山の英語を「とれる」ようにしなければと知恵をはたらかせた。数学が伸びきらなかったことも負の要因だった。結局わたしの執筆した「独自問題撰第2集」をやりきることができなかった。7回解き直しなんてとてもできなかった。去年の合格者は、数学70点弱をとることができた。危惧したとおり今年は数学がとれなかった。とにかくわたしの危惧は的中することになっている。だからわたしは恐いのである。わたしが不安を抱けば本番では必ずその不安が現実となる。今年の小石川受検者たちにいだいた漠然とした不安はやはり現実となってしまった。自分の思い込みに支配されたらそのときは落ちる。わたしの指示を最後まで注意深く見つめてきた者のみが生き残った。舐めていたと思う。一言で言えば、試験を懼れる謙虚な態度、そういうものが「ない」から落ちる、それはわたしに対する、飽くまでも尊敬するという態度を欠く、根本からくる懸念であった。だからわたしは「不安」を抱いていた。わたしの不安は的中するから恐い。

 戸山への道はすでに見切っている。そして西への道も平成20年に確かに見極めた。西のときは、独自問題に特に拘泥することなく早慶海城開成などの難関の問題をレジュメ指導した。その結果、豊島岡女子をとった。早稲田実業を見切ったのは、平成10年のことだった。鈴木君は代ゼミの全国模試で上位に名前をのせた。合格可能性70%をたたきだした。あの当時は、竹の会の中3たちが、代ゼミの全国模試に団体参加制度を利用して全員参加したものだった。ゆかりちゃんが日大二高に合格した年でもあった。当時は、過去問合格法の隆盛期であった。解き尽くした過去問は、綴じられて分厚い電話帳のようになった。それが何冊にもなった。首都圏の難関校の過去問をそれぞれ10年分以上解き尽くした。コピーして渡した過去問を解かせる。分からないときはわたしが書いたわら半紙解答を読んで理解した。読めばすぐに理解した。思考を鍛えてきた竹の会の子たちはわたしの解答をすぐに理解した。鈴木君は、立教、早実商業、普通、慶應一次と快進撃を続けた。都立青山は滑り止めだった。当時は生徒会長をやれば内申点に加点された。今でも役員をやれば内申が高くなると信じている親がいるけれど、今はそんな制度はない。あの当時は制度としてプラス何点と決められていたのだ。

 現在、竹の会英語の切り札とされている「入試英語指導案」の元は、新宿高校に行った生徒が早稲田のスポーツ推薦試験を受けるというので急遽執筆したことが始まりだった。わたしは早実の過去問をいちいち箇条書きにして文法事項をまとめていった。それは後に竹の会の幻の名著と言われた「英語ポイント集」としてテキスト化された。鈴木君はこの「英語ポイント集」で早稲田の英語で70%以上をとれるまでになった。その後わたしは慶應女子を受ける生徒のために「英語合格本」を執筆した。「入試英語指導案」は、この2冊を合体し、整理し、新しく書き直したものである。

 27年戸山合格者はこのテキストで国学院久我山の英語で90点以上をとり合格している。28年合格者はこのテキストをまともにやらなかった。それで久我山を落ちた。そういうことも、つまりわたしの指示を100%実行してくれなかったということも、今年の戸山受験でわたしが不安を抱き続けた理由であった。わたしの指示を実行しなければ落ちる。今年小石川に失敗した子たちはそれぞれに「独りよがり」の道を知らずに歩いていたのではないか。最後までわたしの言うことに耳を傾けて真摯に取り組んだか。合格した子の態度と比べてみればいい。合格した子にどこまでもわたしを信頼するという態度が私に対する敬意となって行動のどこかしこに見え隠れしていた。合格する子というのは、どこまでも謙虚であった。それは見通せない、深遠な学問に対する懼れを知るからである。懼れを知るほどに賢い。

 勉強の極意ということで書いてみようかと思った。杉山太一君が、予備校にも行かないで、部活にも熱心で、京大に合格したという、その杉山太一君が、竹の会で桜修館受検のときに学んだ、集中して思考すること、自分で考えること、そして何度も繰り返すこと、が京大合格をもたらした、と言ったことが耳から離れない。

 彼の場合は部活が、吹奏楽部ということで体育系ではないのがまたちがう要因なのかもしれないが、無駄な知識を排除する役割を果たしていたのではないか、そんな気がした。普通の、つまり部活で勉強を犠牲にするバカとは確実に違う。部活をやったことがよかったという親が、勉強をしなかったことがよかった、勉強よりも大切なものを得た、と言っているようにしか聞こえないけれど、杉山君は、部活をとことんやる以上に勉強をその何十倍もの集中力でやったに違いない。

 勉強しないでやりかたばかり言っているバカは、勉強というものがわかっていない。勉強というのは、そんなことを考える一瞬の時もない、実行の連鎖である。勉強とは、実行である。勉強しない人間が、いろいろ言い訳ばかりを言い募る。「うちの子は勉強のしかたがわからないからできない」などと言う、バカ親によく出くわしたけど、わかっていない。自分の子のバカさかげんを見てバカにつけるクスリを探すほうがまだわかる。何もしない、そんな人間に勉強の極意などわかるはずもない。あのいくらでも時間のあった夏休みの一日一日を4時間弱の勉強で済ましたのなら、それは勉強が実行なのだということを悟らない証しである。

ページトップへ