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都立日比谷への道/都立小石川への道/「後知恵」社会のこと/中2病/情報過多と過信

2016.04.13

 おはようございます。今日は全体に曇り基調ながら夜は激しい雨が降るとの予想です。気温は温かいようです。

 本日は、渋谷Aの指導日です。竹の会では、最低でも小4の2月指導開始を理想としております。募集数は各学年3人を基準としております。去年は小4の2月に入会者がほとんどなかったのですが、小5の一年間をまるまる基本を鍛えるのに使えるというのが確実に合格を出す、ひとつの前提要件と考えております。だれもいない、そういう年もあるということです。小6からの指導では「遅い」感は否めません。

 幸いなことに、本年は所定の数の新小5が集まりました。そこで、現在の募集対象は、新小4に絞られています。小学では、ほかに将来、日比谷・西・戸山をめざす新小6も視野に入れております。

 関心のある新小4のみなさんは、竹の会へお問い合わせくださればと思います。逸材との出会いを楽しみにしております。

 竹の会では、本年は、日比谷・西をめざす新中1が、規定数だけ集まりまして、早い子で2月から指導を実施しています。数学で言えば、今もっとも進んでいる子は、「正負の数」→「文字式」→「一次方程式」→「関数」→「平面図形」に突入しております。英語については、現在、「3人称単数現在のS」を絡めた執拗なレジュメ訓練を実施中です。中2の夏休み前までに、中2数学の全履修内容を完全にマスターさせて、中2の夏休みからは、中3数学を一気に終わらせることになります。英語についても、中2の夏突入前までに「関係代名詞」を中心とした中3で学ぶ重要文法事項を終わらせ、中2の夏には、英文解釈にどうしても入らねばなりません。中2が終わるまでには、入試事項を一通り終わらせておく必要があるからです。

 中学に入ると、最初は緊張していたけれど次第に慣れてくる、それで中1末期から中2前半にかけて特有の気の緩む時期というものがやってくるわけです。本来の中2病というのは、主として思春期特有のなにもかも嫌になって何もしない、しなくなるような状況をさしてのことだと思いますが、いずれにしろ勉強しなくなる、そういうことです。勉強とは、実行力と等値ですから、中2病というのは、要するに、実行しない人をさしてのことです。勉強しない人間なら昔から腐るほどいましたから、特に、これを病にしてしまうこともないのですけれど、要は、そういう症状を呈したら、もはや終わりということです。

 勉強しなければ脱落する、これは、高校ではよくあることで、こうして脱落していく生徒が山ほどいるわけです。早くも中2にして脱落か、そう、ただ早いだけです。人生は、実行しない人が脱落するしくみです。

 竹の会の新中1,いや中学生のみなさんが、実行することにこだわり、それぞれが見事に初志を貫徹されることを願って止みません。

 わたしは、専門家というのが、一番信用ならない、と思っている人間の一人です。テレビに出てくる医師、弁護士、○○評論家などのコメンテーターというのは、ただのバカですから、相手にする気にもなれませんが、原発事故のときに、さかんに顔を出していた東大大学院教授、東大病院の医師などなんともデタラメな手合いでした。

 わたしがなぜ信用ならないと思っているのかと言えば、そういう専門家然とした奴らが言っていることがすべて「後知恵」の意見だからです。原発事故のときそういう連中は一言も水素爆発の可能性を指摘もできなかったのに、そしてほぼ同時中継で爆発のようすを見ていても例の東大大学院教授は、それがなんであるのかわからなかった。別のチャンネルで小出助教が「水素爆発ですね」と言っていたのはさすがでしたが、事前に指摘はできなかった。

 人間というのは、過去の出来事について、原因の説明を「創作する」のが、得意だと言われます。原因なんていくらでも後から説明できます。なにしろ世の中には原因になりうることばかりが溢れているのですから。福島の子たちの甲状腺ガンが多いかどうかに関して、因果関係を認めないのも、原因創作です。こういう「後知恵」で糊塗する連中が世の中には腐るほどいます。

 まず医師からしてヤバいでしょ。彼らは「過信生物」です。そしてもちろん「後知恵」しか持ち合わせていない連中ばかりです。医師、いや弁護士も同じですが、根拠のない過信ばかりが発達した連中です。とにかく自分の判断に根拠のない自信をもっている連中です。ですから誤診率は95%と見ておいてちょうどいい。つまり、医師、特に内科医のする診断など信用ならないということです。「後知恵」の診断ですから、ありもしない専門知識ででっち上げるわけです。医師が過剰な自信のせいで本来やるべきでない手術に踏み切り、患者を死なせた例など枚挙に暇がないでしょ。患者はたいてい泣き寝入りです。「全力を尽くした」などと言われれば反論もできない。群馬大では、例のリピーター医師の所属する医局とは別の医局でも40人手術で死なせているとの報道がありましたが、酷い話しです。なにが大学病院だ、ふざけるのもいい加減にしろ。

 だいたい専門家というのが、実は、「ありもしない専門知識」をあたかもあるかのような体で、人を騙すわけです。わたしは、塾の先生やってますけど、受験の情報なんかは、各種の説明会に熱心に出かけるお母様方のほうがよほど詳しいと思っています。わたしは、逆にお母様たちから説明会の資料などを届けられたりもします。なにしろわたしは塾対象の学校説明会にはほとんど顔を出さないですから。

 ただわたしにも言い分はある。「豊富な情報は危険」だからです。人間というのは、情報が増えれば増えるほど、過信に陥るという実験報告がありますが、それよりも、わたしは情報にあれこれと振り回されるのがいやなんです。ほんとうに必要な情報がわかればいい、それだけです。VもぎとW合格もぎの合格基準点に開きがありすぎるということが、受験生や親たちを悩ませていることは周知のことと思いますが、こういうときに、分析してみせるのが、わたしの仕事です。これは、やはり情報収集が得意なお母様方でもお手上げのようです。

 「豊富な情報」は、過信を結果する。これは、勉強の指針としても有効です。参考書やら進研ゼミやらなにやらと情報を増やせば増やすほど「過信」というモンスターが心を占拠することになる。それは根拠のない過信です。過信は失敗の根拠です。

 つまり、根拠のない過信が、失敗の根拠になるということです。情報は少ない方がいい。竹の会のレジュメ指導では、レジュメだけやっていればいい。ほかに参考書なんかやるとろくなことはない。かつて、そう、栄光に中1から中3の夏前までいたという生徒が竹の会に駆け込んできたことがあった。それで指導を始めたのだけれど、わたしが「やれ」と言ったレジュメはしまい込んで、父親が買ったという問題集などばかりをやる、それで模試の成績が悪い、そういうことがあって、わたしがそのことを指摘したら、とにかくレジュメをやるようになった、そしたらいきなり数学90点を越えたわけです。もともと知能の高かった生徒なんですが、数学も英語もメチャクチャになっていました。理科も社会もまともな点がとれなかった。英語だって結局だめだった。それがわたしの制止を聞かないで、自分の実力のはるか上をいく都立を受けて落ちた。結果行ったのが最低の偏差値の私立だった。この例はわたしの指示通りにやらなかったらどうなるかの例のつもりであったが、大手に行った結果どうなったか、という例になってしまった。

 あれこれ自分で考えて、あるいは、よくあることだが、父親や母親が買い与えた参考書なり問題集なりをやる、これなどは情報を増やすことの危険性を暗示しているということだ。

 情報は少ない方がいい。進学大手などでは、例えば、河合塾の中2用のテキストを見たことがあるが、びっしりと難問がうまっている。確かに、そういう問題を自力で解いていけばすごいことになると思う。そういう天才がたまにいる。ただたいていの生徒はそうはいかない。かなり知能が高い子たちでも解けないほどの難問で埋まっている。わたしはかつて河合塾に通っていた優秀な生徒を個人指導していたことがある。その生徒が頭を抱えて持ち込んできた河合塾の数学テキストは細かい活字がびっしりと難関高校の問題で埋められていた。中2からもうこんな問題を解かされているのか、進学塾というのはすごいな、思ったことがあった。

 ただわたしの考えでは、中2の夏までにやるのは、中2の履修事項すべてでいい、その時期に難度の高い過去問をやるのは、逆効果だ。わたしならまず中2までに入試の標準レベルの問題を終わらせて、中3の数学や英語の素養が熟したところで一気呵成に難問をぶっつける。進学塾では落ちこぼれる生徒も多数いるわけで、かなり知能の高い子をそこまで追い込むのはやはりおかしい。

 竹の会では、情報量は調整している。課題も出さなければ、つまり実行しなければ永久に課さない。出さないのはそれだけの能力だということである。能力は、実行力に比例する。実行しない者から脱落していく。これが真理である。

 竹の会のレジュメ指導に実行で応える、それを切に期待しています。

 

 

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