画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立日比谷への道/都立小石川・桜修館への道/○○症候群/選択と集中

2016.04.08

 おはようございます。昨日は入学式のところが多かったようです。本年、九段に合格した生徒のお母様から、そして都立文京高校に合格した生徒のお母様から、制服姿の写真を送っていただきました。制服姿が眩しいくらいに輝いて見えました。晴れて憧れの学校に入学されて、ほんとうによかったと思います。ご入学おめでとうございます。

 九段中等に進学した生徒のお母様からは、メールのたびに、「外に出てみて、竹の会のスゴさがわかりました」と、いつも最大の賛辞をいただき、ありがたいことです。

 今日は、金曜日、渋谷Bの第1回指導日です。渋谷Bは、Aの予備的、過渡的なコースとして用意したものです。一度、Aの指導を経験してみればわかると思うのですが、指導時間が圧倒的に少ない。余程の勉強力のある生徒でなければこのコースで伸びていくのは無理と思います。毎日の家庭学習時間が5時間は当然の前提としても、指導時間の不足は否めません。また、長時間指導により、集中力、勉強のスタンスを養うという目的にはそぐわないと思います。そこで竹の会では、このコース(B)は、主として、Aに移行する前提コースとして位置づけています、その意味で予備的、過渡的なコースです。費用は、Bのほうが、正規費用で、Aは割安になっています。

 渋谷Bの利用法としては、主として、小学生の基礎学力養成、高校入試目的の小学生の中学までの過渡的コースなどに適しているのか、と思います。中学生では、余程勉強へのモチベーションがなければこのコースでは成果は出ないと思います。もっとも、これはAでも同じで、Bに限ったことではなく、向上心のない生徒には、意味のないことでした。

 さて、竹の会のみなさん、特に、新中1,新小6のみなさんは、わたしが希望する、1日5時間の勉強をすでに実践していますでしょうか。中1の中には、英語で混乱し始めた子も出ていますが、1日5時間を実践すれば、そんな悩みはすぐ消えてしまうはずです。じっくり時間をかけて理解し、練習すれば、頭の中で整理されてくるはずです。もし、1日でも、勉強しない時間が、あるとすれば、それはすでにして日比谷、西、戸山に合格できなくてもしかたないということです。「わたしはそんなところに行かなくてもいい」というのであれば、だから「毎日5時間なんてやってられない」というのであれば、それはそれでわたしには一向にかまわないことで、竹の会とは縁がなかった、というだけのことです。

 世の中には、○○症候群というのが、やたらありますね。症候群というのは、シンドロームというのが英訳ですか。病名にこの類いがやたら多いのですが、それには理由があり、原因が特定できない、似た症状を、まとめて○○症候群と呼ぶのだそうです。○○という症状の群というわです。特に、精神的な、原因不明の病気に多用されているように思います。

 患者というのは、原因不明というのに絶望する。医師も原因がわからないとクスリが出しづらい。患者は、病名があると安心(?)するところがある。そういうところから、このなんとも漠然とした、○○症候群ということばが重宝されているのかと思います。

 なんでも「参考書症候群」というのが、あるらしいのです。これは実はわたしにはよくわかります。次から次に参考書を買って、「やった気になる」というものです。買ったところで終わりです。法科大学院ができる前の司法試験では、とにかくこの症候群に罹る受験生が相当数いたと思います。いいと言われる参考書をやり始めて、2か月もすると、すぐにさらに「いい」本が出る。それでそれまでせっかくやったのに、すぐにそちらに乗り移る、しかし、この世界は、とにかく2か月置きに、「いい」本が出ることになっている。それを延々と追い続けていたらいつまで経っても何もものにできないことになる。これについては、デカルトが「方法序説」で最初の選択を、それがいかにまずかったとしても、続けるべきだ、と述べている。そのほうが、結局速く目的地点に到達できる、と言っている。

 この症候群の中に透けて見えるのは、他より劣る方法で実行したらうまくいかない、他の優れた方法ならもっと楽に成功する、という見込み、そういうものが突き動かすのかと思いますが、なによりもなかなか「実行しない」という実体です。

 本質的に、実行しないという性格こそ問題なのです。よく子どもが、新しい机を買ってくれたら勉強するのにとか、自分の部屋があれば勉強するのにとか、遂には、勉強とは関係なかろう、iPhoneがあればとか、欲しいものを天秤にかけ始めるわけです。こういう子どもは、結局本質的に勉強嫌いなだけです。「何」が満たされればすぐ次の「何」が出てきて、永遠に勉強なんかするはずもないのです。これは、「勉強しない症候群」という病気にしてもかまいません。ただ原因はわかっていますから、症候群というのは実はおかしい。原因? アホだからです。

 思春期にいろいろ悩んで勉強しなくなる、というのもあります。勉強が「わからない」からしなくなるというのもあると思います。勉強するというか、実行する前に悩むわけです。だから実行はしないままです。あとあと歳をそれなりにとって「わかる」わけです。二度とかえらない、貴重な時間、時期を無為に過ごしたことの重大性が。

 実行することです。いろいろ考える前にまず実行することです。毎日5時間、365日継続してみることです。そこからきっと答えが見えてきます。何もしないでただやる前にいろいろと先読みして結果を勝手に予測して、やってもムダだとと決めつける、それで何もやらない、というのが、いちばんよくない。

 いつでもいろいろ選択肢がある、というのは実は悲劇です。わたしは、大学入試はもう随分昔に経験したのですけれど、最近は私の頃と比較にならないほど名著と言われる参考書が氾濫しています。受験生は数ある名著を学力段階に応じて選びながら、いろいろやる、そういう指南書が溢れていますね。駄本ではなく名著が溢れているというのが味噌です。選択肢は豊富で選択に迷うというのが現代です。そして多くの凡人たちがいったんした選択を平気で覆すのです。つまり、選択そのものに重みがない。いくらでも後で選択をやり直すわけですから、逆に、気軽に選択してしまうことにもなります。

 1つに集中できないというのは、一つには、専門分化し過ぎていることがある、それに対応するように得意な分野に特化した名著が出てくる、それで昔のように中々1冊ですますということもできない。

 予備校も今では高校をリードし、大学ならこと国家試験では大学に行くよりも予備校に行った方が早く合格する時代です。

 つまり選択で迷う、それで実行しないということは、選択の迷いが成功を意図するからであるのなら、選択というつまらないことのために成功の機会を逸していることになる。名著で溢れているのなら、選択で迷う理由はない。選択よりも実行です。そうです。ここでも「実行」こそが、そしてその「継続」こそがもっとも大切なことだということです。

 現代は選択の時代かもしれません。いや人生は選択そのものです。もっともこの世に生を受けたのは自分の選択ではありませんけどね。生まれて小学あたりまでは、自分の選択というより親の選択かもしれない。親はもちろん子ども意向も無視できないけれど子はたいてい親に洗脳されているから親主導であることは間違いない。これがいつ子の主導になるかはさてどうでしょう。過干渉、過保護で自立できない子どものままの大人が溢れていますからね。

 ただ選択ばかりに慎重になり、実行そのものが「ない」というのは、不幸な結果しかもたらさない。選択しても実行しないですぐ選択をやり直す、いつまでたっても実行しない人間が子どもの時から運命づけられるというのが、悲劇的なところです。親の浅はかな選択がもたらす、子どもの運命は、あまりにも気の毒としかいいようがない。あっ、大手塾の選択も世の母親、父親のみなさんの安易な選択のひとつですよね。

 都立日比谷、西、戸山をめざす中学生のみなさん、そして都立小石川、桜修館などをめざす小学生のみなさん、あなたたちに必要なのは、選択ではなくて、実行です。

 そして世の親たち、特に、母親のみなさんが、選択の誤り、ブレ過ぎる選択で子にもたらすのは、実行しない子ども、新しいもの、高価なものばかりを欲しがる子どもです。

 

 

 

ページトップへ