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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立日比谷・西の攻略/小石川、桜修館、両国合格には才がいる/天動説が闊歩する現代似非社会

2018.01.12

 天気晴朗なれど体を包む冷気は並大抵のものではない。朝まだ暗き時刻の気温は氷点下、日本中が寒気に包まれても東京はいつもさのみではないことが多いが、さすがに今日の朝は冷えた。それでもお天道様が空を明るく空色に染める光景が心を和ませる。

 過酷であった冬期指導を終えて体の休まる間もなく1月の通常指導が始まりまたいつものように仕事に追われる毎日が始まりました。すでに体は悲鳴をあげて久しく、これはまずいと今年は敢えて新規募集を控えてきました。特に、今年は、小4から育ててきた子たちがいよいよ小6になる年です。小4という、比較的ゆったりとした時期にじっくりと基本を訓練してきた子たちです。過去早稲田進学会の模試で竹の会の子たちが成績優秀者として名前をのせた人数の最高は4人でしたが、今年はそれをはるかに上回るかもしれません。2月以降の指導をどのようなものにするか、今からいろいろ構想しております。

 また仮合格者の在籍期間が6か月経過してやがて1年に達する子たちもいます。今後の指導が可能なのか、ひとつの節目にきていることは正直もうだいぶ前から気にしていたのですが、時として感じる才の壁に悲しい思いを募らせております。小4早期に竹の会に来て仮合格というのと、小5期のそれとでは自ずから異なるものがあるのは当然ですが、親御さんが我が子に寄せる思いとは裏腹に現実は子どものもって生まれた才が子には過酷な現実として表れることになる。指導とは子どもの真の才を日々知ることであり、思わぬ才に出会い喜ぶこともあれば、才のない子には落胆し、また気の毒な気持ちもあるのだけれど、指導とは、こういう場合にどう処するかという難しさを運命的に内包したものであった。

 また専門の高校入試指導にしてもなかなか期待した通りにはやってくれない。とにかくも勉強しない中学生の指導だけはできないということは譲れないけれど、なかなかレジュメを出してこない中学生には不安が消えない。去年はレジュメを出さない、成績表を報告もしない、そういう中学生が、模擬試験でありえない点を取り、それを察知したのか、結果の出る前に退塾した、つまり逃げたという事件がありました。もう1年も前に一度退塾勧告をしていたことが、誤りではなかったとを知りました。中学生が「絵をかいている」、「宿題をやっている」などと小学生が騒ぐのですぐにわたしの知るところとなるのですが、中2の前倒しもかなり遅れていることはずっと前から気になっておりまして、疲れているのでしょうか、よく居眠りする中2も複数いる、中2は成績もトップクラスの子ばかりですから、こちらは注意はしないことにしていますが、いずれにしても中学生の指導というのは、正直小学生と違い、それなりに自分の考えで行動するよな年頃になっていますから、難しくてやっかいです。随分前に、頭の悪い、勉強しない中学生の指導には見切りをつけましたが、とにかく中学生は頭を悩ませる、だからこれから新たに中学生をとることに消極的になっていくのが自分でもわかる。

 今は小学生を積極的に募集することはしていない。それは一重に体力的理由です。自分の体がどこまで耐えられるのか、正直自信がないのです。今いる小5や小4にもしわたしが倒れたらとてつもない迷惑をかけてしまう、その思いがわたしを支えているのだと自覚しております。

 感心するのは、あの寒い朝からいつも元気に通って来てくれた子たちのことです。竹の会をめざしてそれは元気にやってくる。指導が始まるのは8時半からですが、8時にやってきて、気の利いた子たちが、いろいろ飲み物を作る。コーヒー、ココア、カフェオレ、紅茶オレ、ポタージュ、コーンスープ、味噌汁、わかめ汁、とにかくなんでも用意している。なくなれば補給する。子どもたちがみな自分でやる。ただいつも注意は欠かさない。子どものやることだから信用はしていない。熱湯を扱うのだからこれはよほどに気を遣う。心配する。だから何度も警告する。子どもたちが気持ちよく勉強してくれれば、そして指導が前に進めばわたしのストレスも減る。この1月は正直過酷な日程が続く。本番の日から発表の日までまた夢でうなれるかもしれない。子どもたちは考えられない失敗をやらかす、本番とはそういうことが日常的に起きる、落胆を常とする、性質のものである。その日だけできるということはない。できない子は当然のように本番でもできない。合格はんこがとれない子が本番でできることはない。模試が悪い子ができることもない。本番ほど日頃の勉強が正直に出るものはない。すべては本番に流れ込む、滝壺の如し。100%指導にしたがってきた者のみが、充実して、その滝壺に、努力の成果を一斉に、一気に流しこむことができる。滝壺に流しこむものが「ない」、少ないのは、来し方の努力の少なさのゆえである。課題を一枚もゆるがせにせずやりあげてきたか、解き直しをしたか、書き直しをしたか、レジュメ集の7回解き直しはできたのか、合格はんこの数だけ力になる、だから合格はんこのない、理解済みのはんこばかりでは力にはならない。そういうすべてのものが本番という滝壺に流れ込む。先送りばかりしてきた者には滝壺に流しこむものがあまりない。先送りとは結局「やらない」ことである。受検というのは、受検前2年間の処し方すべてが、あげて本番の日に反映するということなのであるから、家庭の事情を当然のように優先すればどうなるのか、それは最初からわかっていたことなのであるが、世の母親、いや父親も、「まだずっと先」という魔法にかけられて、楽観してしまう。ほんとうに受かりたいのなら、受検の正体を見よ、正体がわかれば騙されることもあるまいに。合格する人は、畏れている人であり、だから謙虚にもなる。勉強だって必死になる。試験というものの正体を正面から見据えれば、今自分のやっている、勉強とは背馳する行動がいかに合格から遠ざかるものなのか、知れるはずである。そして試験の正体を知る者こそ懼れ、したがって謙虚である。

 ◎天動説が闊歩する現代という社会

 現代の天動説は、真実は知っていながら、あえてそれを真っ向から否定する言説論者において象徴される。原発だって、根拠のない安全神話を似非理論で援護したのは、ほかならない東大大学院教授を始めとする御用学者たちであった。御用学者は国や大学の要所要所に配置されて、天動説を支えている。すべては利権という人間の欲がエネルギーとなっている。その利権構造はもはや良心的な個人がどうにもできないほどに巨大な、暗黙の組織となって世の中を支配する。今の社会はこのような利権がたちまち構造化して社会を支配する、まるでウィルスが侵食して人体を支配するが如しである。先日、インフルエンザに罹った小学生が、予防接種を受けていたのに「罹った」ということを言っていたけれど、親も受検前には、結局予防接種をするというのがたいていの行動である。社会のここかしこに天動説がはびこる。インフルエンザ・ワクチンも利権とは無縁ではない。製薬会社と医師会、それに厚労省が、一体となって、国民を騙す。昔から、お上には弱い国民性である。隣人の言は信用ならない、お奉行様に裁いてもらう国民性である。あの東芝だって、米の原発を買収したのは、経産省のある官僚の後押しがあったからであった。東芝を危機に陥れたバカたちは忠実な利権の僕であった。お上のお墨付きがあればなんでもやる、たとえ会社が潰れることになっても、大勢の社員やその家族が路頭に迷うことになっても、厚顔無恥なのは改めてあきれてしまう。利権病というのはまさにウィルス性に違いない。世の中は政治家や政党が支配しているのではない。利権に群がる悪人たちが支配しているのである。そういう悪人たちは自分たちの都合のいいように天動説を作り上げるのである。無知な大衆がこの天動説にいとも簡単に取り込まれるのはなんとも言葉もない。テレビだって、新聞だって、ここかしこで天動説を流し、洗脳に余念がない。ましてやオシャレとか、異性とか、音楽とかにしか興味のない、バカな若者が簡単にお上の言うことを信じるのは当然に計算ずくであった。

 さてである。子どもの教育ということに関しては、そもそも教育が利権に馴染むのかという根本の疑問もあるけれど、それにしても、少なくとも、受検という製品は、大手塾の営業に十分に馴染むものであるようだ。大手塾は、忘れてはならない、りっぱな株式会社である。株式会社というのは、法律で「営業目的」の法人とされているように、金儲け以外の目的はない。だからと言っていい製品がない、という論理はないけれど、大量に処理して、できるだけ利潤を産むようにするという宿命的行動目的からの弊害からはだれしも安全ではいられまい。事実、わたしの見てきた大手出身の子たちのできそこない振りは目を覆うものがある。いや待てよ、世の中には、塾に行かない多数の家庭もあって、こちらはこちらで、どのような天動説のもとに行動しているのか、その大半は経済的な制約からのものであろうけれど、いずれにしても、塾に行かないという選択のもたらす、子どもの低調な学習意欲、低学力は目を覆うものがあり、こちらはこちらでまた悲劇的な人生の拡大再生産化をもたらすことになっている。

 わたしは読書人である。もちろん塾指導歴33年のベテランでもある。あっ、去年のカレンダーには「創立30年」とあったのに、今年のは「33年」となっているのはなぜ?という話しが聞こえてきましたが、あれは33年が正しい。去年のが30年になっていたのは、あれは専門業者にデザインを頼んで作ったもので、デザイン料だけで5万円ほどとられる。それで創立30年のときに作ってもらったものをずっと使っていただけです。今年は、自分でイラストレーターを操作してデザインしたので、ようやく33年と書くことができた。もっとも30年をそのまま使ったのは切りがいいということもあったのですが、そういうわけです。話しはそれましたが、わたしが本を読むとして、実は、読む本にはあきらかに傾向があります。わたしは世にはびこる天動説を見透かしたいという思いが強くあります。そこからわたしの読書は規定されていると思います。あと江戸時代の剣豪小説はよく読みます。これは知の癒やしのためです。だからやたら江戸時代の生活に詳しいのかもしれません。塾指導歴ということでいえば、問題は必ず自分で解く、そして解説は自分のオリジナルにこだわる、ということですか。世の親御さんのように受験情報は追わない。また時期尚早な腕試しの模試というのもどうでもいいと思っている。要は、わたしの期待する手順にきちんとしたがって勉強しているかということです。ここはこだわります。だからレジュメを出してこない中学生はわたしには破滅に向かっているとしか見えないわけです。少なくともわたしの指導を受けていることにはならない。竹の会というのは、レジュメを出してわたしの指導を受けてこそなのです。

 これから竹の会をめざすみなさんは、問い合わせをするには、電話はだめで、HPの定型枠に必要事項を記載して、送信してください。問い合わせの中には、ただ「入塾」と2字だけ書いていたり、受検に興味がある、と書いているだけとか、とにかく意味不明のものがありまして、こちらからどう返信していいのか、わからないものがよくあります。問い合わせの目的をきちんと書いてください。その上で対応いたします。たとえば、小5の受検目的はもう遅い。まして小6はありえない、もちろん今年の4月以降に小6の場合です。小4ならぎりぎりですが、やはり遅い。今年の4月から小4なら問題なしです。高校受験目的の場合、すでに中1なら通知表で判断します。5がないのなら問い合わせはしないでください。中2は99%ありません。小6も無理。小5なら入会試験と通知表で可能性はあります。受検目的の小学生には、入会試験を実施します。入会試験に合格できるのは、通知表で「よくできる」が80%以上の子にほぼ限られています。過去落ちた子たちの通知表はほとんどが5割、6割の子たちです。最初から申し込まないほうがいいと思います。もっとも今小5で一番できるのは、「よくできる」が5割ほどの小4でしたが、A合格しています。だからこれは飽くまでも一般論です。

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