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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立日比谷・西合格に必要な物理的時間及び知識量、その他

2016.03.27

 おはようございます。春の訪れは緩やかすぎるくらいに慎重です。過酷な時期を終えて体がもっともくつろげる時期に過酷な時期の無理が綻びとなって出てくるようです。今年ももうじき桜の旬を迎えます。とにかくわたしには最も禍根を残すことになる高校受験を無事終えることができたことがなによりもうれしいことでした。心に安らぎを満たした状態で桜の旬をなんとかむかえることができそうです。

 やはりわたしのもっとも得意とするのは、高校入試なのかなと思いました。特に、日比谷、西、戸山はわたしには確実に道筋が読めているから、指導に迷いがない。平成20年の西合格者が、豊島岡女子に合格したときは、特に、そういう対策をしたわけではなかったけれど、わたしの指導レジュメの水準が早慶の過去問を出典としたものが多かったことが幸いしたのかもしれない。あの当時は、1回の指導で3通ほどのレジュメを渡して解かせるといった程度だった。特に、独自校のためのレジュメなどというものを用意したこともなかった。ただ理科、社会については、市販の参考書を指定したこともあったように思う。大学入試はやってみればわかることであるが、まず参考書勝負といっていい。適切な参考書・問題集を受験勉強の段階に応じて選び、やる、それだけである。

 わたしは実は高校入試にも大学入試の手法を取り入れている。今年の中3についても、特に、理科、社会は、わたしの選んだ参考書を数冊やらせている。わたしの、高校入試のプロの目が選んだ参考書、問題集である。この「草枕」でも具体的に何という参考書を使ったか、書いたことが、一度はあった。読者の方から、参考書名を教えてほしい、とメールがきたこともあった。そのときは、教えたけれども、だからといってお礼のメールももらったこともない。考えてみれば、わたしは高校入試のプロとして塾をやっているのであり、そのわたしの企業内秘密を全国のみなさんに開示するのは塾としての自殺行為であった。

 こんな本がいいと書くと、たちまちアマゾンから安い本が消えて、定価の10倍もするようなのが残っていたりする。これはさすがに子どもたちから抗議がありまして、気をつけるようになりました。

 こと高校受験の実際で、わたしが場面に応じて、段階に応じて、投入する参考書は、決して部外者に漏らすことはない。わたしが、30年の指導の間に蓄積した、独特の勘からこれというのを選び、生徒にやらせる、これは究極の指導の技である。この真髄は、プロのみが持ちうる結果思考というものかもしれない。合格するために、最終的に求められている知識は何か、を突き詰めていく、その中から、「これをやる」、そういうものを選び、適切な時期に「打つ」、これである。 理科、社会で1月の模試で5割しかとれない、しかし、合格するめには8割は必要、こういう究極の状況に立たされて、生徒を8割とれる状況にもっていく、その手法こそ、結果思考に基づく、指導歴30年の経験から「打つ」、様々な「手」ということであろうか。時には、本番の4日前に仕上がる、仕上げるということもあった。仕上がりを判断するのは、何か。これは、得点率である。わたしが最初から最後まで信じているのは、得点率だけであり、それ以外にはない。ただし、都立入試では、Vもぎを得点率の判定の資料の一つとして使う。が、本体は過去問であり、わたしの考える「この問題」である。「この問題」が解けるかどうか、である。

 わたしが以前から興味をもっていることに、イメージ・トレーニングというものがある。プロのスポーツ選手がよくやるというあれである。ある本に、脳には、何かを強くイメージすると、その方向に向かって行動するという「観念運動現象」が働く、という記述を見つけました。この著者は、だから大学に受かっている写真を毎日見ることでイメージする効果を主張しています。草枕の読者だと、小石川とか、日比谷、西などですね。具体的には、例えば、戸山の学園祭に行って、校庭や教室で写真を撮る、そしてその写真をいつも、毎日、毎朝「見る」のである。具体的に、自分が小石川生、日比谷の生徒になったと思い込むのである。

 イメージトレーニングは、実際に合格を可能にする、実は、最良の方法かもしれない。観念的に頭の中でイメージするのではなくて、実際に生の写真を志望の学校と重ね合わせてイメージすること、これはいいかもしれませんね。竹の会のみなさんは早速今年の学園祭に出かけて、そうした写真を撮ってきたらどうですか。

 さて、都立日比谷、西、戸山をめざすとして、結果思考、逆算思考をする、すると当然そのために必要な、やらなければならない物理的な勉強量というものがはじき出されてくるわけです。よくいわれるのが、中学生の場合、1日3時間で現状維持、5時間で「伸びる」、3時間に満たなければ「下がる」ということです。この場合の3時間なら3時間の中身です。実際に、勉強をしている時間、です。机についているだけ、関係のない本を読んでいるだけ、ぼーっと読み流しているだけ、漢字の練習をしているだけ、学校の宿題をしているだけ、・・・このようなものを勉強しているなどとは言いません。もっと厳しいことを言えば、実質思考をめぐらしている時間ということになりますが、そこまでは言いません。単語を覚えるために単純作業をやっているのも勉強としてカウントしてもいいでしょ。た暗記するにも、工夫をしなさい、漫然と見る、書くだけではだめでしょ。声を出しなさい。カードを作ったり、問題を書き出して、思い出すなどいろいろ苦しみなさい。そして自分に合った方法を見つけるのです。

 理科や社会は、普段から予習して、教科書をまとめるくらいのことはしなさい。まとめたノートのことをサブーノートといいます。後で書き足せるように余裕をもってノートしておくことです。表を作ったり、図をかいたり、箇条書きに要点を書き出したり、一つの視点から、知識を整理したりと、勉強の工夫はつきません。理科や社会の教科書は何度も読み込むことです。英語のリーダー(教科書)の単語はすべて覚えて、本文も丸暗記です。中学の英語なんかはこの本文の丸暗記だけで「5」が、100点がとれます。学校から渡されるワークは教科書の暗記チェックに使いなさい。数学のワークは全問解き尽くしなさい。内申をとるために、授業のノートは黒板に書かれたことだけでなく、書かれたことの前後のいきさつがわかるようにメモもしておくことです。隣と一言も喋ってはならない。常に、先生の目を見ていることです。そういう態度から先生に自分のまじめな態度というものを主張しなさい。課題も必ず期限までに提出することです。これも自分のまじめな態度の主張です。内容よりも提出することに意義があります。

 竹の会が希望する勉強時間は今のところ1日5時間、最低5時間です。ただし、1日でもこれを休んではいけません。小学校のときにありがちな家族優先、家庭優先の行事は「なし」です。それが日比谷、西に行くということです。あなたたちにその覚悟がありますか。いやむしろ親御さんにその覚悟はあるか、と問いたい。わたしは子どもが中学に入ってから高校まで、いや大学卒業まで家族の旅行というのはなかった。あきらめた。もっとも高校、大学にもなって家族と嬉々として行動するとなると別の意味で心配です。

 受験に失敗する人というのは、竹の会の場合には、わたしに失望させた回数の多い人ですね。いやそれぞれにごもっともな理由があってのことでしょう。法事などは大義名分の最たるものでしょう。なにやかやと早退するたびに、なにやかやと遅刻するたびに、なにやかやとお休みするたびに、課題はほとんど出してこない、そのたびにわたしがどれだけ失望してきたことか。早稲田実業に合格した鈴木君は「正月も勉強以外にすることはない」、と言い切りました。竹の会の都立西合格者が、盆や正月を口実にしたことは一度もありませんでした。なにやかやと家族で行動を共にすることは結構なことです。ただそれなら日比谷、西などと言ってほしくない。

 受験には合格するために最低限の必要な物理的勉強時間というものがあります。それは最低限合格に必要な知識量があるからです。小石川、桜修館、はたまた日比谷、西と容易く口にするのはいいですけど、そういう現実は全く考えないで、自分の希望だけを言い立てて、塾に行けば受かる、と思う脳天気な親が多いのには閉口する。

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