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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立西、日比谷を獲る/小石川、九段に受かる道/子どもを訓練することを忘れた親たちが自滅するとき

2016.08.10

 おはようございます。本格的な夏日の到来ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。わたしは連日仕事に追われておりまして、このところ疲れ切ってもいますが、それよりも時間がない、そのためブログの更新もあきらめています。夏本番ですが、竹の会ではほとんどの親御さんが、竹の会の日程を最優先されていますようで、たいへん恐縮いたしております。たかが塾の日程などに合わせられるか、というごもっともなご意見の親御さんもいられるかと思いますが、竹の会を優先される親御さんはそれだけ竹の会の指導がかけがえのないものであったという、この一点において、これまでの竹の会の指導を通して深くご理解されてきた方たちなのかなと思います。わたしは正直そういう親御さんの姿勢を見てほっとしているところです。特に、竹の会で受検を経験されたことのある親御さんには、失敗の経験が焼きつき、竹の会の主張というものが、身に染みて深いところで理解できているように感じております。それでめったやたらには休まない、そういう深層の意識のありようというものがよく感じとれ、竹の会の指導の姿勢というものの浸透を強く感じております。

 ここで深く感謝いたしたいと思います。

 竹の会の考え方というものに共感できなければ、どうか退塾してください。わたしも意に沿わぬ親御さんの機嫌をとって媚びを売るなどのことはできませんし、退塾は親御さんの自由ですから、異存はありません。

 それから入会試験に合格した場合はもちろん合格なしの特例入会(渋谷Bのみの特例)の場合も、「静かな環境で勉強する」という一点において、反則がありましたら、これは即時に退塾していただくということもどうかご承知おきください。竹の会は大手のように仲間が楽しく集う場所ではありません。「静かな環境で勉強する」という一点で心を同じくする人たちの訓練の場です。この精神に反する行為には厳正に対処していきたいと覚悟しております。それは竹の会という塾の存在根拠にかかわることだからです。かかる場合、どうか突然の退塾告知と驚かないでください。

 それからわたしは生徒や親御さんの竹の会に対する態度についてかなり敏感です。直感的に不信を感じとるに敏感です。そういう場合は、機を見て、指導辞退(退塾)を通告させていただくこともあるかと思います。それほど私は常に親御さんや子どもたちの日々の変化に注意を向けているということです。

 竹の会の規則では、入会目的で入会試験を受けて合格した場合、当日をふくめて3日以内に入会申込書の提出、入会金の支払いがなければ、入会資格は喪失することとしています。過去において、入会試験から3日目に電話で入会の方向であることを伝えるだけで、ついてはと、いろいろと条件(当分日曜だけとか、1か月後からとか、さらに見学した上でなど)を申し出て、入会申込3日以内という規則をなし崩しにする親がいましたが、こういう親にははっきりと入会をお断りしてきました。

 なお、夏期等に参加の際に入会試験を実力判定の意味で実施した場合でも、3日以内ルールが適用されますので、3日経過後の入会申込は不可です。つまり、夏期期間とはいえ、事実上の延長はできません。

 これまで訓練してきたことのない小学生が、竹の会の訓練によって訓練されていくことは期待できるとしても、たとえ入会試験に合格したとしてもこれまでのわがままな生活、つまり訓練されてこなかったがためのがまんのきかない性格が矯正されずに、訓練不可能と判断されることもあることをご承知おきください。

 こう言いますのは、初めて竹の会にきた子たちというのは、普通は、小学生ですが、まず敬語というものを知らない、タメ口をきく、大声を出し、どかどかと足音を立てる、勉強するときの姿勢がくねくねと、とにかく勉強するということの訓練ができていないわけです。たいていの場合は、訓練されていく、つまり、敬語が使える、机に姿勢正しく座り勉強に集中する、ようになるものですが、矯正できないこともある。

 これまで塾経験なしだと、まったく訓練されていないため、勉強する姿勢ができていないことがほとんどです。特に、失望するのは、そういう子たちのほとんどが、「字」をまともに書けない、ということです。字本来の形さえも体を成していないのです。これは親御さんのしつけの範囲内のことです。小1前後が勝負です。つきっきりで見てやることです。ていねいにゆっくりと正確に書く練習をしてこなかったからです。形を崩すことに甘く対応してきたからです。形、型というものが大切なことであるという認識の欠如です。

 勉強するという生活習慣のないことも訓練というものを知らない子の特徴です。勉強とは姿勢であり、習慣です。小5にして、勉強に対するスタンスというものが、ないというのは絶望的です。子どもたちにもっとも大切なのは、勉強のスタンス作りです。姿勢を作り上げていく、これが親の役目でしょ。何時間でもがまん強く机について勉強できるという姿勢をこそ培ってこなければならなかったのです。

 そういう姿勢のないままに竹の会に突然入るというのは、やや無謀というものです。多くの子どもたちと接する機会をもってきて、驚くのは、訓練されていない子たちのなんと多いことか、ということでした。いちばんいけないのは、塾にいかない子たちでした。粗野というか、勉強するということの意味がまるでわかっていません。勉強というのは、まず姿勢です。これは、よく「考える」ということの意味を誤解している親や子がいますが、考えるというのは、考える姿勢のことです。これをよく大手塾に行っていた子に多いのですが、「1時間、考えたけどわかりません。教えてください」というものです。考えるということがどういうことなのか、まるでわかっていませんね。考えるとは、わかるまで考え続ける姿勢のことです。それから答え見たらそれで考えるということは終わりだということです。スラムダンクの中で安西先生が「あきらめたらそれで終わりだよ」という言葉を言いますが、これですね。大手に行っていた子というのは、どうしても伸び悩む傾向が強い。これはわからないとどうしても安易な、弱い心が蠢くからです。とことん考える覚悟ない、こだわりがないのです。

 竹の会というのは、訓練の場です。静かな環境で訓練するという意識、訓練しているのだ、鍛錬しているのだ、こういう意識が欠落しているのは、すでにして竹の会で訓練するに適しない子です。子どもというのは訓練してなんぼです。訓練されていない子は使いものになりません。訓練に適するのは、小4の早期です。しかし、小4の早期ならだれでもいうことはない。生まれてから小4にいたるまできちんと親がしつけてきたか、です。机に10分もついておれないなどのがまんのきかない子はだめです。教育とはつまるところ子どもにがまんを覚えさせることです。ですから、なんでもかんでも子どもが欲しがるものを買い与える親は失格です。過保護な親というのは子どもを育てない親にほかなりません。

 甘えの浸透した子と甘やかす親の最悪コンビが作り出す、社会的破滅は、今更言うことでもない。わたしが指導においてもっともやっかいなものとして見做しているのはやはり「幼さ」ということです。甘やかされてきた子というのは、やはり幼い。この幼さというのは、どうしても能力を阻害する。できるようになるというのは、幼さからの訣別、大人としての自立ということとパラレルである。蝶よ花よとまでは言わないまでも、わがままをそのまま認められてきた子というのは、とにかく幼い、やたら自慢する、親や兄弟、家族から親戚、果ては知り合いに至るまですべて自慢の対象とされる。幼さというのは致命的である。幼いというのは、親の自慢、がまんのきかない性格を他人にふりまくので当然好き嫌いを言う、嫌われるから迎合してくれる人が好きの論理である。なかにはやたら物で釣るという子もいる。親が自分を物で釣ってきたように、物で制御するのは、こういう子の人心掌握術なのである。幼さを持ち越すというのは、要するに、賢くない、バカということである。小6にもなってカンニングするというのは、賢い子ではないでしょ。事の是非、弁別の判断ができないのは、バカである。親が甘やかせて、つまり訓練というものをしないできた子というのは、この幼さという殻から脱皮するのはまず無理である。カメの甲羅のように皮膚の一部が体の一部としてもはや取り除くことができないまでになっているからである。最後は必ず自分を甘やかす選択をするのがこういう子である。そういう人種にまでなっている。バカ親は自らのなした結果であるということをすっかりと忘れて、「どうして自分の子が」、「あんなに愛情をかけてきたのに」と嘆くかもしれないが、教育とは、がまんをさせることであり、がまんさせないでなんでも言うことを聞いてやってきたのが、愛情だとは笑わせる。そういう愛情が子どもをスポイルするということに気がつかないほどにやはりバカである。

 いいですか。都立戸山、都立西に行くという人とバカ高校へ行くという人、どちらがいい人生を歩む蓋然性が高いか、ということである。蓋然性であるから、戸山や青山に行って、法政というのもいる。いやマーチに行けても、社会に出て成功するかはまた別であろう。だから蓋然性なのである。しかし、たとえば、都立目黒に行って、国立大へ進むというのは蓋然性が低い。わたしたちは、より蓋然性の高いところを選択するのはあたりまえである。私立単願という甘えた選択肢もあるけれどそれは人生においてすでに下層社会に所属することの選択にほかならない。もちろんこれも蓋然性であるけれど。

 最低どこまでの都立が許容範囲か。23区なら、駒場、小山台、新宿がラインか。4番手に青山、そして3番手の戸山、2番手西、1番手日比谷となろうか。日比谷、西の差は微妙だ。女子はいずれも男子よりは高い。わたしたちは、都立という知的証明の成立する学校に行くことがまず目標となろうか。竹の会はそういう人たちを支援する。

 人気の公立中高一貫校は、小石川、武蔵、桜修館、九段など頑張っているところが多い。最近、渋谷区では、富士や白鷗、九段の人気も高い。これはこれでトップ校ではないゆえの人気ということになろうか。武蔵は23区外なので外すとして、小石川、桜修館、そして九段が、23区のターゲットになりつつあると言えようか。

 子に厳しくできないバカ親が怠け癖のついた子に公立中高一貫校をと考えるのは、心情的に理解できるけれども、大手という、甘やかす親に媚びへつらう商売上手にひっかかり生ぬるいままに、つまりなんの訓練もすることもなく、1年なり、2年なりを無訓練で過ごして、自滅自壊していく、よくできたバカ培養システムと思う。こういうバカ親はこういうところで始末される。

◎渋谷A 1名空席有  

◎渋谷Bの対象 受検の小学生、高校受験の小学生、来年2月スタートの渋谷A入会試験合格者

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