画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立高校に合格するために何が必要なのか

2015.11.04

 おはようございます。 本日は渋谷Aの指導日です。いよいよ11月に入りましたが、11月は受験生にとりましては、ほんのひとときでしかない。気がつけば12月、そして冬期がすぐにやってくる、そうすればもう本番まで20日あまりです。夏の8月、暑い盛りにはきっといくらでも時間があると思った人も多いでしょう。 なにやかやと勉強しない日も多かったでしょう。あるいは勉強できるのにしなかったという人もいたにちがいない。多くの人が誤解しているのですが、勉強した人としなかった人の差というのは、2倍以上の開きがあるのです。課題を100枚やった人と全くやらなかった人の差を考えればわかることです。差は100枚ではない。200枚です。それからその差というのはそれほど単純でもない。100枚やった人はさらにそれを前提として世界が広がるけれど、やらなかった人にはそれがない。もっといえば、試験というのは時間勝負であり、時期を逸すればもはややれない、やることに意味がない、ことです。

 多くの人は、試験というものをまず誤解している。試験は、平等に準備する時間を与えられて、どれだけ勉強を他のことに、私的なさまざまなことに優先させたか、が問われる「しくみ」だということです。ところが、試験を受けると言いながら、この「しくみ」をまるで無視するかのように、試験以外の趣味、趣向に時間を費やす人たちがいます。 不思議なのは、そういう人たちは「合格する」と思って行動している節があることです。勉強よりもスポーツ、習い事、稽古事に時間を費やしてきたのに「受かる」と思う根拠はわたしにはわかりません。またそういう人たちほど試験が迫ってくると、異常に「受かりたい」という衝動にかられるということもよく知っています。しかし、わたしの30年の経験の中にそういう人が、受かったという例は一例もありませんでした。

 竹の会では、レジュメ指導というものが完成しております。昭和60年10月に塾を始めた頃には、竹の会も当然のように授業形式をとっていました。しかし、中3に過去問を解かせるとき、どうしても「考えさせる」、時には2時間も、3時間も考える子もいる。そうなると高々2時間程度の授業時間というものの意味が問われてくる。苦い経験もあった。授業で教えすぎるだけ教える、教え尽くす、すると定期試験の結果は想定外に悪かった、ところが、教えないで考えさせてばかりいたとき、高得点を取った者が続出した、そういう経験を踏みながら、「教える」ということの意義を問うてきたのです。竹の会が受験に成功してきたのは、過去問合格法という方法をとっていたことが大きかったと思います。わたしは数学と英語については、竹の会仕様のテキストを書いていた。竹の会は全くテキストのない時代、それから自前のテキストのあった時代に分けられる。わたしがレジュメ指導という指導形式に到達するまでにはさまざまな経験を積み重ねなければならなかった。平成16年4月にひとりの小6が竹の会にやってきた。その子が中1なったときから、わたしはこれまでの竹の会製テキストのレジュメ化に取り組んだ。その子が中1から中3になり高校受験をするまでわたしは高校入試のレジュメ化作業に専念してきた。その子は初めて過去問合格法ではなく、わたしのレジュメだけで、都立西高校、そして豊島岡女子学園に合格した。この子は後にお茶の水女子大へ進んだ。もうひとり平成17年の4月、中1から指導した子もレジュメ指導で育てた子であった。立教新座、桐蔭理数に合格、桐蔭に進み、後に東大に進んだ。高校受験をレジュメで成功させたことは、わたしの過去問合格法との訣別を確定的なものとした。

 平成17年、18年頃は、都立中高一貫校ブームが始まった時期であった。その頃、わたしは多くの小学生を苦しめる「割合」について、なんとかうまく理解させる方法はないものか、と研究に没頭していた。さまざま指導法を試行した。実際に試してみて効果をみる、ということを毎日のように実践していた。一喜一憂しながら割合の指導法を蓄積していった。平成22年に試作した理論をレジュメ化し、平成23年に使ったところ、思わぬ反響を得た。「これだ」とわたしは思った。「ミクロマクロ法」の誕生であった。それからはミクロマクロを実際に使って、問題を解く、ということを指導しながら、レジュメ化も進めた。平成23年に小石川と桜修館に合格しているが、これは過去問合格法を主軸としながら、「適性虎の巻」というワード版のレジュメを使った結果であった。まだ完全レジュメ化には踏み切れていなかった。平成24年に富士に合格しているが、まだ過去問合格法であった。わたしが完全レジュメ化に踏み切ったのは、平成24年の1月のことであった。ここで初めてワードではなく数式ソフトを使った「竹の会入会試験」を制作したのだ。これは続編を作り続けて遂には200枚を越える大作となってしまった。そうなるともう止まらない。「合格答案への道」、「算数をクリアーにする」などわたしは夢中になって作り続けた。「算数をクリアーにする」は300枚以上の超大作となった。この年、このレジュメだけをやった子たちが、小石川、白鷗、桜修館に合格を果たした。ここで竹の会のレジュメ指導は完成した。過去問合格法と訣別できた。レジュメのいいところは、わたしが自由にレジュメにしたいテーマを選ぶことができ、受験を能動的に、攻めることが可能となったことであろうか。レジュメの解説編は工夫を凝らして、斬新な図を駆使した。パソコンソフトの進化がそれを可能にした。レジュメの進化は止まらない。平成26年桜修館に合格することとなる、ある小6女子のひたむきな勉強姿勢に打たれて、作り続けたレジュメは、芸術作品を思わせるほどの出来映えで、竹の会のレジュメをさらに進化させた。国語関連のレジュメはもちろんワードで作るけれど、竹の会のレジュメ制作の中心は、数式ソフトである。今の竹の会のレジュメは高度に完成された、究極の指導作品である。

 表題に言及するまでに時間がかかってしまいました。都立高校入試は、平成28年2月24日の実施です。竹の会では早くから高校入試の戦略的指導をしてきました。ところが、わたしの想定通りにはならない生徒が出てきました。 原因はおそらく小学の時まで遡らなければならない。小5、小6と竹の会で1年以上鍛えられてきた子でなければ中学では伸びない、というのがわたしの中にはある。だからわたしは小学生のうちから都立高校を受験する子たちには指導が必要だと思っている。竹の会で平成13年に都立西に合格した男子は、西原小出身であるが、小6の4月から指導を始めている。平成20年に都立西に合格した女子は、中幡小出身で、やはり小6の4月に指導開始であった。進学重点校をめざすのなら小6の4月がもっともいい入会のタイミングといえよう。じっくりと思考力をつけるには1年は必要ということである。

 小6の時期にじっくりと思考をつけておく、そういう訓練をしておかなければ、中学では伸びない。 受験直前に「伸びていく」のは、それまでの期間、じっくりと思考をつける、ということをやってきたからである。そういうことを一切やってこない子たちが、直前期に伸びないのはあたりまえのことで、そうなったらもはや手遅れであり、特効薬などありはしない。

 竹の会には数学必勝の手順がすでに完成している。「2次関数」と「三平方の定理」、このレジュメをさっさと片づけ、「高校入試問題撰」をやることが、それである。こういうことは中3の4月にはすべて終わらせておかなければならなかった。なぜここまで遅れるのか、やらなかったのか、わたしには理解不能である。これをいつまでもやらない、つまり遅速は命取りになる。受験というのは、「速い」ことが必勝、合格の見立てを決める。遅い子は受からないのである。 

 理科が苦手、社会が苦手、というのは、勉強していないことの証しにすぎない。 苦手と言う子に限って、当然知っていなければならない基本知識がない。かつていた中3は基本書(竹の会では毎年理科社会の基本となる本を繰り返しやることが指導の核で、その基本となる本を基本書ということにする)をじっと眺めているだけで全く汚れていない。その子が理科、社会では常に90点以上をとったのである。他方、同じ年にいた中3は、7回も繰り返したのにどうしても60点止まりであった。彼の基本書はもうよれよれでとにかく色鉛筆が引きまくられていた。どうしてなのか。前者の子は3回ほどしか読んでいないという。

 「考えろ」ということである。意味もなく活字を流すな、ということである。特に、理科はそうである。ちなみに、前者の子は不登校で内申オール1、都立鷺宮でも500点満点の450点以上とらなければ合格しないと言われた。かれは見事に合格、その後3年間、当然のように学年1番、浪人して、東京理科大と千葉大に合格。千葉大に進学した。彼は実は高校3年間竹の会で指導した。高校の授業のレベルが低すぎて受験どころではなく竹の会が指導することとなった。後者の子は、新宿高校に合格した。確か、東京学芸大学に進み今は小学校の教員をしているはずである。

 竹の会にいる限りやること、やらなければならないことはわかっている。数学は、ただやるだけではだめで、考えながら解く、という過程を外せない。理科は40ほどのテーマを完璧にすればいいだけのことである。理科のほうが簡単だし、まだ時間はある。11月をこれにかけるほかない。

 

ページトップへ