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雑草という生き方/勉強にスタンスのない子は竹の会と相容れず/激務竹の会夏期集中指導

2017.08.20

 おはようございます。さすがに疲れました。わたしには激闘の夏期集中指導になりました。平成10年以前の夏期と比べるとまだずっと楽なのかと思いますが、それにしても「勉強しない」という子たちを見るのはさすがにストレスです。まだ勉強というものとの付き合い方がわかってない、勉強は「ついで」で、そこまで本気になっているわけではない、だから家庭学習もほとんどやらない、そういう子たちを相手にするのはさすがに疲れます。基礎的なものの習得に一進一退を繰り返すのはしかたないとしてもだからその分家庭で頑張るという意識は希薄です。塾の先生にとって勉強しないという子を指導するのがいちばんのストレスです。次にストレスとなるのが「わからない」という事態、それから勉強以外のことで力を分散しなければならない事態、です。期待に反して勉強から「遠ざかる」行動をとる家庭というのは失望と落胆をいつも味わうことになります。

 子が「できない」という事態に際しては正直親御さんのほうから竹の会を切っていただくほうが気が楽です。過去竹の会からの退塾勧告ではどうしてもあきらめきれない親御さんとの煩わしいやりとりがわたしにはストレスでした。「勉強しない」という子は竹の会にいる必要はないし、いても困る。竹の会とは子の心が勉強から離れたらもはやいるところではない。それだけのことです。竹の会という塾は勉強する、勉強したいという子、向上心のある子にのみ有効な塾です。

 子に勉強の意欲がなくなったのであれば即退塾することです。竹の会とは縁がなかった、それだけのことです。退塾というのは別にマイナス判断をしたわけではない。とにかく竹の会には勉強したいという子がきてほしい、というだけで、勉強が嫌いなら竹の会は合わない塾というだけのことです。親が「先生から勉強するように言ってほしい」というのも本末転倒な話しで、そういう子は最初から竹の会には来てはならなかった、ということです。

 正直渋谷Bクラスは手がかかるクラスです。基本的なことをひとつひとつマスターさせながら前へ進めていくというのはかなり消耗する仕事です。一人二人ならまだいいのですが、こういう子ばかりだとかなり疲れます。それでもまあ前へ進められれば救われるのですが、これも一進一退を繰り返すとなるとわたしのストレスもかなりのものです。これにできない子特有の勉強の集中を妨げる様々な行動、騒ぎがかさなるとわたしの心身の消耗も極限に達します。

 難しいもので入会試験に合格したからといって全員がうまくいくわけではない。本人の資質というか、勉強に対する素直な姿勢というものがどうしても大きい。それから入会試験に合格できなかったという場合、いずれ能力的な制約からくる一進一退どころか、指導不能、後退といった事態がくる。竹の会の指導のメスでどこまで子どもたちを前へ前へと導けるのか、正直まったく予測はできない。だからここは心を鬼にして切るときは切るということもしかたないのです。竹の会という塾はそういう子たちを気長に教え導くという塾ではない、少なくとも今はそういう塾ではない。竹の会の指導を経験した親子が竹の会の指導の素晴らしさに驚嘆しこのまま竹の会にいたいと切に願う気持ちはわかります。しかし、竹の会はもともと入会試験で指導する子を厳しく選別してきた塾です。それはもう30年以上塾というものに携わってきたわたしの最後のわがままです。もう自分のやりたいようにやりたい、そういう想いからこの残された僅かな塾人生を締めくくりたいというささやかな想いからです。

 お子さんは勉強に意志が感じられません、勉強のスタンスというものがない、だから指導は無理です。わたしは気軽にそう言って退塾していただければこれほど心の安まることはない。

 ◎雑草という生き方

 雑草博士稲垣栄洋静岡大学農学部教授の著書からの請け売りです。この人は岡山大学農学部出身ということがまずわたしの目をひきました。実は高校の同級生が岡山大の農学部に行ったのです。昭和40年代の話しです。当時の別府鶴見丘高校は1学年605人で200番内にいればだいたいどこかの国立大に合格できた。件の同級生は確か150番ほどでなかったか。鹿児島大とか、長崎大、熊本大、宮崎大などに行った連中もだいたいそこらの番数だろう。九州大は当時の鶴高は20人から30人ほど行っていたか。こちらは上位30番内にいなければ無理か。防衛大にいったヤツは80番ほどだったか。東大や京大ならやはり10番内か。もっとも東大理系に現役で行ったO君は17番だったか。1番だったH君は現役の時落ちて、駿台予備学に校行き3番で特待生だった。翌年東大法に受かった。ふたりとも郷里の別府で塾を開いた。

 雑草とは、アメリカの雑草学会の定義だと、「基本的に邪魔になる草」なのだそうな。「雑」というのは、「たくさんの」という意味らしい。日本人は雑草にプラスのイメージをもっている人が多い。もっとも地主は雑草で悩まされるのでマイナスのイメージをもっているかもしない。「雑草のようにたくましく」とか、「雑草魂」などという使われ方もする。雑草は踏まれても強いというイメージである。ところが、博士は、雑草は弱い植物だと言う。他の植物が生えないところを選んで生えている、のだそうな。基本的に人間のいるところはどこまでも生える。雑草が荒れ地に生えるのは、弱いからです。強ければもっと環境のいいところに生えているはずです。森の中には雑草はない。他の植物があるからです。キャンプ場とか、ハイキングコースとか、基本的に人がいるところにしかいない。もともと雑草は山崩れや洪水が起こった跡とかにひっそりと暮らしていた。人間が農耕を始めるとそこでは強い植物は排除れされてまったくいなくなる。草刈りとか耕されたりして他の植物は排除される。雑草が生えるのはそういうところである。他の植物と生存競争をしてきたわけではない。逃げて逃げて、他の植物との戦いを避けてきた。基本的には闘わないのが雑草の大事な戦略であった。ただ踏まれることに耐えるとか、土がないことに耐えるとか、耕されたり草取りされることに耐える、この耐えるというところで勝負してきたのが雑草である。雑草は普通の植物は虫が花粉を運ばないと種ができないのに、虫がこなくても種を作ってしまうものとか、いろんな種類がある。とにかく人との環境に合わせてものすごく進化してきた。雑草は特に多様性と個性を大事にしてきた。それは雑草が生える環境はいずれも予測不能だからです。明日何が起こるかわからないという環境で生きている。だから雑草はいろんな個性のある種を残しておいて、どんな環境になろうともどれかが生き残る可能性を残しておく。

 タンポポの戦略

 タンポポの根は1メートルぐらいある。タンポポは春に他の植物が芽を出す前にいち早く花を咲かせて、他との競争を避けるという戦略をとる。そのために根っこをいっぱい伸ばしておいて、他の植物が眠っている冬の間に力を蓄えておく。その秘密が根っこというわけである。

 さて、あなたは雑草から何を学びますか。

 雑草というのは競争しない戦略で生き抜いてきた。わたしが小3から小4にかけて指導訓練することの大切さを説くのは、やはり根っこをできるだけ伸ばしてやる、ということにあろうかと思います。小学生のできる限り早い時期から根っこを思い切り伸ばしてやる、根っこを伸ばせるだけのばすために、そういう期間が必要なのです。世の中の親がこの大事な時期を放置ないし放任しているというのは考えられない怠慢と無知です。自分の子の未来を早くから潰すことになることを悟らないほどに無知です。大手にやって根っこを伸ばすとができると思っているのも浅はかです。根っこを伸ばさないままに小学5年、6年を迎えることのなんと無謀なことか。竹の会に小5になってやってきた子たちが十分に根っこを伸ばしきらないままに競争にまみれていくのはわたしの本来の趣旨ではない。

 あなたたちは雑草のように生きるということの意味をどう考えますか。

 

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