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高校入試に失敗しないために

2015.12.17

 遅くなりました。朝起きるとすぐ木更津まで行ってきました。帰り着いたのは16時30分、少し休んで今度は新宿に所用で出かけようやく今帰り着いたところです。

 今日はブログの更新は無理かと思いましたが、気を取り直して、書き始めたところです。

 いよいよ受検本番です。竹の会の小6の全員が合格すればいいのですが、現実はそういうことはありえないことです。今年桜修館を受検した女子は類い稀なる能力を備えていたと思います。その子にして、本番の問題を見て、「新傾向だった」と言ったときは、「えっ」と衝撃でした。「新傾向」というのは、勉強不足の、能力のない、できない子が、本番を受けた後決まって言ってきた言葉だったからです。本番の得点が取りきれていなかったのは、その「新傾向だった」ということにすべて表れていたということです。衝撃を受けました。いったいどういうことなのであろうか。未だに不可解です。

 かつて都立目黒高校を受けた女子が合格確実の予想を裏切って落ちたことがありました。私の入念な過去問チェックがなぜ功を奏しなかったのか。この女子は隣の女子の答えをほとんど見ていたのです。かつての元代々木教室では一時期教室が二つに分かれていてわたしの目が届かなかった。聞き取り調査をしていくうちに普段の過去問を解く際もよく隣の子に解き方を聞いていたということもわかりました。わたしの誤判断は生徒を信じたことでした。そういうことをしても意味がないということがわからなかったのか、悔やまれます。

 今の小6には、課題をほとんどまともに出すこともなく終わった子たちもいれば、指導レジュメのペースについていけなかった子たちもいます。それから気になるのは、作文のセンスです。平成25年に二人の女子が、合格していますが、読解のセンスが抜群でした。作文は今のように回数はやらなかったけどいい作文を書きました。センスがいいのです。ところが、作文の書けない子というのは、いくら練習しても書けないものです。書けば書くほど迷路にはまっていく。八方ふさがりの作文を書く。これは感受性の問題かもしれない。それから平衡感覚の問題もある。ものごとの見方、とらえ方が一面的であり、ものの一部しか見ていない、全体、八方に目がいってない、ものごとを一義的に、限定的にしかとらえられない、思い込みも強い、勘違いが多い、先入観から抜けきれない、これが迷路ということである。

 ほんとうに自分で考えて解いたのか、ということがある。これもわたしには正直疑念、疑惑をもつことがある。この問題が解けないのに、どうしてそれよりずっと難しい問題が解けてしまうのか、そういう疑念である。わたしの中では不可解としか言いようがない。わたしが子どもを信用していないというのはそういう意味あいである。

 子どもはうそをつく、今の子どもは特にそんな気がする。なにしろ世の中の大人が嘘つきばかりだから無理もない。政治家、裁判官、弁護士、医師となかなか信用できない世の中だから子どもだけ正直でいろというのはおかしい。うそは当面身を守ることにはなる。わたしらの時代は、潔く自分のやったことを認める、というのがほめられたことだったが、今はちがう。

 そういうわけで子どもたちの言うことをそのまま信用することはできない。難しい問題の答えだけ書いてくれば、「式を書いてこい」と言う、すると1時間経っても2時間経っても机でゴロゴロしている。つまり、自分では解いていないということを白状している。

 そういうわけで、気になっているのは、都立中に落ちたときに、公立中できちんとやっていけるのか、ということです。そういう将来の見通しを考えてみると、このままではどうなるのか、という不安な子たちも正直います。中学で通用するだけの思考力にまだ到達していない、という懸念のある子たちがいます。今、都立、都立とやっているけれど、ほんとうはじっくりと思考を鍛えていくのが将来的にはいいのにと思うことがあります。いちばん困るのは、落ちて、公立中に行ったときに、高校受験と考えると果たしてどこまで通用するのか、ということです。まともな都立にはいけないのではないか、そういう杞憂もあります。

 わたしはもともと高校受験を専門にやってきました。大手進学塾のように難関私立を受ける子が集まるわけもなく、自然と都立専門になっていきました。もちろん早慶レベルの私立を受けたいという生徒が来れば通用するだけの高度の指導はできると思っていましたから、平成10年に早稲田実業高校に合格したときはわたしの中では当然のことという自負はありました。都立は地元の子が多く、新宿、駒場、青山、富士、三田など普通に合格していました。平成13年に都立西高校に合格した子が出てから、都立西レベルの合格法というものを研究するようになりました。平成17年からそのための方法を具体化し、平成20年には女子生徒が都立西に合格しました。この女子は豊島岡女子にも合格しました。わたしはこの時の指導の経験から日比谷、西、そして戸山の合格手順というものを定式化しました。竹の会のわたしの指導の手順に従えば私立難関もとれる、そういうふくみもありました。英語、数学、国語、そして理科、社会すべてを手順よく合格レベルに仕上げていく、そういうことを方法として確立させたのです。

 進学重点指導校の中でも、日比谷、西が突出しています。23区では、戸山がそれに続きます。23区だと、青山、新宿、小山台、駒場まででしょうか。国立大に行くには、やはり戸山まででしょう。青山、駒場、新宿だとやはりMARCHが落ち着きどころです。明治、青山学院、立教、中央、法政のことです。最近はこれにG、すなわち学習院が並ぶようです。もちろん一般的な傾向ですから、少数の秀才たちが東大などに合格しているのは前提です。さて、公立中からこれらの都立高校へ順調に行けるか、ということです。

 高校入試に失敗しないためによくよく考えた中学生活を送らなければならないでしょう。中1になる前の2か月で英語は決まる、中学3年間の英語は決まる、ということは知っておいたほうがいい。中1の終わりから、中2になって「英語が苦手」という生徒はすでに高校入試に成功する芽はないのです。英語だけは後から挽回するということはあり得ないのです。最初がすべてです。

 数学はどうか。これは能力がものをいう。その前に、小学時代に割合を徹底して鍛えられてきたか、その過程で思考すること、勉強することを生活の一部として習慣化、ルーティン化してきたか、が大切です。中学になって、「うちの子は文章題が苦手」などと言っている母親がいますけど、小学時代に放任していたつけです。もはや手遅れです。特に、中学になって勉強しないというのは終わっています。勉強というものを生活の一部として組み込むのは小学の時にやっておくべきことです。勉強のスタンスは小学の時に作り上げておくことです。

 部活をやるのはいいけれど、それを勉強しない、できないことの口実にするのなら、トップ都立の合格はない。高校で部活をいきなり本格的にやる生徒がいますげど、これは大学入試は浪人確実ということです。浪人してもたいしたところへは行けないということも知っておいたほうがいい。高校というのは毎日猛勉強してはじめてなんぼのところです。中学は高校に比べるとのんびりしていますが、それでも部活を始めとしてなにやかやと口実をつけて勉強しなければ落ちこぼれるのは同じです。夏は合宿などといっていればどんなにがんばっても駒場、新宿なんかいけるわけはない。

 高校受験は「手順」です。手順良くノルマを進めていけば、進学重点指導校には合格できるのです。そしてその手順というとき、小学時代にそういう素地を作ってきたか、がその手順を成功裏に進めることができるかどうかを分けることになるでしょう。

 高校入試に失敗しないために、小学時代からすでにしてその準備は始まっているということです。

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