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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

2月5日、月曜日、快晴、残すは発表と都立高校の受験指導と発表まで

2018.02.05

 おはようございます。小6が抜けて教室はひっそりとしております。小6を慕っていたのか小5の中には最後の日に贈り物をしている子も散見いたしました。わたしの知らないところで心を通わせていたのでしょう。わたしの心も何かが抜け落ちたように軽くなりましたが、一方で発表の日までとにかく何も考えないようにと心を鎮める日々です。お母さま方の中には試験の内容を伝えて下さる方、お子さんの試験後のようすを伝えて下さる方、といまして、ようすを想像して少しだけ心を和ませております。私立中学を受験している子もいるようで、一人だけ東京農大第一附属中に合格した旨のご連絡をいただいております。竹の会は都立中高一貫校対策を専門に進めていますが、算数といい、国語といい、実は私立難関中レベルにある指導をしております。算数なら灘、開成、麻布の問題を実は過去20年に遡って網羅的に練習・解説してきました。だから実はわたしは灘中、麻布中の専門家と言ってもいいのかと思っております。もっというならば、適性検査と言うけれど、麻布や早稲田の算数や理科の問題を見たら、それが適性問題とどう違うのか、まさに適性問題そのものではないか、ということぐらいすぐわかることです。だから私立難関受験者が小石川なりを併願するとしたら、適性対策としては、作文だけ鍛えればよい、ということです。

 教室では、居眠りしかやっていないという印象しかなかった中学生がいなくなり、小学生への悪影響を払拭したことが心を軽くしておりますが、小学生によると居眠りをしている中学生ならまだいるということで、余程疲れているいるのかとは思いますが、先に退塾した生徒のように居眠りしかやってないということであれば、この際、緊張感のない中学生には退塾を勧告するのがいいのかと、思料しているところです。中学生については、どうしても中学2年が鬼門で勉強しなくなる生徒が出るのは昔から変わりません。だから中学生について入会を許可するのは実はかなり迷うところです。3年間勉強で走り抜けてくれるなら問題ないのですが、思春期と反抗期にある、いや怠惰期も重なった子たちを指導していくのは正直やっかいなことです。中1については、竹の会のレジュメをやらないままにやり過ごしてきた生徒がいますが、このままで済むわけもありません。正直中学生は疲れます。思うように駒として動いてくれないからです。それが部活などで忙しい、そして思春期、反抗期にある生徒が勉強以外に気を向けるのを阻止することなどできない相談ですから、やはり中学生をそれなりの都立の合格まで導くのはそういう意味で難しいのだと改めて思い返しております。

 2月になりましたが、竹の会にも入会を希望されて入会試験を受けに来られる方が、いまして、不思議な気持ちです。と言いますのは、2年前までだれも竹の会に来なかったという実感しかなかったからです。小4はもちろん小5も来ない時期がありました。正確には、来たけれど入会試験で振り落とされてしまった子たちもかなりいました。まったく入会者がいないので廃業も覚悟しました。多くの親御さんが迷わずに大手を選ばれる、竹の会のような無名の小塾になど目を向けることなどないのです。それで去年もそうですが、指導困難を予想しつつ中学生の入会を許可したのが背景にありました。無理をすれば後から必ず歪みが出るのは当然予想の範囲内でした。中学生となると思春期特有の気高い自尊心だけは強く、それなりに主体性を重んじた扱いをしなければなりません。するといつしか平気で居眠りをしても許される、レジュメをやらないという不作為、つまりは怠け行為も図々しくやるようになる、ひどいのになると宿題だけやっている、さすがにこれはダメでしょ。思春期特有の気高い心を傷つけることに気を遣うことが、思わぬやりたい放題を認める結果となりました。中学生はまず内申がよくなければそれなりの都立には行けません。しかし、いくら頭がよくて内申が高くてもまじめにこつこつ勉強を積み重ねることを軽視する人間は必ず最後は悲惨です。特に、頭がよい子に多い慇懃無礼、なめた態度、そういう子が成功したことはないのです。最近、わたしが「まじめな」子なら指導してもいいかと考えるようになった心境の変化にはこのような背景がありました。

 それにしてもこのブログでは何度となく言ってきたつもりですが、最近の入会試験は、正直内申の8割基準からは遠く及ばない子たちの受検が多いように思います。竹の会の入会試験を希望する場合は、まず内申8割基準(「よくできる」が8割)を満たすことが条件と考えていただいていいと思います。それから最近入会されたみなさんには、これから3か月は、竹の会での指導がうまく機能するのか、様子見の期間として、ご理解してほしいと思います。つまり3か月経って、退塾したほうがいいという判断もある、いやこれからはすべての塾生をふくめて退塾を常に念頭において勉強姿勢を問う、ということをどうかご了解願いたいと思います。

 ◎選択肢の多いことはいいことなのか

 研究によると、人間は「選択肢が少ない方が快適に感じる」ということです。現代は情報過多の時代です。受験生の親ともなると、それはそれはあちこちの学校説明会にでかけて情報収集をするようで、こういう親はまたあちこちの塾にも詳しい。ママ友間の情報交換も活発でかなり細かいことなどよく知っているものです。この時点でこういう母親というのが、すでに情報に支配されているだけで、かなりの確率で間違った判断をするであろうことは推測できます。事実、こういう母親の子というのはたいてい失敗しております。これは子どもの自立性とも関連する問題ですが、もし子どもがそういう母親に感化されやすいとしたらの話しです。わたしたちはまず情報を選択しなければならないというけれど、そんなことは不可能のように思える。選択の基準としてメディアを問うとしても、今はむしろ週刊誌のほうが真実を伝えていることのほうが多い。情報が多ければ多いほど意思決定が困難になる。だから子どもたちに選択などさせない指導が理想なのである。かつて司法試験が高等文官試験司法科試験の頃、勉強するにしても、たいてい使うのは薄っぺらで難解な体系書が1冊しかなかった、だから何をやるかで迷うことはなかった。ところが今は多種多様のよくできた予備校のテキストが氾濫している。テキストは予備校の売りであるから、どの予備校を選択するか、という話しになる。予備校はとにかく費用がかかるかる、つまりこの選択にはかなりの資本が必要である。

 選択肢は少ない方がいい、ということはわかります。選択肢の多さは不幸なことです。わたしたちはこれから健全に脳を維持するためには、とにかく少ない選択肢を環境設定する必要があることは確かです。自分が進むべき方向を自分で決めたくないのが人間だ、ということを中野信子が言っていますが、そいうことはよく日常でもみかける風景です。相手に決めさせる、というのは自分が楽だからです。それで間違ったら相手を責める。今の人間は、「考えたくないけど、間違いたくない」(中野信子)と考えるのだそうです。「脳は常にだれかに決めてほしいと願っている」のだそうだです。

 情報過多の親たちも結局は情報が決めてくれると思っているのでしょう。ただし、受験に関しては、情報は1つ2つでいい。学校説明会の情報など害になるだけである。忘れてはならないのは、当日本番で問題が解けるか、これだけです。としたら受験で大切なのは、過去問を何十年と研究した人、いや解いてきた人に、力をつけてもらう手順を選択してもらうことです。自分で市販の参考書を買うことではない。傾向を調べてその傾向に即した問題集を買うことでもない。とにかく受験者は選択してはならないのである。受験成功のこつは選択しないことである。選択しないから成功するのである。資格試験で予備校を決めたのならもう迷わないことである。ただ資料を手に入れたいという理由で2つの予備校を選択するということは有効な選択である。ただし資本が必要であるけれど。予備校というのは今や授業がいいというより、提供するテキストなどの資料がいい、ということになっている。

 選択はしないかわりに、実行はしなければならない。実行しない人間は失敗する。選択ばかりしている人間も失敗する。成功は簡単である。1つに決めてその1つだけを実行すればいいのである。

 

 

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