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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

2018年1月までの募集スタート(小3・小4など)/過大な期待という勘違い それまでの能力であったということ/マニュアルバカの増殖

2017.09.05

まずお知らせ事項から
◎漢検申込
 実施日 10月28日(土)14時~
 申込締め切り 9月28日(木)
◎模試受検のご注意
 竹の会では早稲田進学会の模試を勧めています。解説授業は無視でかまいません。必ず3科型で受けてください。
 
実施回
第2回  9月16日(土)〈第1会場〉池袋「東京セミナー学院」  9月17日(日)〈第2会場〉西巣鴨「大正大学」
第3回 10月28日(土)〈第1会場〉四谷「上智大学」     10月29日(日)〈第2会場〉神田「専修大学」
第4回 11月19日(日)〈第1会場〉四谷「上智大学」
第5回  1月 7日(日)〈第1会場〉国分寺「東京経済大学」  1月 8日(月・祝)〈第2会場〉西巣鴨「大正大学」
注意 第4回は早めに申し込まないと会場がいっぱいになる可能性があります。

 九段、富士、白鷗については、大原の模試を11月から少なくとも2回は受けてください。九段等受検者は早稲田模試の第5回は不要です。

◎Vもぎ、W合格もぎ については、実施日の2週間前までには申し出てください。竹の会の指示は、V3回、W1回以上、独自模試2回(V・W)です。

◎竹の会2018年に向けての募集情報
 ○小3 募集中 2018年2月スタート
 ○小4 募集中 
 ○小5 トップ都立高校受験志望に限る
 ○中1 トップ都立高校受験志望に限る  

◎必ずマニュアルがあると信じる、頭の固い親の増殖

 おはようございます。明日は雨のようですね。今日は午前中はずっと明日の準備に追われました。昨日は渋谷Bの指導日でしたが、久しぶりにみな元気な姿を見せてくれました。夏の7時間に慣れたせいか、口々に「時間が短い」と言っておりました。渋谷Bの小6提出の記録では、290時間、345時間、350時間、渋谷Aは、323時間、300時間、266時間でした。未提出の者もいます。どこまで集中してやったかという疑問はあります。中には、やった内容をきちんと書き出している子もいます。「7回解き直したもの 小学思考の素割合問題編、その他の問題編、新小学思考の素、推理の素、適性問題の型と答案のスタイル1、適性問題の型と答案のスタイル2、撰シリーズ、推論を鍛える、新推論を鍛える、初見問題の研究、推論算数」(渋谷A男子・323時間記録者)とメモしてあるものもありました。「推論を鍛える、同標準編、適性のための計算問題、単位あたりを鍛える」7回解き直しというのもありました(B345時間)。こういう人はリアルにやっているのだと思います。ただ時間の記録だけですと、何をやったのか、まったくグレーです。そもそもそういう子たちが夏休み明けに課題を出してきていない。出してきたのはAでは2人だけです。なかなか期待と現実は表裏一体というわけにはいかない。
 提出者2名の出した課題 後出

 課題をきちんと出す人は解き直しもきちんとやりますが、出さない人はたまに出してもその解き直しということはまずやりません。こうして課題の取り組みだけで「地」の力の差が天文学的に開いていきます。
 
 最近よく思うのは課題をなかなか出せないというのもこれはそこまでの能力であった、ということかな、ということです。書き直しをやらない、やれないというのも同じです。普段の指導で「なかなかいい知能をしている」と感じても、勉強姿勢ができていないとか、勉強にどうしてもある距離を置いてしまう、というような子には、期待が大きいだけに、期待外れということがあるわけです。過去わたしが知能が高いゆえに期待した子たちに大きな期待をしたとしてもそれに見合う勉強姿勢で応えてくれなかったということは往々にしてあったことであり、期待してしまう分、予想が外れるということがあったのだと思います。ほどほどの勉強しかしない子にはいくら知能に期待できてもそもそも期待は成立しないとみたほうがいいのです。期待というのは失望と表裏ですから、子どもには無言のプレッシャーになります。期待に潰れるということもあるわけです。親が期待すればするほど実行しない子には負担です。実行しないということは負担の増大化ですから、いずれ子は潰されるしかないのです。
 
 親というのは子の教育で壁につきあたるととにかく何かいい方法というものを探すわけです。勉強ができないのは「うちの子の方法が悪いからだ」と考える親というのが多いのですが、決して「頭が悪いからではなくて、そこは置いといて、方法がわからない、要領が悪い」というところに活路を見つけようとする。科学技術が発達してたいていのことにはマニュアルがあり、解決できる、だから子どもの教育にしても、なんでもそのようなマニュアルがあると信じて疑わない。私立中受験の親たちが進学教室をあれこれと天秤にかけて優劣を言い募るのも結局理想の方法、マニュアルというものがあってそれに見合う、見合わないと喧しく情報交換しているわけです。マニュアルばかり言うものだから、子どもの実体がどうなのか、なんかはほったらかしです。あの塾はあの講師がいいとか、あの大手は理数に強いとか、国立ならあの塾だとか、どこそこの何コースがいいとか、そんなことばっかり言っているのが私立受験のモンスターママです。結局受験には失敗してしまうというのも笑えますが、その結果親も子も根無し草で相変わらず情報にいつも振り回されて核のない人間と化しているということです。
 これは「方法」を過大視した結果です。「方法」よりも実行でしょ。最後まで実行しないでどうでもいい情報に振り回されてあたふたしているのがわからない。いくら理論武装して自分を正当化したところで親子とも中身のない、形骸化人間に堕して終わりです。
 
 子の教育ということで言えば、親は子を引っ張り回してはだめです。習い事や稽古事をあれもこれもやらせるというのはどうかと思います。また勉強よりも習い事、稽古事というのも、歌舞伎役者の子ならいざ知らず、わけがわからん。つまり芸事や職人技というのはたしなみの域ではないということである。幼いときから鍛えていくという信念の教育である。いずれにしても、教育というのは、訓練であり、訓練を通して我慢すること、辛抱することをたたき込んでいくものでなければならない。それが「根」を育てる、地中深く、ヒノキなら何十メートルの地下、雑草でも1メートルとかそういう根の張り方をする、こういう根を伸ばしてやるのが教育でしょ。それは同時に子どもの精神を鍛えているということです。勉強のスタンス、人生のスタンスというものを親が教育するのです。
 
 孟母三遷と言いますが、子のことを考えて親が動くというのはわかりますが、親の都合で、偏見で、見栄で、子どもを振り回すのだとしたら、これは少しも子の根の生長には資さないのではないかと思うのです。
 現代人は方法論に毒されています。何か未知の問題に遭遇すると、すぐに方法、マニュアルはないか、と迷う。まず考えろ、ではないのです。裁判官が先例、判例を探すのは、法的安定性ということもあるのでしょうが、実体が思考の節約なら、われわれは無思考の人間に機械的にマニュアル通りに裁かれることになる。

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 提出者2名の出した課題の一部
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2人の出した解き直しの課題のヤマ

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