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2018年7月24日、炎暑/正直で素直な、そして真っ直ぐな子のこととそういう子の心を歪める何か厄介な心のはたらき

2018.07.24

 明日から1週間ほどブログの更新ができません。今日は実はいろいろと忙しいのですがブログの更新を優先させました。去年の小6もそうでしたが、今年の小6もやはり同じような兆候が見えつつある、嫌な予感がしております。去年の小6はほとんどが小5以降からの入会でしたが、それでもA合格者ばかりで期待もしていましたが、それも小6直前からやや期待薄の感もしてきて、どうもわたしの期待どおりの行動をしてくれる家庭、子は少なく、それが9月以降の失速で表面化してしまいました。こつこつと常に努力をすること、これだけのことがなかなかできません。わたしの期待どおりに行動してくれれば問題ないのですが、みなそれぞれにそれぞれの計画を優先させることでは譲らない。課題を出すこともなくなり、勉強時間も少ない、そういう子たちはみな落ちました。それからわたしが桜修館や小石川レベルですと、合否を試す問題というのがあるのですが、今年の合格者が正解を出した問題なのに、桜修館志望なのに、全く解けない、という局面もありまして、やや厳しい予想もしております。とにかくこの夏の勉強量が試金石となろうかと思います。

 夏期小6について、

 「単位あたり量を鍛える」、「撰」を最優先します。

  ※算数レジュメ、「推論算数」シリーズは、中断させて、夏はこれらのレジュメに集中してください。

  ※必ず自分で考えて、解いてください。これを遵守しないと、すぐわかります。模試が悪いのは、竹の会のレジュメが進んでいないことが主因でしょうが、もし進んでいるのに悪いなら、自分で考えていない、ということです。それしか考えられません。

🔴わたしは、総合診断医ならぬ総合診断のプロ

 医師というのは、それぞれ専門化されて、眼科、耳鼻科、内科などと分化されていく。ただ内科を名乗るかどうかなどは勝手らしい。つまり自由に看板を出せる。循環器が専門でも、小児科を名乗っていい、ことになっている。 だからというわけではないが、医師の診断というのは、誤診だらけである。大まかな薬出して、症状が収まれば、それでいい。風邪薬出したら、熱が下がらないので、肺のレントゲン撮ったら、マイコプラズマだったといことはある。だったらそれまでの治療は無駄だったわけであり、カネ返して然るべきと思うけど、誰もなにも騒がない。 ガン検診での見落としはそうもいかない。新聞も騒ぐから、知らんぷりもできない。 何科にかかればいいのか、判断に迷う病気もある。原因がわからない病気ならなおさらだ。そこで総合診断医というのがある。米で人気だった総合診断医のドラマがあった。ホワイトボードに可能性を書き出していき、順に、消去していき、最後に、1つに絞る。この方法で、思わぬ原因に至る。 総合診断というから、これは専門を凌駕して、医学に精通、通暁していないととてもできない相談である。分業化が進み、専門以外は、ただの素人という専門家の世界で、これは逆をいくものである。 ただ考えてみると、専門が細分化して、自分の専門以外はわからなくなった専門家、その専門家よりも総合診断医のほうが、詳しいわけがない。してみると総合診断医というのは、実は鳥瞰して見ることに長けているということで、細かい専門の知識よりも、全体から部分を見る目に精通しているということにならないか。しかし、それにしても医学の基礎というべきところはきちんと踏まえていなければなるまい。かといっていろんな専門のつまみ食いでは信用ならない。

 そう言えば、弁護士先生が、得意な分野に特化して、自分の専門以外はただのど素人というのと、似ている。相続専門とか、離婚専門とか、言っても、医学ほど分化しているわけではない。ただ特許案件、特に、理系のそれなどは、それ専門の弁護士でないと使えない。裁判所だって、特許については、大阪と東京の高等裁判所に専門の窓口を設けているくらいである。 とにかく弁護士先生だからと全人的に信頼することだけはありえない。 テレビで、弁護士先生に、人生の道を尋ねたり、経済問題についてコメント求めたり、となんでも知ってるはずだという、全人格神聖化しているが、アホか。弁護士先生も番組に合わせて、即席の知識を仕入れてきて、さも詳しいかの体でコメントふるまう、バカか。 ひどいのになると、医師も弁護士も問題の知識ゼロで、ネット検索したりする。それで知ったか、する。かつて九州大の医学部出たばかりの医師見習いが、カーテンに隠れて、虎の巻をめくっていたのを思い出す。弁護士だって変わらない。たいてい相談受けたら調べてみないと正確なところはわからないはずだ。基本知らないのである。ただこれは知識に限ってのことで、法的な手続きではない。 昔の司法試験は、受験知識を類稀なる集中力で獲得してきた者が選ばれてきた。最近、優しくなった司法試験で、奇妙な結果が現れているという。易しい試験に受かった方の中に、社会性のある、有能な弁護士が出ている、というのだ。 専門家というのは、ある程度割引いて、見た方がいい、ということだ。とにかくやたら信用してはならない。 特に、頭から信用するのは、かなりリスクがある。 専門を翳す人間ほど信用ならないということだ。 本物の専門家なら、「できる」、それは知っている。 しかし、医学でも、法曹界でも、利権を軸に、正義というものなどもはやない。良心信念で生きている医師、弁護士、裁判官など、絶滅危惧種だ。

 あなたたちは、塾市場というものが、大手の資本によって、かれらの構築した集金システムの中に取り込まれていることにほとんど無関心である。あらゆるところに仕掛けられた大手の広告に無意識裡にコントロールされる。大手はテキストがいいとか、講師が東大だとか、進学塾講師歴何年だとか、まあ、いろいろ吹き込むわけです。バカ親をたぶらかすのはこんなものでいい。この親たちには、塾の真贋など見分ける脳などない。上っ面の情報だけで動くから。雰囲気とか、ムードとか、盛り上げればいいだけ。

 さて、竹の会に来た子どもたちは、まず、入会試験を受けていただきます。これは、子どものある能力、それは指導するのに、支障を来さない最低限の能力を診るものです。竹の会には、仮合格という救済措置がありますが、仮合格にもならなかった子の指導というのは、正直難しい。仮合格だと、小4前後なら、伸びていった実例が多くあるけれど、小5前後では、厳しい。今年の富士合格者には、小5の夏から来て合格しているが、こういう例は稀有である。また今年の桜修館合格者も小5から、しかも、準合格だった。小5から来たA合格はどうか。成功率は、5割程度か。小4のA合格、これが理想である。 小6から来ての受検、成功例はあるけれど、もともとの知能が高かったこと、類稀なる努力の人であったこと、過去に進学塾経験があった子もいた、など何かのプラスアルファがあったからである。

 まず入会試験で診る。仮合格というのも、問題を抱えているが、A合格者の没落というのが、またひとつの問題としてある、A合格でも、家庭の方針で、勉強が二次的という家庭もある。本人がそれほど勉強しない、これはかなりある。課題をほとんどやらない、これは不勉強の兆候となる。夏は、サッカー観戦でほとんど勉強しなかったというA合格者も過去にはいましたが、だからA合格しても見通しは必ずしも明るいものでもない。もっとも仮合格者のように、指導が、暗礁に乗り上げるということは、ほとんどない。 仮合格というのは、能力(の海)の浅瀬を航海するようなもので、座礁してはなんとか浅瀬から脱出してまた座礁する。つまり航海としては成り立たない可能性が強い。小4からだと、脱出できることがあるのは、実は、見せかけの浅瀬だった、という場合があるからである。小5前後ではこういうケースはほとんどないが、これまで塾に行ったことがない、という子の中にたまにそういう子がいる。つまりそういう子なら伸びる可能性がある。できないのは、浅瀬のままだからである。船が進まない、座礁を避けながらの指導は負担も大きく 今のわたしには体力的な限界を超えている。 仮合格で入会されたみなさんはもちろん、正規合格でも、伸び悩み、進捗が捗々しくない、こういう状況が、続くのであれば、退塾も視野に入れざるを得ない。

 また、この夏にさしたる勉強もしないということであれば、退塾していただくことに躊躇いはない。 総合診断というのは、実は不断にやってきたことである。レジュメが合格ハンコばかりなのに模試がかなり悪いとなると、実は自分の力で解いてはいない、と診断するしかない。わたしは、自分の診断に自信を持っていますので、例えば、桜修館を受けたいという子が、この問題と、わたしが考えている問題に、限界を見せたとき、その子が、受かる可能性は、その子がどんなに真面目に取り組もうとも、悲観的に考えざるを得ない、そういう診断をするほかない。 ただ、このわたしをしても診断できない、わからない場合がある。今年の富士合格者2人はまさにそういう例であった。受かっても、「そうか」と納得できるし、落ちたらそれはそれで納得できる。だからわからない。しかし、今年の桜修館の合格は確信していた。が、実際は、本番直前から発表まで、悪い方に考えては、いやわたしのあのレジュメをクリアした子だ、課題ももう完璧なくらいに頑張った、落ちるはずがない、この葛藤の日々だった。ここでおわかりになるであろうか。最後の最後にわたしが揺らぎながらも合格を確信する根拠は、わたしの渾身の「この問題を解いた」ことにしかない。そして「あれほど課題をやり抜いた」子というのが補強になる。 合格して、わたしの厳し目の診断が、正しかったことに安堵する。

 模試で名前を載せてもレジュメの正答率は低い、課題はやらない、こういう子だと、診断は、落ちる、である。が、模試がいいので、一縷の望みをかけるが、診断通りに落ちる、からそれはない。あるいは稽古事とか、小6になっても、続けてて、盆正月にはしっかり実家帰省、課題も出す頻度が極端に減る、レジュメの正解率も低い、これは「落ちる」診断である。模試の結果はいい、よかった、しかし、わたしの総合診断は、不合格である。実際も不合格。いろいろ避けられない事情もあるとは思うけど、一週間の実家帰省は、致命的になる。この診断も変わらない。 高校受験で、レジュメを出さない、ほとんど出さない、指示したことをやらない、これは、もう不合格の診断でしょ。 スポーツ最優先で、来たのなら、最悪の事態も覚悟の上の挑戦として、支援するほかない。この場合の診断は、いい診断など最初からない。どこまでやれるのか、見守るしかない。これがわたしの診断、いや正直な判断だ。 今年入会した子たちについては、限界の診断をするしかないのか、という子らもいるが、仮合格だったけど、進捗のいい子も出始めている。また、去年入会の仮合格、現小6の中には、合格は無理かも、という子もいる。ただ、小6については、熱心に通ってくる子を切り捨てることはなかなか決心のいることである。 子どもというのは、負の状態にある、いやなんらかの負の状態にある。なんらかのだ。初めての子どもだと、頭は目まぐるしくはたらく。この子の負の診断をするために、この子の所作のひとつひとつを観察する。机で集中しているか、礼儀正しいか、素直か、言葉使いの仕方から賢さを読み取る。躾を診る。字の乱雑さから、甘えを診る。親の野放しを診る。課題をやるかどうか、から親の関心を診る。子の責任感を診る。廊下をドタドタと歩く無神経さから、親の、子の、配慮を診る。表情から、仕草から、待つ態度から、様々な子どもの、親の価値観を診る。子から聞く親の行動から何かを診る。塾で子を預かるということは、そういうことである。親というのは、身勝手なもので、その時、その状況で、調子のいいことを言うものであり、子というバイアスのかかった意見、主張は、その後の展開で、いくらでも覆される。

 わたしは、総合診断のプロである。 子を総合診断して、子の未来をかなり正確に予見し、診断する。これからのために、処方する。わたしの処方は、負の状況というものをかなり克明に観察して、その子に効果的な処方を探る。そのために、新たに指導のレジュメを作成することもよくある。その子の状況に合わせたレジュメを作る。だから、わたしの指導を受けた子らが、「わかる」というのは、当たり前のこと。しかし、何度も言うが、本来、そういう処方をすることは、わたしの意図する仕事ではない。できればやりたくないのが、本音です。申し訳ありません。 竹の会というのはできない子のための救済塾ではない。わたしの塾にかけられる時間はもう少ない。だから、悔いのない塾人生を全うして終わりたい。

 🔵子どもの偽りがわたしの合否判断狂いの真因

 本当に、自分で解いたのか、だれかに教わって解いたのか。隣のよくできる子に「聞いた」というのがあった。かつて都立目黒に落ちた女子。過去問のチェックもクリア、と思ったら、隣の女子にほとんど訊いていたという。都立富士附属中に落ちた男子、よくできたのは、親が教えていたから。家庭で親が解いたものを、わたしにできたと出してくれば、わたしの判断の根底が空洞だったことになる。 レジュメの進捗も悪くない、正答率もいい、なのに模試の結果がよくないとしたら、この齟齬は、どう説明するか。家庭でレジュメをやってくるという子が、正答率が高い、というのは、実は信用ならない。教室では中々出して来ないのに、家で解いてきたというのは不自然でしょ。とにかく、この齟齬のある子は、過去の例では、例外なく、自分で解いていなかった。志望校の過去問やったら、8割とる、いつもとる、それで「やったことがあるのか」と訊いたら「ない」という。結局落ちたけど、後からわかったこと、その子が、別の子に家で過去問集買ってやっていたということがわかった。 模試が極端に悪い子は、残念ながら、受からない。逆もある、早稲田模試で、何度も名前を載せたのに落ちたという例。竹の会だけでも、数件ある。全く名前を載せなかったのに、受かったという子もいるが、それなりにいい順位にはあった。つまり、成績下位の子が受かることはない。

 都立高校受験で、わたしの判断が狂うのは、わたしの指導を実践することなく、我流の結果を報告する場合だ。母親の介入が、最悪の結果を生む。わたしの指導妨害をするのは、たいてい母親である。瑣末なことに振り回され、実力をつけるという本質的なところに頭がいかない。 わたしに真実を告げない親子が、成功した試しはない。家で過去問やって、いいときだけ見せてくる。教室でやってもらおうと渡すと、時間がないので家でやってくる、という。高校受験だと部活で散々時間を使って、できないと、この子には能力がないのかもしれない、という、えっ、である。

 さて、これから8月の集中指導が始まる。どうか、素直で、正直に、指導にしたがってほしい。これは無理だな、という子もいる。親の魔法がかけられて、わたしには、どうにもできない、という子もいる。 子どもというのは、親の色、好みという名の偏見で、染められている。あるいは、家庭環境という、子には選択権のない、色彩を纏っている。

 

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